タイミング、というものがあるなと日々感じます。
あなたに会いたくなるタイミング。
BBコーヒーのカフェモカが飲みたくなるタイミング。
ラートをしたくなるタイミング。
どこか別の場所に行きたくなるタイミング。
様々なタイミングに囲まれて生きています。
そのタイミングって絶妙で、すごく絶妙で。
この「絶妙さ」について思い馳せるとき、思い出すのは高校2年で転校するまでずっとそのなかにいたある学校、自由学園の美術の授業を思い出します。
たくさんの絵を描きました。
美しいもの、機械、いろいろなものを正確に写したり、自分に見える色を重ねたり。
絵だけではなく、それは時々粘土だったり、版画だったり、彫刻だったり。
様々な方法で、そのときにある何かを切り取る作業を、私は下手でしたがとても気に入っていました。
なぜこれらを思い出すかというと。
どれも「絶妙さ」が求められる作業だったから。
絵でも、粘土でも、彫刻でも、ほかの方法でも、なんでも。
全部求められていたのは「絶妙さ」
あともう一回色を重ねるか、重ねないか。
どの色をどのくらい加えるか。
もう一つ線を彫るか、彫らないか。
手を加えすぎるとなんだか野暮ったく、手を加えなさすぎる手抜きに見えてしまう。
それと似てるように感じます。
今日もそういうタイミングに囲まれて生きていました。
朝から不思議なくらいおなかがすかなくて、練習もしたけどおなかすかなくて、帰ってきても何もしたい気持ちにならなくて。
先週の土日くらいから体調が芳しくないのはわかってたけど、もうだいぶ体も軽くなったしなぁと思って良くなったかと思ってたのにね。
とりあえずいっぱい眠りました、いっぱい。
そして起きてしばらくしたらおなかがすいて。
わあ、おなかがすいてると少し嬉しくなって、食べたいものも白菜と豚肉のってすぐわかって、すぐサンエーに買いに行きました。
そして帰ってきて、白菜を芯のところと葉のところに分けて、芯を先に並べて、豚肉を並べて(あぐー豚を買ったよ)、次に葉を並べて。
お水はお椀1杯分。
蓋をして20分くらい放っておきます。
ほいっと開ければ、わ~完成。というわけです。
なんだったけ。
そうだった「絶妙さ」の話だった。
今もポン酢をかけつつ(新製品のごまぽん!これがなかなか、なかなかいける)
ブログを書いております。
ブログもそう。どれくらい書くか、どこまで自己開示するか。どのくらい自己開示するか。
どのように自己開示するかも。
料理はね、煮込みすぎたらくたくた。
煮込みが不十分だと固くなっちゃうし。
煮物が一番絶妙が難しいものだと思います。
おばあちゃんもそう言ってたなぁ。
焼くのは焼き色を見れば簡単。炒めるのも変化が見えるから簡単。
煮物はパカパカ蓋を開け閉めするとなんだかおいしいのが逃げちゃうというか。
で、この絶妙は「分数」とかでもわかるんだけど、そうじゃない。
勘です、勘。
言ったらラートの技も全部が勘。
人の相談のるときも勘だし、勉強も勘。
勘は絶妙さを支えるもの。
この勘を育てるためには絶妙さを感じるのをやめないこと。
タイミングを感じられるかどうか。
タイミングってきっと「なんとなく」と言い換えられる言葉。
全部はタイミング!
平井堅がカバーしてたあの歌みたいだ、わはは。
そう、だから自分の思う「ふと」や「なんとなく」大切にしたい。
もっともっと絶妙に生きたい。
だから、明日は起きたらきっと瀬長島、楽しみだ。
私の人生だから、私の思いついたことはなんでも正解!いえいいえーい!
ロックに生きよう!ロックに!
それにしてもお料理って本当に楽しい。
なぜ適当がこんなに美味しいものに変身するのか。
不思議だねぇ。
一番つくっていて楽しいのはミートソーススパゲティとなすの煮びたしです。
今一番欲しいレシピ本はこれです。
おそらく私の食べたい本当に食べたいプディングがこのなかに・・・・。
ああ食べたい。よだれ。