熱が上がってからは菌が死んだみたいで、体力はまだまだないものの、気持ちは上向き!
一番ひどかったのどの痛みも取れて、咳もおさまりはじめていい感じです。
体調を崩す前は超無気力状態でした。
このブログでも何度か書いた気がしますが、バイオリズム的にも「鬱期(しずか・くらい)」「躁期(うるさい・あかるい)」時期があります。
どちらかというと、鬱期の一番底のほうにいたのかな、たぶん。
今は、にゅーとらる。
にゅーにゅーにゅーとらる。
そう、超無気力状態で、お風呂はいるのもやだ、歯磨きするのもやだ、人に会っても口を開くのめんどくさい、唯一楽しいのは思考が垂れ流せるブログとお姉ちゃんとの電話、みたいな感じでした。
その状態に陥って一週間して突然の喉の痛み、からの咳、発熱、寝込みました。
一緒にいてくれるひとがいなかったら死んでた気がします(大げさ)(すごく大げさ)
あ、いつも優しい一緒にいるひとですが、「し・・しにそう・・・・」とか「し・・・しぬかも・・・・」というと、すぐさま突き放されます。
「しぬしぬいうからしぬんだよ、ぼけ」とか、「あっそ、勝手にすれば」とか言われます。甘やかしてはくれません。
話がそれちゃった。
そう、それで本当に具合悪くて毎日悲しい一週間だったんだけど、無気力な時は「このまま全部だめになっても別にいいや死ぬわけじゃないし、本当に全部だめになったらもう投げ出してリゾートバイト野郎になろう」と思ってました。
でも、いざ具合を悪くすると「えええもうこんなタイミングで具合悪くなったら卒論どうするの、おじいちゃんたち沖縄来るってよ会わないとじゃんどうするの、こんなことになって練習もいけなくてどうするの」と延々と始まる自分責め。
とはいえ、無気力シーズンとは違って物理的に体も動きませんから、ああもうっていって泣くわけです。
あーあこんなにくずだったらもうみんなから嫌われてまともに働けないから独りぼっちでおばあちゃんになるまで生活保護とかもらってひっそり暮らすんだ、やだな、ああもうやだな、みんなごめんなさい、先生たちもよくしてもらってるのにごめんなさい、ああもう本当にごめんなさい、とごめんなさいパレード。
昨日のこの記事で5つ目の才能「ポジティブ」っだったことを久しぶりに思い出して笑ってしまうくらいネガティブです。
いや、ほんとどちらかというとネガティブなんですけれどね、根暗だし。
それでなんだっけ。
そう「無気力」がきっとヒントだったんだろう、と思うんです、今思えば。
いつも楽しめるラートが面白くない。
本を読んでもすらすら入ってこない。
論文書こうにもパソコンを前にしても指が止まる。
なんなら文字が躍る。
このときに「あ、なんか無理してるな、ちょっと休もう」って思えたら、たぶん少しペースは落としても普通に生活っできてたんじゃないかなと思うんですよね。
でね、もう大人だから「あれ、無理してない?」っていうひとは周りにいないんです。
自分のことは自分でしかわからない。
なら、自分が一番自分を大切にしないと、自分のことに気づけないまま、誰かの人生を生きてしまう。
そう、そういうことだったんだなぁーと思います。
だいたいできないことが多いんです。
それを受け入れるために必要な体調不良でした。
ふつうに生きてるだけで大したもんだったの忘れて、あれもこれもやりたい、あれもこれも実現したい!って鼻息荒くしたから、「いやそんなに無理だよ」って言って具合悪くなった。
一日中眠りながら、なんでこんなにだめなんだろう、どうして生まれてきたんだろう、なんで生きてくんだろう、なんでもっと大変なひといるのにこんなだめだめなんだろう、と考え込む一週間でした。
でも、それってヒントだった!
超ヒント!
できないことが多い。
やれないことが多い。
続けられないことが多い。
体力がない。
なら、なおさら「今、何をしたいのか」「今、何をやりたいのか」に注力を注がないといけない。
毎日のなかを「やりたいこと」だらけにしたらいい。
やりたくないことをやるのは今年の夏で終わり。
そのあとは本当にまっさら!
体調崩す前はそれが怖くて怖くてたまらなかったけど、もしかしてなんでもできるってことか!と元気になりました。
そしたら体も一緒に元気に。
うれしいな。
ゆっくりだけど進んでるね。
世の中にはいろんなひとがいて、ものすごいパワフルにいろんなことを実現してるかっこいいひとたちもいて、そういうひとになりたかったんだけど、それを手放しちゃうことにしました。
何者になれなくてもまあいいや。
がんばらなくても、周りにいるひとたちの役には立ててるみたいだから。
やりたいこと、できること楽しんで生きてこ。
読んでくださってありがとう!
また卒論執筆に戻ります、土日でやらんと来週取材いけなくなっちゃう、がんばろ。