友人のこの記事を読んで。
ああいいなぁ~と思いました。
ああいいなぁ~。
この誰かの心に引っかかる「何か」によって議論が出ることと、誰かを傷つけたり嫌な気持ちにさせたりするのは、僕は全然違うと思っていて。 結局は、自分の中に大切なものがあるか。愛のある文章を書いているか。ということなのではないでしょうか。 自分の書いたものを大事な人に、親や家族に、恋人に、子どもに、「これは僕が書いたものなんだ」と胸を張って見せられるような、そんな文章を書きたいなと。 厳しいことを書いていても、そこに「愛」があるならば、それはきっと分かる人には分かる。 そんな愛のある文章を、書いてありたいですね。
自分の書いた文章で、ひとりでも嫌な気持ちになるようなものは書かない。 〜愛のある文章を書きたい〜 - 大人の少年で、僕はありたい。
いいでしょ?
いいんですよ。
優しいひとです、純粋なひと。
ひとつひとつの言葉を大切にしていて。
人を愛したい愛したいと、考えてる。
私はほぼほぼ正反対だなぁと思いながら、彼のブログを読んでいます。ときどきごはんに行ったり、もつ鍋食べたりしています。
ほぼほぼ正反対。
そもそも私は彼のように優しくない。
自分でいうのもあれだけれど冷たいです。
冷たいし、いつだって自分が中心、一番。
我が強くて、そのわり一人じゃなんに~もできない。
昔、部活の先輩の彼女さんに「人の話を聞かない」「何を言っても無駄」と言われたことがありましたが。
それもそうだなぁと思います。
そんなことは小さいころからずっと言われてきたことだったので痛くもかゆくもなく。「あら、ごめんなさい」としか思えなかったなぁ。
憎たらしい~~。
超がんこ。
自分と違う意見を、嘘でもその場で「そうですよね」とか「そういうこともありますよね」とか言えない。
彼を一番尊敬しているのは、どんな意見もいったん受け止めているところ。自分と違う意見でも、なんでも。
「そういう意見もあるよね」と肯定、静かに肯定する。
すごくいいところ。
悔しいけど私にはできないな~と思います。
口が曲がっちゃうし笑顔がひきつっちゃう。
だって思ってないから。
彼は本当に思ってる。
なんか根本から本当に違うんだなと思って、面白いなぁ~って思います。
だから自分はありのままでいい、ということ。
ありのままのなかで、なりたい自分になればいい。
背伸びしても別にいいし、嘘ついても別にいい。
大事なのは、自分に正直であること。
自分に正直なひとは、ひとを傷つけないし、ひとに傷つけられない。(そりゃときどき例外はあるけれど)
心屋仁之助さんの言葉を借りたら「あなたが犬を好きなように、私は猫が好き。どっちが上とかないよね」ということ。
いい言葉。

心屋仁之助のなんか知らんけど人生がうまくいく話: 「あの人」「あのこと」――考えすぎないでいこう (王様文庫)
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自分とは違う特徴を持っている他の人、他人がいるから自分を認識できるし、自分とは違ういいところを見て、自分のいいところも発見できるし、直したいところを直せるときもある。
こういう、「自分と違うひと」の考え事をすると、「他人がいるから、あなたは自分を認識できる」ということを強く思い出します。
中学生の頃に初めて哲学に触れたときに最初に理解した概念です。
私ってなんだ、私ってなんだと考え詰めていたあの頃はよくわからなかった。
他人との差異が自分。
周りを見渡すと、たくさんのひと。
そのひとたちと自分との共通点や、差異。
それらを積み重ね眺めれば、たしかにこれが自分の特徴だ、と思われる部分がある。
よいところも、わるいところも表裏一体。
どうとらえてもいい特徴。
ただ、確かなのは自分が在るということだけ。
だから「自分のことがわからない」「苦しい」「しんどい」ってなったら、一人でもやもや考えてないで、人に頼ったほうが早い。
というわけで、カラーセラピーいかがでしょうか。
パソコンの方は右側のメッセージフォームから。
携帯の方は下のほうのメッセージフォームから。
今は3人のひとから予約がはいってて、にんまりです。
ありがとう。
どしどしどうぞ。