小さなお花の一折。
白い四角い紙に書かれた短い言葉。
神社でふわっと感じた優しい風。
手を清めたときに浴びた気持ちの良い水。
大切なことは、きっといつも身近にあって。
その身近なことを大切にするから、もっと遠くにいける。
そんなことを感じ切った一日でした。
(いっぱいどうもありがとう。)
kin260というエネルギーの流れていた今日。
みんなとコジコジで大笑いした今日。
私は今いる場所、今出会っているひとたちが大好きです。
本当に本当に大好きです。
毎日、朝から始まって夜眠るその瞬間まで、嬉しいことも悲しいことも、美しいことも汚いことも起きます。
すべては0です。
でも、その0のことが大好きです。
「大好き」というのはなんなんだ、と思います。
大好きってなんなんだ。
好きの持つパワーについてはこれで書きました。
大好きの持つパワーはね「エンジョイ力」だと思っています。
毎日のちっちゃいことから大きなことまで楽しみ尽くす。味わい尽くす。
それを、助けてくれるのが「エンジョイ力」。
いくらでもできてしまう気に留めないということ。
流そうと思えば、毎日のだいたいのことは忘れてしまう。
掴んでいたいと思っても流されてしまうものだけど。
その「流れていく」感覚のことはとても好き。
でも、ただ流れてしまうのはあまりにも寂しい。
歳を重ねる意味がわからなくなってしまうから。
流れていきながら、その景色ひとつひとつに「ありがとう」「大好き」を当たり前に思う。
それが「エンジョイ力」っていうイメージ。
だから、私は好きなひとがいっぱいいてツイテルし、そのひとたちと毎日あえて、あえなくてもつながっていて、そしてラートが触りたいと思うときに触れる場所にあって、お花をくれるひとがいてっていうこの毎日が大好き。
(とっても嬉しかったよ。)
うまくいえてない感じがする。
でも、ぐっすり眠ったあとに、パソコンの上に置いてあったこの紙とお花に触れたときに。
なんて幸せ者だろう、と、思ったら、なんだか、ね。
(そんなに深い気持ちで書置きをのこしてくださったわけじゃないだろうけれども、ね。笑)
なんとかなるよ、の一言に私の体の中にあったら毒気は全部とかされてしまったわけです。
明日からまた新しい「城」、それもkin1~の城。
(マヤ暦では期間が5種類あるそうで、それぞれの期間を「城」と読んで分けるそうです。引用元はこちら。)
種まきをする時期にあたるそう。
ものを起こすことに向く時期、というわけです。
あなたのこれからが「大好き」にあふれた城になりますように。
そんな気持ちになったので、眠る前に、これを書いてみました。
前提にね、「好き」や「愛してるよ」のある行動は強い。
私がいま強いのは、そこに理由があるような気がしています。
読んでくれたひとに大好きが届きますように。
いつもありがとう、読んでくださってありがとう。
さらさらと流れるように生きながら、その景色を愛して、出会った人たちを愛して、生きていきたいなぁ。
あのね、今日はね、9月22日のイベントに出演してくださる春翠さんがトポセシアに来てくださったんです。
お会いできてとても嬉しかった。
「できないんじゃない?」というひとは、それについて挑戦したことがないひとだったりする。
だから、踏み出し続けているひと、もがいているひと、そんな自分を見つめているひとのこと、私は大切に感じるんだなと思いました。
今一緒にいるみんなだね。
もしよければ、その素敵な歌声、ききにきてください。
いろいろなお仕事は明日の朝、ラートを回ったあとにやろう~っと。
春翠さんよい笑顔。油そばごちそうさまでした!
そうそう。
もうひとつ気づいたことがあって。
私は何かを「大好き」だと思うことに関しては本当にエキスパートと言ってもいいくらいに上手。
愛することが好きな性分なんだと思います。
好きなひともすぐできちゃうし。(これについては良し悪しね。)
でも、好かれること、愛されることについてはへたっぴ。
たぶんね、「愛されるはずない」って思っている自分がいて。
こんな自分では愛されないって自分になが~~~~い間言ってしまっていたから、もういまさらどうしたらいいかわからなくなるくらいに、気持ちの結び目がぎゅーってかたくなってしまっている気がします。
だけど、それってひっくり返したら、「すんごく愛されたい」自分です。
尊敬しているいかりんさんが、こんな言葉を書かれていました。
面倒くさい人は
一番愛されたくて
そして、愛がある人
な気がする
ただ、愛の出し方と...
受け取り方が
まだわかってない
だから
面倒くさい人が
一番大化けして
面倒くさくない人になる
だから私は面倒くさいんだなと思いながらこれを読みました。
話しかけていいタイミングを見分けたり、相手してもらえなくてもいじけなかったり、そういうのがまだできない。
連絡が返ってこないとドギマギしてしまう。
相手の態度がわからないと、その言葉の意味がわからないと悲しくなってしまう。
でもすごくすごく好きで、役に立ちたくて。
朝活仲間の教授さんは、それについて「痛いほどまっすぐ」と表現してくれます。
(みんな優しいよね。安心して子どものままでいられます。ありがとう。)
もっとスマートにできたらいいんだけど。
あ。
ここまで書いてわかりましたが、だから最近ストレートに「好きだよ」と伝えてもらえることが増えたのかもしれません。
何があっても大好きだからね、と言ってくれたのはやよいさんでした。
やよいさんがどんなに優しいひとかはこの記事に書きました、美女。
そんな風にストレートに言われると逃げ場がないわけです。
「でも」の入り込んでくる隙間がないわけです。
それってね、すごい幸せなこと。ありがたいこと。
そして「大好きだよ」のその言葉については受け取れるんです。
それ以外の態度やプレゼント、スキンシップは、まだぜんぜん受け取れない、手が震えてしまって落としてしまうようなイメージ。
これから始まる「城」kin1からの毎日。
私は何を始めたいって、ひとにいただく「好き」という気持ちを受け取ることをしたいと思います。
ありがとう、で一段落つけてしまうのではなく。
なんていうんだろう。
そのひとのなかの「善意」を信じるということ。
裏切られてもいいと思うこと。
切り捨てられてもいいと思うこと。
それによって自分の価値は変わらないと信じること。
そして、そのひとが「好き」という言葉で私を縛ろうとしているわけではない、と感じ切ること。
やっと、自分のために生きることができるようになってきたから、だからこわい。
長い時間をかけてやっと自分のことを好きになれたから、自分が好きな誰かにその大好きな自分を否定されてしまうことがこわい。
すごく等身大な気持ちです。
読んでくださってありがとうございます。
きっと自然にぐんぐん成長しちゃうもの。「好き」を受け取ることも、もうすぐできるようになるね。
いまとっても大好きで役に立ちたくてたまらないひとに、好きになってもらえるか、そばに置いてもらえるかは、また別の話だとわかっているけれど。さみしいね。
どうトライするかはきっと明日の朝になればわかること。
幸せな期間でした。マヤ暦にもありがとう。
読んでくださった皆さんのkin1~の新しい城、応援しています。
できることがありそうだったらいつでも頼ってくださいね。
かんしゃ!幸あれ。おやすみなさい。また明日。
ちょっと照れくさい内容でした。
らぶ!