なんだろう、ここ最近の考え事に一段落がつきました。
(大学の生活に適応し始めたのもあるね!きっとね!)
この記事で書いた考え事がわりと近いかな。
何かっていうと、「今の自分のことあんまり好きじゃないけど、好きになりたいけど、無理みたいだし、このままだと野垂れ死にそうだし困った、変わりたいけど、変われないし、どうしよう」っていうこと。
もはや考え事というよりも悩み。
考えるのと悩むは明らかに違うといつも分けています。
考える=答えを模索するために論理的に組み立てること
悩む=ただ単にまず不安でその不安を言語化はできるけれどどうしようもない状態
悩むの動詞ですらない感じ。
溺れるに近いかな。
17~19歳まではこれが多くて、足元からすくわれて何もないところへ落ちて閉じ込められるようなそんな感覚でした。
(しかも教室のなかにいるとこれがひどくなるから、本当に高校も大学もつらかった。)
それで、最初に考えていた溺れていた内容↓
「今の自分のことあんまり好きじゃないけど、好きになりたいけど、無理みたいだし、このままだと野垂れ死にそうだし困った、変わりたいけど、変われないし、どうしよう」
を、もう少し具体的に分解していくと。
お金をまだ返せてない!
(っていうか前に日払いのアルバイトで痛い目を見たので、もう接客はしたくない。でも拘束時間短くて時給いいのは接客。でもしたくない!)
一人暮らしができない!
(また変な人!何度目!!)
電気とまった!
(なんで期限までに支払えないんだ!あほ!)
練習で100パーセントだしきれない!
(なんであと一本がんばれないの!)
レジュメ作り忘れてたせいで超たのしみにしてた講義休むはめになった
(悲しかった)
ラートのプロジェクト自分で止めてる
(本当にやりたいならなんですぐやらないの?)
好きってなんだ!
(も~~~~やだ~~~)
になります。
なんだろ。
何か苦しみがあるときって、それをどうにかしたいという思いが働きがちだったけれど、心屋智子さんに出会ってから「そうなんだねー」というようにしています。
最近であった心屋智子さんの素敵な言葉。
気づいたら手放す。
俗にいう神秘体験を初めてしたのがこの方のヨガレッスンで、このあとからなんかめーーーっちゃ生きやすくなったんですよね。
そっか気持ちを握りしめなくても、業を背負い続けなくてもいいんだーって。
それでね、「悩む」のをしてるの割と久しぶり、おお、悩んでるなーとやや面白がって観察していました、自分を。
(いや、苦しい自分もいるんだけどね。)
面白がってたはずなんだけど、なんかただでさえ苦手な教室にずっといないといけない時間が週の中にたくさんあって、でもそれって今までの大学生活で講義を頑張らなかった自分の自業自得で、なんかもうつらーってなっちゃって。
気づいたら太っていました。
そうそれでね、でも、こういう嬉しいことを友人に言われたりとか。
「うん。私。はるちゃんがラートで全国、そして世界で活躍していても、多分驚かないな」って(笑) はるちゃんが「公演するよ!」ってなったら「驚き!」よりも先に「いついつー!絶対行くね!!!」って私は声をかけるんだろうなと思っていて。 はるちゃんに使うお金なら、なーんにも躊躇しないな!って。 そんな気持ち! 長くなったけれど、言いたいのは その人自身の頑張っている姿を見て、そして感動をもらえた人は、そこに価値をすっごく感じるんだな!という事。 なんて素敵なんだろう。 私もこんな素敵なはるちゃんに憧れるよ〜〜✨
芸術って身近だね、それと朝の時間って素敵だよね!のお話 - a-richannelのブログ
お金は相変わらず大変で、今月はじめに実家に3万円の救助をお願いしてかなえてもらったばかりなのに、次のお給料日までまだいっぱいあるのにあと1000円くらいしかつかえない…。
でもなんか、うれしいこといわれたりするの増えた。
それで、今日体育館でぐるぐる回った帰り道で。
「あれ、今なんで悩んでるんだっけ?」
と
「あれ、具体的にはどうなりたいんだろう?」
のふたつがうかんで、歩きながら考えてみたわけです。
長くなっちゃったので次の記事に、一通り悩んでみた結果を書いておこうと思います。