いや、今一緒にいるひとのことを日に日に好きになっているんですけれど
それがなぜかは全然わかんなくて
ただ変わったのは私のほうだということははっきりしてて
なんか毎日笑っています
昨日ね、こんな記事を書きました
読んでいただけたらわかると思うんですけれど
途中までは、超素直に自分の「好き」超ピュアな感情を書いてあります
後半でなぜこういう書き方を、つまり注をいれずに書いたか、母のような人、とごまかしてしまわなかったか、既成の価値観に合わせなかったかの理由を書きました
結局「どう生きたいか」を実現するためには
毎日の一見ちっちゃいようなトライが必要なんですよね
やっとわかってすっきり~~です
ちょっとだけ「好き」について書き加えると、
私の毎日は、昨日書いたような「好き」だらけの毎日です
それがいつから始まったかはよく覚えてないんだけど
小さい頃からそうだった気がします
歩いていていつも会うお店のひとたちも大好きだったし
警備員さんのこともいつも好きだった
でも、その「好き」にたくさんの今ある社会の価値観にむぎゅぎゅぎゅぎゅって押し込めて、この人への「好き」は友達としての好き、この人への「好き」は親友への好き
そんな形でどんどんラベリングを繰り返していったら、なんだかだんだん窮屈に
いろいろあった経験から「性」というのも悪いことだと思っていたから、それも相まって、ね
その窮屈さから飛び出したい!と思っていろいろ実験してみて、それらを経て、もう「窮屈」でいるのやめようって決められた今は清々しい気持ち
そしてこの考えごとに到達するまで、私はたくさんのひとに考え事の材料をもらって、経験という名のそれをプレゼントしてもらって、もちろん良いか悪いかの軸から見れば「悪い」とされることもいっぱいあったんだけど
でも、でもよかったなぁ~~~ってケラケラと笑っています
全部経験してよかった!
これからは、ちょっとずつ表現の方法、ちょうどいい言葉、喋らないこと、喋ること、伝えないこと、伝えること、のバランスを取る練習ができたらいいなって思います
けど、できないだろうなぁ苦笑
てきとーにしようと思います、わはは
なんか今はいまいち「あれ、本当はなにしたいんだっけ」症候群で、毎日がただただ面白い(自分の気持ちの変化がね)
そしてそれが世界の見え方と連動していることも
プレゼントをもらっても、それがプレゼントに見えなかったり
素敵な言葉も、悪口や批判に聞こえちゃったり
結局は自分の在り方だった!ということね
そして、今日も今日とて自分の気持ちを知る練習です
遠回りのように見えるけど、これがたぶん実は近道
どんな生き方をするかわからないけど、いい道になるだろうと
自分を満たし終えたあとにやっと人にそれを循環させられる
だから安心して自分を生きろ
そのあと、お前はちゃんと人の役に立つ人間になれる
目の前のことを楽しめ
そうやってちゃんと生きろ
ってずっと前に教えてもらった言葉の意味も
幸せになるために生まれてきたよ
っていただいた言葉の意味も
今の自分はよくわかります
さ、お弁当屋さんに行こ~~~
これも似てる考え事!😊