ここ最近明るい記事が続きました。
(いやニタニタのは暗いかな)
が、明るさあれば暗さもあり、暗さがあるから明るさもあり、というか。
今回はさっきものすごく暗い気持ちになったのですっきりしがてらその気持ちを外に出しておきたいと思います。
(本当に暗い、フェイスブックにもツイッターにも更新したよ!をのせないことにする。読みたい人には届くはず、読みたいひといないかもしれないけど。)
私は人生において、本当に心の底から憎んでいて、許せないと思っているひとがいます。
ひとたち、と言ったほうがいいのかな。
出来事については伏せるとして。
それらにまつわる感情は、ときどきひょいって表にできます。
ささいなことがきっかけで。
精神医学でいったら「トリガー」というやつですね。
手首をつかまれるとか、なんかそういうやつね。
これはね、気持ちでどうにかできる問題ではなく、自分じゃどうしようもないものが多め。
もちろん、その「トリガー」をしちゃった相手に悪いところは1000%ないわけです。
(むしろごめんねと思う、具合が悪い顔を隠せないとなおさら)
パニックにまでいくことは減りました。
その出来事の直後はもう本当にすぐパニックになっちゃってたけど。
パニックってやっぱりストレスの表し方がわからなくてそのはけ口になったときになるんだろうね。
パニックにならない最近は、月に1~2回、うそだなぁ、週に1~2回くらい。
身体は震えるし、とにかく気持ち悪くなる。
頭はガンガンなるし、相手を殺すか、自分が死ぬか、みたいな気持ちになります。
激しいなぁと、その波がおさまったあとには自分とはなせます。
でもその波のなかにいるときはだめね。
意思疎通がうまくいきません。
仕方がないから味わい尽くします。
とはいえ「恨む」ってすごく悲しくて。
なんだかすんごい虚しいわけです。
コミュニケーションではないからかな?
どこまでいっても矢印が一方向だから。
だって、たぶんおそらく相手はね、罪の意識なんてもうなくて、まわりにいるひとだってそう。
うーん、ここはうまくいえてない。
まわりにいるひと、というのは悪くない。
ただただ責める相手がほしいわけです。
でも、責められる相手はいない。
そうなると、リアクションのある責められる相手は自分くらい。
なんであのときあんな軽率な行動を、と責めるわけです。
もっと考えておけば、とか。
だけれども、その考え事をしているとき、最後に頭にうかぶのは、「本当に?」です。
本当に私が悪いのか?
と。
そこで初めて思い出します。
その出来事のすぐあとに外に連れ出してくれて話を聞いてくれた先輩が言ってくれたこと。
暗くどんよりとした海をみながら、一定のテンポで打ち寄せる波の音をききながら。
あの日、大好きな先輩は、「絶対に悪いのは相手だから」と言い切ってくれたんです。
それを忘れない。
(いつもありがとう。)
それだけが今の自分の支えになっています。
さっきまでくじけそうだったけど、今もその言葉をしっかり思い出して持ち直してる。
そしてね、最近やっと、そうやって誰かのことを憎む自分のことを「汚い」「許しがたい」「ひととしてダメ」と思うのをやめました。
だってね、仕方ないんだもん。
許せなくてね。
本当に憎んでいてね。
もうだめだって何回も思ってね、こんな苦しい目になんであわなきゃいけないんだろうねって自分と何回も話してね。
でもね、もちろん「私が悪い」ところもあるのかもしれないって思ってました。
だけどさ、たぶんないよ。
本当にないよ。
っていうか、たぶんこれはそういう経験をした女のひとみんなに言いたいけど、絶対ないよ。
もう二度とそういう目にあわないために「こういうのはだめ」っていう風にルールを増やすことはいいことだと思う。身を守るために。
でも、何があったって、ぜったい悪いのは相手だよ。
本当に本当に、自分を責めるの意味ないよ。
それだけはぜったい本当のこと。
そしてこの経験はたぶん、そう思えない人に向けて私が言わなきゃいけないことがあるからした経験。
「あなたは悪くないんだ」と声を大にして叫びたい。
このブログに「被害者は加害者よりも幸せになれない」と書いてありました。
└ 性犯罪|子宮委員長はるオフィシャルブログ「子宮委員長はるの子宮委員会」Powered by Ameba
大好きなはるちゃんのブログです。
(幸せになれない、という話と一緒に、「ゆるす」「うけいれる」ことができるとどんなか、まで書いてあるよ。わたしはそこまであとすこし。たぶんね。)
そうかもしれないって思います。
だって、たぶんもうすっきりしているはずだもの。
酔っぱらっていたから、自分はこういう気持ちだったから。
知らんがな。
知らんがな!ですよ。
ばっかじゃないのって言いたい。
暗がりで後ろから襲い掛かってめちゃくちゃにしてやりたい。
幸せ絶頂!みたいになったときにその幸せのことどんどん壊していきたい。
もうね、それに関することを詰め込んでいる箱のふたを開ければ私の心はまっくろです。
自分の身体のことを嫌いになる気持ち。
思い出して悔しくて悔しくて、その前の自分をぶってでも止めたい気持ち。
絶対わからんだろって思うわけです。
ぜったいわかんないよ。
わかるはずないよって思うわけです。
たぶん、相手のひとは絶対に一生わからないし。
たぶん、私は相手のことを一生許せないんだろうなと思います。
今、わたしが自分にしてあげられるのは「許さなくていいよ」っていうだけ。
汚い気持ちを持っていてもいいよっていうだけ。
そして「絶対自分のせいじゃない」と言い切ってくれた先輩の言葉をなぞって口にするだけ。
その言葉が自分のものになるまで。
気持ちがあふれちゃったから文字にして記録。
1000分の1だもんね、こんな記事があってもいいでしょう。
気持ち、しっかり味わい尽くしたので、次のことやろうと思います。
癒されnight?のこと。
癒されないとね!って笑える自分はやっぱり強いねって、そう思います。
読んでくださってありがとうございます。
ひとりで抱えちゃってどうしようもなくなっていたら、まわりのひとに話したらいいと思います。
まわりに話せるひとがいなかったらインターネットを通じて見つけたらいいと思います。
このブログにもメールフォームあるし。
うん。
読んでくださってありがとう。
そういう気持ちがわからないけどわかりたいひとはこんな本がわかりやすいのかも。
でもすごく元気なくなるけどね、読んだあと。
「許す」ことのできない自分が苦しいひとは心屋仁之助さんがいいね。
どんな自分にもまる、がおすすめだ。

心屋仁之助の「ありのままの自分」に○をつけよう: 「感情」を出したほうが好かれるフシギ (王様文庫)
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まだまだ練習中、まるをつけること。
むずかしいって口癖なおして、かんたんって言うんだ。
読んでくれたあなたにさちあれ。
いやな気持ちにさせちゃったらごめんなさい。
らぶ。