いいんだねーって自分とずっと話した一日だった!
先生のあとに、体操部の先輩に頂いたこのコメントを読み返しながら
生きてるのに向いてるかどうか
を悩むのはもうやめよって思った日でした
だって、こんなに愛されてる
生まれてきたことに意味があったらいいなっていつも思っています
そしたら
ああいう悲しかったこと苦しかったこと
よく知ってるあのひとにあったつらいことも
全部意味のあることだと思えるし
そこに「意味」があればなんだか救われる
そういう思考回路だったからです
でも、そうじゃないのかもなと今日思いました
意味がなくてもいい
つらいことがあったから幸せになるわけじゃなくてもいい
なのかもしれないね
寒いけれど晴れて気持ちがよかった今日
お仕事と課題の合間にお散歩しながらそう思いました
具合がよくなって、お仕事を送って「いい加減にしてください」ではなく「ありがとうございます」と言ってもらって(お相手がすんばらしい方というのは間違いないのだけれど)
もう二度とお仕事頼まれないのかもしれない
っていう気持ちの裏には
小さいころ何度も言われていた
「ニコニコしてるひとはみんなうそ」
「またねって言われなかったらそれが最後」
「ああ駄目ねって思われるところが一つでもあったら、もう二度とお願いされないよ」
そういう言葉が刺さっていたことに今更気づきました
だけど、私が私の世界のすべてだと仮定すると
私だったらどうするだろうか、と考えると
そんな一度の失敗で見限るようなことしない、そう思って
だからたぶん大丈夫
どの失敗も、2~3年したら笑えるから大丈夫
もっとできること増える
今の失敗は、次できることにつながるかもしれない
失敗しても大丈夫
いっぱい失敗したよっていつかできる後輩に伝えられたらいいな
そして失敗を笑いあいながら和気あいあいとお仕事ができるそんな職場に出会えたらいいなぁ
もっともっと経験しよう
今はそういう時期なんだ
大人っていいね
子どものときにすべてだった「大人」がそうじゃないってわかる
子どものときに無意識に受け取っていた「社会」への認識を変えられる
勉強すればするほど、自分がどう生きるかがまず社会をよくするために重要だということを認識する
みんなが生きやすい社会ができれば、格差もなくなるし、戦争とかもなくなる
そして、そのためには、日々の暮らしを見つめるしかない
(もちろん他にできること、あるけどさ)
生きなおせる
自由に生きられる
世の中は、あなたが、私が思っているほどこわいところじゃないのかもしれない
「ばかだねー」
「一生懸命だねー」
って笑ってくれる周りの大人が大好きです
もし、のたれじんだとしても十分幸せな人生だったーと思う日でした
でも、まだまだやりたいことある
頑張ると失敗しちゃうから、ゆるゆる「あ!それならできます!」って面白そうなことに飛びつきながら、ときどき膝がくがくさせながら、ひとつひとつ積み重ねてみようと思います
嫌いなひとがいてもいい
だから好きなひとがハッキリする
今すぐ嫌いなひとと距離をおけなくてもいい
そのうち離れられるときがくる
ちょっとずつ理想の生き方に近づいています
ゆっくりゆっくりゆるゆると
愛をいっぱいありがとう!