昨日の夜中というか、今日の朝に、ぢんさんがコメントをしてくれて、そこでいかに私が「卒論やりたくないか」ということを認識したわけです。
いくつか気づいたことがあるんだけど、まずは気持ちの話。
ぢんさんがコメントのなかで、こうじゃない?って話してくれるの、すっごく嬉しかった。
その数日前に、華子さんという方が、体調不良になった際のことについて詳しく教えてくださったのもすごくすごく嬉しかった。
この「嬉しい」の色は同じだなと思います。
どうして嬉しいのか。
いやもう簡単です。
大好きな人に構ってもらってるから!どーん!
ですよ。
(ここにおける「どーん!」はワンピースのルフィの「どーん!」じゃなくてあの黒いひとの「どーん!」なんだけどうるさいね)
もう超単純なんだけど、私は構ってもらうのが好きだし、かつ、ここが重要なんだけれども、いっつも構ってもらうのは好きじゃない、苦手なわけです。
独特の距離感、みたいなのがある。
見えない線がある。
で、これはどこからきたのかっていうと、まんま小さい頃からずーっと。
つまり「生まれ持ってきた性質」として、つかず離れずを好んでいるんですよね。
うんうん。
だから、絶妙なタイミングで絶妙に放置されつつ絶妙に相手してもらえると、もうたまらないわけです。
食欲が満たされたときの感じに似ています。
で、なんだっけ。
そう、で、今自分が好きだなと思うひとってみんなこの「絶妙さ」がうまい。
そして、なぜそうしてくれるかというと、基本的に私が表す「好き」を好ましく受け止めてくれていること、それぞれのひとが自立していて忙しいこと、そのなかで波が重なったタイミングで連絡が取れること、なんかが理由としてあげられるのかなぁと思います。
つまり、なんていうか、「いつも連絡を取り合わなくても良い気楽さ」があって、連絡がこなくなった、かまってもらえないことが「好きじゃなくなった」を表すわけじゃないっていうこと。
なんでこんなこと記事にしたかというと、気づけて嬉しかったのと、だれかを「あ、やだな」と思ったときに、それはそのひとをやだなと思っているのではなく、自分の思っている心地よさではない頻度で関わらなきゃいけない状態がいやなだけで、嫌いになったわけじゃないんです。
それでなんか気が楽になったんですよね。
でね、これきっと人それぞれパターンが違うんですよね。
たぶん毎日連絡を取り合える関係に安心するひともいる、連続で連絡していることに気づかないくらいそれを楽しめるひともいる。
「私」はそれが苦手というだけで、それが得意なひともいる。
自分のパターンが認識できているだけで、だいぶ解消される不安があるなと思います。
わかりづらかったかな。
だんだん、ちょびっと、「伝えたい」ブログになり始めていますが、片目つぶりつつ読んでいただけたら嬉しいです。
いつもありがとう。
今日の沖縄は、ちょっぴり暑いよ!
結局私は本当に「犬の皮をかぶった猫」なんだと思います。
高校の頃に懐いていた生物の先生に言われた言葉だけど、ものすごくスッキリして嬉しかったんだよな。
「褒めてもけなしてもないからね(笑)」と言っていた少年のような顔を今でも覚えています。
ははは!