気持ちの話。
大切な人にうたいたい
聞こえているのかもわからない
だからせめて続けたい
続ける意味さえわからない
という、バンプの少し昔の曲がなんだか頭にうかぶ東京の旅ラストの夜。
(旅というほど仰々しいものでもない。)
今回の東京滞在、ラートのことも家族のことも考えなかった。
将来のことも大学のことも、言ったら友人のことでさえ考えなかった。
というよりも、考え事がうまくできなかった。
脳みそが考えることを放棄したがっていた。
だから考えないで過ごしていた。
そして今、最後の夜。
今回の滞在、ずっとあったのは「あの頃」の気配。
時間でいうと14、5歳。
つまり中学生から高校生に上がるような時期の話。
あまり細かいことは覚えていなくて、断片的に映像の形でのこっている記憶が主。
ただ一つ一つのシーンが重厚で、さみしく、あまり色が鮮明ではないのが特徴。
要するに、空っぽで、でもいっぱいだった頃。
どんな頃じゃい。
14歳の2月に家出。
なにか大きな出来事が、まああったちゃあったけれど。なかったちゃなかった。
とにかくああもう無理だということだけの思いで飛び出し、そのまま外へ。
いろいろふらふらしてみたものの、「これだ!」というのがなく、当時(今も)とても大好きで信頼していた二つ上の上級生に電話。
何も頼む前から、すぐに家に来なさいと。
駅に迎えに来てくれたのも、そこを一緒に歩いたのも、何も話せなくて道を歩きながら、組んでくれた腕と歩くペースがいつもと変わらなくて安心してぽろぽろ泣いたのを、覚えてる。
雪か雨が降っていたような気がするんだけれど、それは演出?
記憶はいつだって本当にそのままではのこってくれないものだから。
でも、その二つ上の上級生に会ったときほどホッとした経験は、後にも先にもないような気がする。
私の人生を彩ってくれたいい出来事、として体の中に流れてる記憶。
引き取ってもらった先のおうちでさまざまなことを吸収し。
まあいろいろ経て、家出をしたもとの生まれ育ったおうちにも家族にも6年ぶり?7年ぶりか、くらいになるのかな、去年の冬に会いに行き、一応国交回復。
ひどいことしちゃったな、と反省。
まあそんな感じの10代後半。
でもこの期間が今思うと、「自分の人生を生きよう」と決めるために必要な期間だったように思えます。
誰かの人生を生きてしまうのはとても簡単。
家出などせずに生きられる道もきっとあった。
でも、そのぐっちゃくちゃな時期を経た今。
見える景色も、聞こえる言葉も、描く未来も。
ぜ~んぶが自分仕様。
だってずっと自分と向き合った。
何が好き?何が嫌い?
何がしたい?何をしたくない?
誰といたい?どこへ行きたい?
かなえられる範囲ですべてかなえてきた今。
ああ、この感覚を手に入れるために。
自分で自分の人生を生きるんだと決めるために。
そのためにあの時間、わざわざあんな出来事を起こしたのだな、と自分と話します。
だから、家出したばかりのあの頃と同じベッドで眠ろうとしながら。
あの頃の自分に「安心して苦しみなさい」と「大丈夫だから」を伝えているだとよくわかる。
今目の前にある苦しさも、過去のそれも、全部未来の自分が必要だから選んで目の前にあること。
ちゃんと味わえばその状態は解消され、より楽しい生き方ができるようにできてる。
夜ごはんの跡片付けをしながら、「一緒に暮らせたら楽しいだろうね」と何気なく言ってくれた言葉に、別にそんなに反応してないですよみたいに装いながら「そうだね」と答えた私が好きです。
心の中ではガッツポーズの嵐でいるのを知っているその上級生が大好きです。
だめなところもいいところも全部知って笑ってくれる。
というか、そういう長所短所はどうでもいいと扱ってくれる。
性的な感情は一切ないので、恋人になりたいとかではないんだけれど。
本当に出会えてよかったなぁ、と思いながら。
過去、今、未来はぐちゃぐちゃに存在しえいるので、別に過去があるから今があるというストーリーは描かない。
ただただ過去と今と未来、その不確かなつながりのなかに、たしかに感じられる大切な縁、たくさんの偶然が紡いでくれたそれの尊さのなかで眠ります。
私の私だけの人生がいとおしい。
この気持ちは初めて。
きっと今まで直視できなかった母校をちゃんと見れたからこその感覚。
これからもっともっと人生がスケールしていく。大きくなる。
宇宙みたいに。
もっともっとやりたいことが実現できる。
もっともっと会いたい人に会える。
もっともっと見たい景色がみられる。
だから、もっと研ぎ澄まさないと。
何が好き?何が嫌い?
このひとと会いたい?会いたくない?
何を飲む?何を食べる?どこへ座る?
全部をていえいに自分色に染めて、しっかりと自分を生きる。
それを経ていくことで、さらに自分の人生をいとおしくみられるんだろうな。
大きな経験も、小さな出来事も。
そう、全部がいとおしい。
たとえば今日のそれも。
起きて下に降りれば、パンを当たり前に二枚焼いてくれる人。
アスパラガスをゆでてくれて、おいしいカフェラテもくれたね。
たくさんのおすすめ漫画と、おいしい夜ご飯。
夜食にチャイをつくってくれて、それを飲みながら生ハムとチーズ。
そのあいだにぽろぽろと晴れて落ちるくだらない会話。
特別じゃないのに特別なこの関係が、本当にうれしい。
奇跡だと思ってる、毎回。
今回もありがとうをこめて。(読まないの知ってるけれど)
次回の滞在もたのしみとても。
ねむろう。
ありがとう。