「自分のことが嫌いだ」
「自分を好きになれない」
のフレーズを短い期間で何度か耳にし、心にのこったので、そのことについて書いておこうと思います。
(今日一番ヨロコビだったのは、大好きなお店にオムライスを食べに行ったときに、改めてドアが蛇口ってセンスあるよなぁと浸れた瞬間でした。)
まず、「自分のことが嫌いだ」と人に話せる時点で、「本当は自分にはいろいろ良いところがあります。」と言っているのと同じこと。
わかりやすい例は、最近はやりのCM、イチローが嫌いだ、です。
僕はイチローが嫌いだ。
彼を見てると、自分は○○だと思うから。
が連発されるこのCM。
○○にはすべてイチロー選手のいいところがはいっていきます。
これをね、「自分のことが嫌いだ」と話しているひとは素でやっているわけです。
「私ね、自分の○○なところ嫌いなんです。」
○○があると観察できてる時点で、わりと自分に関心あるし、それってもう好きだと言っても過言ではないんじゃないかと思うわけです。
(あのCMにでてくるひとたちみんなイチロー選手大好きじゃんって突っ込みいれたくなる心理と一緒)
それに、たいがい(まれにざっくりとしたひともいるから一概には言えませんが)、たいがい、近しいひとから「自分のここが嫌い」と打ち明けられたひとは親身になって話を聞いてくれるもの。だって好きだから。
あなたが嫌いなところだらけのあなたのことが好きだから。
(今日二番目にヨロコビだったのは、お店のブーゲンビリアがいよいよ天井に届きそうだったこと。)
私はあまり優しくないので、「自分のここが嫌いだ」の話に対しては、そうなんだ~と返す場合が主です。
だって、そうなんだ~って思うから。
で、そう返された相手はもっとムキになって話してきます。
「だって、こんなことも、こんなこともあるんだよ!」
「自分のここ最悪でしょ??ねえ!」
と。
いやいやいや。
なんて言ってほしいん。と思います。
(そういうこと他のタイプのことで「やりたいことがあるんですけど」話があるんですけど、それに関しては何百回とひとにしてるので、こんな風に人のこと言えるほど人間できてませんが!)
(ごめんなさい!)
(先にあやまったもんがちなんじゃないかとブログ書いてて思う。)
(ごめんなさい!)
(ブログの内容が不快だ!とかのメールは届いてないんだけど、もし届いたら「お手上げだ!」って思うんだろうな~お手上げ!いいひびきのいいことば)
ねえだって、そんなに嫌いなところがあるあなたのことを嫌いだったら、まず目の前に座らないし、話も聞きたくないし。
あえて嫌いな場所を列挙してくれた日には「そうそう!そこめっちゃ嫌い!」と意気揚々と話します。
でも、そうしないのは、あなたのことが好きだから。
そして、だいたいの場合、「自分のことが嫌いだ」の話をするひとは、本当は自分のことを好きになりたくて好きになりたくてたまらないひと。
こんなところもある、こんなところもある、と話をする自分に、そうだそうだ!と相手がのってくるはずない、とわかっているはず。
でも、話すのはなぜ?
不思議です。
不思議だなぁ。
私は自分のことが好きです。
ばかだし、おっちょこちょいというレベルではない注意力散漫さだし、ひとを傷つける言葉を使いやすい。
努力はできないし、ちゃんと生きることもできない。
でも、それでも、周りにいてくれる大切なひとたちがいる。
そして、そのひとたちのこと大好きな自分がいる。
朝起きて、太陽が美しいと思ったり、やわらかい風にやさしさを感じたりする自分もいる。
ピアノを弾ける自分、歌のうたえる自分、「ありがとう」と「ごめんなさい」が言える自分。
(言えない時もあるし、そういう時うわあってなるんだけれども。)
へたっぴだけど楽しくて仕方ないラートもある。
だめなところも、得意なところも全部まるっと大好きで大切な自分です。
(そりゃもっと美人でスタイルがよくて優しくて胸も大きくてラートも上手だったらいいなとは思うけどさ)(ラートに関してはどうにかできるところですね…)(もちろん今の自分の顔も体も好きだけどね!)
だって、自分のことを一番大切にしてくれて、最後まで一緒にいてくれるのは自分以外にいません。
自分のことを毎日責めて責めて傷つけて、(それこそこの世界に存在する万物の悲しい状況や最悪の事態、まわりのひとの不幸はすべて自分のせいだ!というレベルで)、でもただたださみしくて、そんな自分を愛してくれる人に運よく出会えてすがったところで、今度は「そのひとがいなくなったら」の不安と闘い続けなければいけない。
そんな気持ちで出会ったパートナーを信じてあげられるはずも、上手に愛せるはずもなく、また一人に。
そしてまた…とうわ~~~~なループです。
そんなのずーーっと繰り返してたら、ボロボロになってしまいます。
(まあ、ボロボロになってはじめてわかったことだけれども!21歳!)
別にボロボロにならなくてもわかることなんじゃないのかなと思うわけです。うんうん。
ずっとそばにいてくれて、いつも優しく気にかけてくれるひと。
それが自分。
なが~い(かもしれない)人生、大切な相棒とは仲良くやったほうが楽しいはず。
嫌いなところは全部言い換え可能です。
だって、おっちょこちょいすぎるからみんなが助けてくれるし。
ひとを傷つけたら叱ってもらえる。
努力はできないけど、やりたいことについてはつい結果がでちゃうし、ちゃんと生きられないからみんなが気にかけてくれる。
いっぱいいっぱいの愛をもらう原因が、私が嫌いな自分です。
すごいこと。
そのままで生きてるだけで、十分、十二分に素敵なこと。
生きててくれるだけでいいよ、と思っています。
(自分のここが嫌いだ、と言ってくる大切な人について)
みんな誰かの大切なひと。
だから、ふ~ん、と話を聞くわけです。
で、大好きだよ、と言うわけです。
大好きだから言うんです。
大好きだよと言えない大好きもありますけどね!きゅん~~
読んでくださってありがとうございます。
完璧人間に出会うと恐怖、畏敬の念を覚えます。
「だめなところがあったほうが人間魅力的です、あなたは少し直したところがいい箇所が多いけど」という恩師の言葉が心に響く今日この頃です。
言われたのは高校の頃の私です。
ちなみに、「自分のここが嫌いだ!」と言ってくるひとのなかには、「いやいや、自分の能力はこんなもんじゃないねん本当は!」っていうのを伝えたいタイプもいる気がします。稀にね。
そんなときに思い出す恩師の言葉は「四の五の言わずにさっさとやれ!」です。
言われたのは高校の頃の私です。
やっと自分のこと好きになれたよ、と彼女に伝えられたら、どんなにいいだろうか、と思います。
あの頃苦しんでくれてありがとう、もがいてくれてありがとう、生きててくれてありがとう、と思います。
誰かに恋に落ちるとき、好きになってしまうとき、そこに理由がないのと同じように、自分のことを好きになるのに理由なんかいりません。
赤ちゃんを見るときの気持ちや、すごいラートの演技をみるときの気持ちのように、気づくと湧き上がってくるのが愛です。
そんな愛で自分も、大切な人たちのこともまるっと包みたい。
いや包むよ、ぎゅ~~っと。
(朝活仲間Mを包んでいるこの優しい布は私の妹が誕生日プレゼントに私にくれた愛のかたまり、自分を包んだり、ときどき大切な人を包んだりと愛用しています。)
あなたがあなたとして生きている、それだけで愛おしいわけですから。
(こういうのを夜書くと恥ずかしい文章というんだろうな)
いとおしい!って気恥ずかしい言葉、でも愛おしいだらけのこの世の中です。
読んでくださってありがとう今日もいちにちありがとう!はっぴーでした。
もしよければ会いに来てくださいチケット販売中です~。
愛情はコップのなかの水によくたとえられます。まずは自分の内側をいっぱいに。
私はもうちょっとかかりそう。
おやすみなさい、らぶ!