2016年のラートの全日本大会が終わりました。
斜転・跳躍の二種目で決勝に出られた結果は、入賞ならず。
斜転は9位、跳躍は何位だったんだろう、入賞ならず。
総合は11位という結果でした。
うーん。
斜転は8位まであと0.05点。
跳躍は、自分ではでないと思っていた6点台がでて。
と、こんなルールがわからないとわからない話をしたいわけではなくて。
つくばというのは空が広くて、宇宙系の開発機構や、気象庁のとかがあって、そういう都合で高いビルがあんまりないからなのか。とにかく空が高い。
今日は雲一つなくて、星空も、大きいお月様も見えました。
その道、寒くて、つい小走りになりたくなるような道。
その道路を、大会後の打ち上げの3次会の帰りに、他大学の同期の男の子と、琉大の体操部の後輩と並んで歩いて帰ります。
そのね、同期の男の子は本当にいいひとで、優しく、よく考えて言葉を発する、必要のないときは黙っていられるひと。それはとても、当たり前のようでとてもすごいことで、私にとってね。
だから、とても尊敬しています。
自分にないところを持ってるひと。
きっとラートはもうやらないと思う、と話してくれて、そう、そうだった、私たちは四年生になったんだった、と思いました。
終わりがあるというのはどういうことなんだろう。
終わりを決める気持ちはどういう気持ちなんだろう。
ラートから離れるつもりはないから、私はずっとこの体育館の中にいる。
でも、そこは実は、たぶん、本当はとても小さい世界で、ここが全てではなくて、でも、この中にいると決めている。
その、小さい世界のなかで一番になりたいと思っているわけでもなく、ただそこで自分と向き合って、人と過ごす時間を気に入ってこの中にいる。
同期の男の子は、ここから一歩、ぴょんと外に出ていく。
その先にはどんな景色が待っていて、ラートを通して様々な経験をした彼は、これからどんなお仕事をする大人になっていくんだろう。
並んで歩きながら、一年生の頃、この技を一緒に練習した、あの技はあのときに初めて見た、これができるようになって驚いた、とか。いろんなことを思い出して、たぶん、たぶん横で、いつも通らない道で遠回りをしてくれたその男の子も、似たような考えごとをしていたんじゃないかなと思います。
どうだろう、知らないんだけど。
大会を通してたくさんの気持ちを感じて、そのなかでも大きかったのは、本当に一人ひとりが一人ひとりの人生を生きているのだ、ということ。
それに尽きるし、それ以上に大切なことはない、ということ。
ここでの経験が何になるかはわからないけれど、等身大に向き合い続けた時間はきっといいもの。
「高い点数を取るということ以上に、人との間で成長していくことに意味がある」
と話してくれた先輩も
「あの技ができないということは、基礎の基礎の技がまだ完成されていないというのと同じこと」
と、教えてくれた先輩も。
並んで歩いた同期の男の子も。
みんな、みんなの世界観のなかで、今回の人生を楽しんで生きている。
私は私の人生を。
酔っぱらってるから、何かいてるかいまいちわからないなぁ。
でも、とにかく、ちょっと寂しくて、わりといっぱい悔しくて、くたびれていて、でも幸福な気持ちで眠りにつくところの実況でした。
たくさんのありがとうをこめて。
応援してるよ、の言葉も、愛してるよ、の言葉も。
なんだかいろいろうれしいプレゼントをたくさんいただいた全日本大会でした。
来年も出よう。しっかり精進しましょ。つい、精進しましょ。