連休中、刺激がいっぱいで、頭のなかがごちゃごちゃしています。
ひとつひとつ解してみると、そのなかでも大きいのは「人を大切にするとは?」という疑問でした。
(連休中本当にひとに大切にしてもらって、素敵なもの、目に見えるプレゼントも、目に見えないプレゼントもたくさんたくさん頂いて、「ひとに大切にされている」ことを実感しまくったから猶更考えてしまうのかもしれません。)
(連休最後の今日は、萌子さんからこんな素敵なプレゼント、森山直太朗さんとツーショット。このツーショットの券がついていた5000円もするアルバムをほいっと、ほいっと、「あげるって決めてたの」という一言で。もう本当に大好き萌子さん!)
まず、自分はまだその分野、人間関係についてはよちよち歩きレベルだなと。
以前、この世を生き抜くための知識はこのひとが師匠だと決めた父方の四番目の叔父に、周りを見れてないって叱られたよとこぼしました。
そのときにね、「お前はずっとそんなことできないような状況で生きてきて、ここ1、2年でやっと人間始めたんだから、そんなこと言われたら「できないような環境にいたので、これからやりますので。」と思い返せばいいだけ、心配するな。」と言ってくれて。
(いや、心配するなというよりは、そんなことにいちいち気をとられてるんじゃねーしっかりしろ。くらいのニュアンスだったかも。)
この叔父の言葉にすごく救われた自分がいて。
幼少期から振り返ってみると、幼稚園のときは無条件に可愛いですから、何も考えずに生きていたと思います。(なぜ生きているのか、についてはひたすら自問していたのをよく覚えてるけど、最小単位の家族がいれば他に困ることがない年齢ですから、人と関わることの重要度は低いもんね、だから考えなかったんじゃないかな。)
小学校ぐらいから、だんだん周りのひとを羨ましがるようになり、「あの子のおうちはいいな」から自分が悪いのに逆ギレしたり、と本当に嫌な奴だったと思います。
でも自分にないものを持ってるひとのことは本当に全員嫌いでした。笑っちゃうような理由ですが、当時は真剣だったんだろうなぁ~。
今から思えば、そんなの一枚めくったらみんないろいろあるんやで、の一言です。
中学では出会ったひとみんなのことを傷つけるような生き方をおそらくしていて、それは自分なりのSOSだったんだと今になってわかりますが、当時は近くいた大人にいわれた「社会不適合者」だからみんなの気持ちがわからない、人気者のあの子のようにできないんだ、と思い込んでいました。
単純に問題行動((笑)をつけたい。)を起こして、家族の気を引きたかったのかもしれません。今となってはよくわかりません。
転校して、今までいたコミュニティから出ると、一種の解放感のようなものがあったのをよく覚えています。
(幼稚園から大学まである一種の「囲い」のある場所のなかにいたので)
転校一年目、高2は、その解放感と、突然共学になったことで感じる「性別・ジェンダー」への違和感と、クラスのなかにあるヒエラルキー構造みたいなのに驚きつつ、気持ちのなかで一定の距離を周りと置きながら学校生活を送っていました。
「どう生きるか」に初めて向き合い始めた自分を支えてくれる先生たちとの人間関係のほうが、クラスのなかでどう過ごすかよりも重要だったくらいです。
転校二年目、高校三年ですね、クラスが特例で移動になり、一番上の特進クラスに。いろんな特別扱いから周りの子を傷つけたりもしましたが、なんだかんだ一番過ごしやすく、わかりやすく学校生活を楽しめたのはこの年でした。
なんでだろ。
先生たちにいっぱい大切にしてもらって、周りには好きな友達がいて、お姉ちゃんとの二人暮らしも面白くて、みたいな感じかな。
この頃から、自分のなかに「一緒にいたいと感じる気持ち」「ひとりで過ごしたいと思うときの気持ち」が出てきて、かつ、「目の前にいるこのひとを大切にしたい」という感情が育ってきました。
(遅いよね。)
おそらく、高校三年目から、祖父の言葉を借りれば「人間らしく」なってきたんだと思います。
(この時点ではまだまだちょっとエイリアン。)
大学に入学してからは体操部のおかげで「人を信頼する」ことを覚えました。そうすると距離感をなんとなくつかめるようになり、常に自分の気持ちを伝えなくても、伝えてもらわなくても、聞かなくても、目の前にいるひとが自分のことを大切に思ってくれていること、そして自分も同じように相手を大切だと思っていることを理解できるようになりました。
あとは、みんなのこと、その場にいる全員を大切にしなくていい、というのも大学二年目くらいでようやくわかれたように思います。
(本当に体操部には頭があがりません。私は転校した先の生活で5割人間くらいまで育ててもらって、ここでのこりの部分を人間に育てなおしてもらったようなものです。)
そして大学生活四年目である今、ようやく自分の居心地の良い距離感を知り、かつ、「来るもの拒まず、去る者追わず」という言葉がいかにいい感じか、というのも日々思うところです。
というわけで、高校でようやく人間を始めたような私です。それが大学に入ってようやく「自分」を持って生きるようになり、人間らしさに磨きをかけた、というか、もうほぼ人間になったんじゃないかと。
人間ってなんだという考え事がでてきますが。
そう、それでタイトルに戻ります。
「ひとを大切にするとは。」
これがまだよくわからない。
周りの大人に言われる「ひとを大切にする」を実践するとそれは自分にとって「我慢」になる。
目立ちすぎないとか、機会をひとに譲るとか。
ひとを大切にする、とは。
それがわからない自分も面白がってはいるけど、「それじゃあ人が離れていくよ」という一言にドキッとして。
そのドキッは、あんまりいいドキッじゃなかったんだよなぁ。
(落ち込ませるために言ってくださったわけじゃないというのもよくわかってる、から、なおさら考えこむ。)
で、こういうときはお手本を見つけるのが一番いい!と思っています。
というところ、人を大切にしているなぁ、で思い浮かぶのは心屋仁之助さん、心屋智子さんご夫妻。部活の卒業生たち。
あとは、清水直哉さんとかかなぁ。
サンゴの金城さんもだ。
共通しているのは「そのひとがそのひとのままでいることを当たり前に受け入れてる」ところ。
それただ私がこのひとたちを好きだ!と思う理由な気も。
今の私にとって「ひとを大切にする」っていうのは、猫に構いすぎないよう自制するみたいに、「そのひとがそのひとらしくいるのを邪魔しない」こと、尊重というと大げさだけど、そんな感じのイメージです。
自制と我慢は違くて。
でもまだまだ、その「自制」を失敗するときがあるけど。トライ&エラー。
マネジメントとか、そういうのあんまり好きじゃなくて。
「ひとを動かす」という考え方があんまり。
声かけの方法とか、心配りといった技術面でのマネジメントは好きだけど。
だから単純に今の「自制」を練習することは好き。
それが「ひとが離れないため」になっちゃうと、それはまた色が変わっちゃうし。
本当に人がどんどん離れていってしまったら、それはすごく悲しいし嫌だなぁ、ひとりになるのとかもう耐えられないって思うくらいいろんなひとに今助けてもらってるなって思う夜です。
いろんなひとが守ってくれて支えてくれるから、だらしなく笑っていられるわけです。
でも、具体的にどう「ひとを大切に」すればいいかもよくわからないのは考えることを放棄しているからなのか。
9月を終えた今の人間関係はすごくいい感じに居心地が良いので、しばらくこのままいって、本当に人が離れちゃって孤独になったら、どうして離れちゃったかを考えることにしよう、とひとまず結論を出して終わります。
いい連休だったんだよ~~~。
それについてはまた。
読んでくださってありがとうございます。
「ひとを大切にする」
何歳くらいになったらできるかな、あと10年くらいかかるかな。
いつもありがとうって大好きだなって思ってるけど、ちょっとした心遣いができないことや、声掛けが足らないところ、助けてもらっているのに気づかないところ、があるということなんだろう、と思います。
ごめんね、と思う夜でした。
ごめんね。