講義のなかで「メディアリテラシー」についてもう一度よく考え、やっと「メディア」というものを理解しきれたような気がしています。
結論からいえば、あなたもメディア、私もメディア、そんな時代を生き抜くためのメディアリテラシー。
って感じ。
ちょっとださいか。
バナナは後半に登場します。:)
そいえばメディア、昔は「本」と「人」と「建物」と「美術品」だけだったんだもんね。
今じゃいーーーっぱいありすぎるよね、でも昔からあるものはのこっているって、なんかロマンを感じるよね、シュメール人ばんざい。
さてさて、まず、メディアリテラシーが何か。
簡単に調べれば、メディア=媒体、リテラシー=読み解く力、という意味のカタカナ。
さて、この「メディアリテラシー」という言葉、鈴木みどりによる定義が講義の中で紹介されました。
メディア研究の第一人者の方?のようです。(不勉強)
(表紙のこれは、むかしの聖書のうつしに使われる飾り文字のやつみたい、そうだね聖書とかもう強力すぎるメディアだよね。)
こちらがその定義。
市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションをつくりだす力を指す。
また、そのような力の獲得を目指す取り組み。
これにメディア論を教えてくださってる先生の解釈をプラスするとこんな感じ。
(なんでこんなカタカナつかうのかなっていう文句付き。笑)
市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに批判的に分析し、評価し、メディアにアクセスしクレームをつけたり内容について判断したり、多様な形態でコミュニケーションをつくりだす力を指す。
→自らが情報の発信者になることが最終目標
また、そのような力の獲得を目指す取り組み。
=マス・メディアの伝える情報を読み解く力そのもの。
つまり、様々な媒体を通して発信されているたっくさんの情報!
新聞でしょ、テレビでしょ、ラジオに、スマホで見るニュース、ツイッターやフェイスブックに流れてくるインターネットのニュース記事。
それについて、「ああ、そうなんだ」と受け入れてしまう、これはまだ「メディアリテラシー」ないよね。
それについて、「え?」「それは〇〇の点でおかしいんじゃない?」であったり、「おお。」「これは〇〇だからすばらしいね」といえる力、それは「メディアリテラシー」があるといえる状態だと思います。
でも、それでも足りないとこの定義は教えています。
メディアの伝えた何かに対して、自分なりの判断を加え、それを発信する、それがこのメディアリテラシーの定義のゴール。
(会話も発信だよ、「このニュース見たんだけど〇〇って思ってさ」も重要な発信!)
と思うと、「メディアリテラシー」を身に着け、そして己もまた「メディア」として活動せよ!っていう熱血教師みたいなそんな言葉みたいですね。
これは基本的な概念で、現在ではさらに多義的にこの言葉が用いられていますよね。
だってたっくさんのメディアがあるからね、そこから発信される情報もたっくさんたっくさんたーーーっくさん!
ただ読み取る力、を指す言葉ではなく、ただ発信せよ、という言葉でもない。
その情報の取捨選択、正しいのかウソなのか(信じるのか、信じないのか)を決めていくこと。
ただ受動的にいたら、「受動的にいてくれるほうが都合がいい」何かに取り込まれちゃう。
それってちょ~やだなと思うわけです。
だから、本を読み、人と話し、ブログを書き、考え事を整理したり、自分の視点の座標を確かめたり。
このブログは、私のための「メディアリテラシー」能力養成所みたいな感じかもしれません。
そういえば、ずっと前に宜野湾をありちゃんと冒険したときに、こんなものを見つけました。
ありちゃんとのツーショット。
見つけたのはこれ。
なんだかわかりますか?
そう!バナナの花を覆う何か(ガク?)と花なの。
きれいな色。
ずっしり重たい。
これをね、むいてみたら。
こんな透き通ったきれいな花の中身。
そしてそこにたまる蜜も見える。
こっちの白いのがめしべで、黄色いのがおしべかなーとか話しながら。
ここが膨らんでバナナになるのかな、という会話を一緒にいたありちゃんとしていたんだけれど。
それが違った!!
なんとこのポツポツからさらに育つみたい。
どんな仕組みなんだ、バナナ…。奥が深い。
楽しかったな~冒険、またしたい。またしようね。
それにしても、自然のつくりだす色っていうのは、なんでこんなに美味しそうなんだろう、美味しそうな色っていいよね。
そのまま妖精とかアリエッティとかのドレスになりそう、本当に繊細。
これを思い出した。
っていうね、これもまた「ブログ」という私のメディアを通じて、発信した情報なわけですが。
まああんまり情報価値ないね。
バナナ好きにはたまらないか。
さてさて明後日私はブロガーミートアップのイベントに参加するんですけれど、、、。
う~~~ん。
112記事目のこれを書いてる今も、「ブログ」がなんなのか、個人的なメディアの持つ意味とか、大人の人たちのいう「面白い」や「イケてる」からはかけ離れているような記事ばかり更新しているので、なんだかちょっと行くの恥ずかしいな、という気持ちです。
どうなるかなぁ~~~。
まあなんにせよ、大学の講義って面白い。
何かを突き詰めて研究した先生たちって、やっぱりオーラがあるよね、独特の。
卒業についてはこんな様子なのに、先生の優しい言葉に、ちょっとほろっとなった今日でした。
あと、そもそも卒業できるだけの単位の登録すらできないかもしれない騒動が勃発していて、そんなとき、指導教官の教授が「二つ心配してるよ、まず単位を登録できるか、もう一つはこんなにたくさんの講義を登録して「頑張れて」卒業したとして燃え尽きてしまわないか」「人生は長いからね。」って。
— 日高春奈-pidakaparuna (@pipapapipapa) 2016年10月14日
いろいろわかるのは月曜日です。それまでは何にも考え事しないことにしました。
のらりくらり。
読んでくださってありがとうございます。
あなたの今日がどんな日だったのか、どんな日にせよ、これを読んでくれる人がいることに喜びを感じる私がいるので、生きててくれてありがとうございました!
おも!笑
さちあれ!