昨晩は、尊敬してやまないゆうすけさんと、朝活仲間であり大切な友人の教授さんと一緒に晩ごはんでした。
沖縄料理のおいしいお店で。
ゆうすけさんとのお話のなかで、特に記事にしてのこしておきたくなった「ひとの時間をいただく」ことについての考えと、「ひとを嫌うのはもったいないこと」という教え、そして、お話していくなかで自分のなかにあった変化について、書いてみたいと思います。
(左から、日高春奈、ゆうすけさん、教授さん)
ちなみに、ゆうすけさんとの出会いは去年のvision's camp、トポセシアを中心に行われた就活支援のキャンプのなかです。
一泊二日で自己分析も、自己PRも、企業研究も、面接練習もできちゃうすごいキャンプ。
興味があればサイトをチェックしてみてくださいね。
Topothesia | 沖縄のカフェ&コミュニティスペース「トポセシア」
(就職したいのかもハッキリわかります、私はこれで自分の道がなんとな~く見えました、ラートなしはイヤってことも。)
そこで一緒に木登りをしました。
そこから始まったご縁だと、私は勝手に思っています。
(写真は私ひとり。ツーショットはデータ見当たらず…。)
まず「ひとの時間をいただく」こと。
繰り返し繰り返し、今日は時間をありがとう、と言ってくださるゆうすけさん。
教授さんはともかく、私はぺーぺーの学生です(見かけは)(中身はまっちょ)。
そして、お礼と一緒に何度も伝えていただいたのが「何かを返したい」という想いでした。
人間のもっている資源のうちで最も大切なのは時間、それは最も限られているから。
その資源を分けてくれたひとに対して敬意を持たずにいられるだろうか。
感謝せずにいられるだろうか。
自分がこのひとに返せるものは何だろうか。
与えられるものは何だろうか。
という考えからだそう。
でね、合わせてしてくれたお話があって。
この「時間」という資源を唯一乗り越えてしまうのが「情報」だと。
情報は時間を超える。
かっこいいフレーズだなと思いながら聞きほれていましたが。
そうだ!と思いました。
情報がほしい、それもなるべく濃縮された良い情報がほしい。
だから本を買うし、ひとの話を聞くために講演会に行く。
それを共有することは、その時間をかけて手に入れた情報を、時間(コスト)を小さくさせてプレゼントすることと同じ。
いい話だ!
今、目の前にいるひとのどんなお役に立てるだろうか考え事は、だいたいいつもしていました。(ほんとかよ~)
でも、それじゃ足りないんだなとつくづく実感。
そして、それをしている状態って、ものすんごくその目の前のひとを大切にしているってことなんじゃないかなと感じています。
もちろんいろんなタイプがあって良い話。
私はたぶんこのタイプと、もうひとつ、「好きなように生きる」姿を見せることでも喜んでいただけるタイプだと勝手に思っているので、そこも大切にしようと改めて思いました。
(その姿がそのまま、そんなふうにも生きられるという「情報」になるから。)
ん~。これはまだ深堀りが足りていない考え事かも。
(でも本当になんとなく、いつもブログを読んでくださっている方の反応をみるとそんな気がします。自分が自分を生きてそれが「元気」になってそのひとに届くなんて、うきうきする話!ありがとうございます。)
次の、「ひとを嫌うことはもったいないこと」だということ。
これはね~ガツンとげんこつされた気分だったな~~。
いててのて。
すーみませーんでしたーってなったな。
ゆうすけさんの言葉をそのまま引用させていただくと、要はこういうこと。
100人のひとがいて、そのうち80人を好きになれる人と、そのうち80人を嫌いになるひとの未来って同じだと思う?
ね、ガツン。
私はすぐジャッジしてしまう癖があります。
「この人好き、嫌い、好き、嫌い」
それは防衛本能だとも思っています、嫌いなひとってだいたい傷つけてくるタイプのひとが多いから。
でも、「日高のそれはさ~、もったいないよ、世界を狭めるよ」っていう一言で、そうかもしれないなぁとも思ったわけです。
そして、「あと、生意気だよ、おこがましいよ」っていう一言も。
久しぶりに、叱ってもらえて嬉しかったです。
「お前が嫌いなひとのことを世界中のひとも嫌いなわけじゃないだろ?っていうことはその感情はお前が原因で発生している感情、なら変えられるでしょ?」
く~~って感じ。
ラートの新しい技を見て、あれできるようになりたいーーーってなる感じ。
ジャッジしてもいいよって自分に許可をして、それからそのジャッジを手放していく。
そろそろ次の段階にレベルアップする時期なのかもしれません。
しよう!
てってれてーん!
嫌いな人がいてもいいよ。
は、嫌いな人がいることを肯定できない、そんな自分が好きになれないときに癒してくれる魔法の言葉。
そこについてはもう十分に癒された。
私はもう聖人君子になりたいとは思っていないからです。
でも、「嫌いのままでいいの?」と聞かれると、その嫌いだって言った相手のこと、実はちょっぴり好きだったり羨ましがっている自分に気づくわけです。
そして、嫌いだって感じる原因になった「傷つけられた」話も合わせて思い出します。
そして、それと向き合っていくうちにまた癒されます。
「好き」も「嫌い」も自分と仲良くなるためのツールでしかないのかも、しれません。
(生き方は選べるもんね。いつもご機嫌で過ごせるといい、そして、不機嫌なときも、こんな顔でにやにやしながら「やーい不機嫌~」とからかえるくらいの余裕を持とう、と昨晩決めました。)
上に書いた二つのこと「ひとの時間を大切にする」のと「ひとを嫌いになっていいの?」以外にもたくさんの素敵なお話をうかがいました。
ありがたいなぁと思います。
そして、他にもい~~~~~ろんなお話をして実感したのは、「やるかやらないかは選べる」でした。
自分が本当にやりたいことは?を考えるのって実は簡単です。
毎日のなかにヒントがあふれているから。
でも、そのやりたいを「えいやっ!」って踏み出すのは実はちょっと怖いこと。
ちょっとじゃないね、すごく怖いこと。
本当に怖くて怖くて、それは、失敗するかもしれないという気持ちや、すべてをなくすかもしれないという気持ち。
他にもたくさんの苦しさが伴うことです。
だけど、ラートの技もそう、最初の「えいやっ!」がなかったら、練習がそもそもできないわけです。
きっとお仕事もそう。
最初の「えいやっ!」
これが一番怖いはずなんです。
初バーンブリッジ。ひょえ~~!#wheelgymnastics
(まあ最初って、失敗するしねえ。)
昨日ね、私のやりたいこと、ゆうすけさんが応援してくれるって何回も言ってくださいました。
(一緒にいた教授さんのやりたいことも応援するって何回も言ってくださっていました。)
そして、きっと私はそれを実現できると思います。
だってワクワクするんです。
したいことってね、「ラート競技をもっと楽しめる環境づくりをする」です。
そして、「ラートの魅力をもっと大勢に伝える」です。
もっといえば、「ラートを見るとみんなワクワクするに決まっているので、みんなをワクワクさせる」です。
さらに加えたら「ワクワクしたら世界は平和になると信じているので、ラートで世界平和を創ります」なんです。
これをね、一番わかりやすくしたら、まずラートを大勢のひとに認知してもらえる競技にすること。
でね、世界選手権のテレビ中継とかいろいろ考えてたけど、テレビで一番見られてるスポーツの番組ってなんだろうって考え事をしたときに。
あれれ、オリンピックじゃね?となったわけです。
オリンピックじゃね?
と。
だから。
「ラートをオリンピック競技にする」
それって私にとって、すごくワクワクする響きなんです。
でね、実現したいことです。
だって、ラートってすごいんですもん。
自己肯定感バリ上がりますよ。バリ上がり。
みんな自分に自信が持てちゃう。
だって赤ちゃんがはいはいから歩けるようになって走れるようになるまでの過程を、大人になってからもう一度体験できるんだもん。
しかもそれが目に見えてわかる。
しかもしかも、ちゃんとした指導方法があれば超安全。
すごい競技なんですよ。
そして、それはできるって思っています。
なんとなくだけどできる気がしています。
こないだのぢんさん(心屋仁之助さん)との出会いもそうでしたが、ここ最近人生が動き出した感じがすごいあるんです。
でね、超こわい。
だって、それが動き出したのって、「私には就活無理!アルバイトでもなんでもして食べてくからもうしない!」「ラートしたいからラートする!」「みんなと話すの好きだから話すイベントする!」「なっちょんさんと春翠さんの声が大好きだからイベントでみんなに聞いてほしい!」とか。
なんていうんだろう。
なんていうんだろう。
あきらめて手放したあとからどんどんスタートしたんです。
そして、「やりたい」に従っていったらどんどんそれが大きくなっていったんです。
昨日、一番、私にとって大きかった学びは、自分への問いかけについてでした。
ゆうすけさんとお話するなかで、自分が叫んでいました。
「できるか?できないか?じゃないよ、やりたいか?やりたくないか?」だよって。
叫んでいたのは自分よりも大きなもの、きっとユングで言ったら共通的無意識、スピリチュアル的に言えば大きい方の魂、宇宙、龍、なんでもいい。
あなたはやりたいことをやるために生まれてきたんだよ
、と、言われたような気持ちになりました。
できるかできないかは問題じゃない。
やりたかったら応援してくれるひとがいる。
手を挙げるだけなんだとしたら。
ああ、それってなんてすごいことだろうって思います。
みんながみんな「やりたい!」を挙げていったら、きっと世界はもっといい世界。
悲しいことが減る。
社会運動や、それに準じた行動で直接的に今ある「悲しいこと」に正面から向き合っている先輩がいます。
団体をつくりイベントを開催し、みんなに当たり前ってなんだって問いかけることで「悲しいこと」を減らそうとしている先輩がいます。
ひとりひとりとの出会いを大切にしそのひとを愛することで世界から「悲しいこと」をなくそうとする後輩がいます。
私は、私のやり方で、この世界から「悲しいこと」を減らしていく。
そして、そのツールは、この身体、この気持ち、私自身です。
今の私が一番好きなもの、信じられるものが「ラート」だから、私はラートを使う。
自分のことを大切にするってやっぱり人のことを大切にするとイコールだって心の底から思います。
自分のことが大好きで、本当に大切な存在だから、もっともっと喜ばせたい。
その喜びのためには、みんなの喜びも一緒にいる。ひとりでは簡単な欲求を満たすことでしか喜べない。
だからみんなのことも、もっともっともっと喜ばせたい。
幸せです。
生まれてきてよかったーーーーーー!!
今まで出会ってきてくれたひと、これから出会うひとに心の底からありがとうって思っています!
好きも嫌いも超越しちゃうありがとう。
ありがとうありがとう!
生きててよかったーーーーー!!!
あのとき死ななくてよかったーーーー!!!
朝からテンション上がりまくりです。
はっぴ~~~
もしよかったら応援してくださいね!ラートをオリンピックに。夢物語では終わらない気しかしていません。いえい。
今日も読んでくださってありがとうございます。
あなたの一日はすばらしい一日!
なんだかパワフルな一日になる予感です。
バリバリ動くよ。
2016/9/11 Kin6 動き始めるエネルギー。個人が覚悟してやると決めたことが、新しいネットワークをつくっていく。まずはやってみる。決めるとイロイロあれあれ動き出しますしね。ひとりからはじまることって、想像以上につよいんですよ。
— マヤ暦|神聖暦ツォルキン (@mayarekibiz) 2016年9月10日
いつも記事書いたあとにこのtwitter見てリンクを貼るんですけど、本当にすごくない?マヤ暦とのシンクロ率たかくない?すごいことだよ!
なにはともあれ!
幸あれ!いっぱいいっぱいいっぱい幸あれ!幸あれ~~~~!!
らぶ!
今できる技は全部、むかしの自分が失敗した技。
こわくてこわくてたまらないのにいっぱい練習した技。
前の自分にもありがとうって言いたいね。