生きることは表現することだな、と思います。
表現することは生きること、とも言えることだけれど。
まわったり。も表現。
何かを大切にしていて、何かを感じていて。
それをまっすぐまっすぐあらわしていて。
そんなひとに、こんな風に大好きだと言われると、私は弱いです。
(それにしてもサムネイルの画像はすごいですね、目4倍くらい)
とてもうれしくなってしまって、頭がぽっとします。
うまく考えられなくなって、そわそわします。
照れるというのは不思議なこと。
言いようのない感覚。
かわいい、きれい、やさしい、おもしろい、あたまがいい、かしこい。
どれも、ふらふわと心のなかに踊ります。
一番好きなほめ言葉はなんだろう。
最近すきなのは「よくできてると思うよ」ですね。
何かを伝えようと思って書いたものが伝わると、私は嬉しくなります。
さっき、だいぶ伸びてきた髪をいつもより高い位置で結んでいることに気づいて、
かわいいね、とほめてもらえてうれしかったです。
ほめてもらう、のも好きです。
プレゼントをもらうのも大好きです。
ほめられすぎると不安になるので、叱られるほうが好きですが。
「好き」というのがもう好きですが、これはなかなか曲者です。
特にひとが対象になってしまうともう悲惨。
本当に本当に好きになって、相手が幸せだったらそれでいいねと思っていました、が、
なんていうか、こう、それがそうでもなくなってきてしまって、
そうするとそれはもう「執着」かなぁとも思うので、難しいところです。
好き、は大変むずかしいわけです。
月に一度、二度、気持ちが静かに静かに沈むときがあります。
今日はそういう日だなぁと思いながら朝から過ごしているわけです。
(といっても、4時間ラートの練習をし、5時間はたらいてはいます。)
(わりと、盛りだくさんな一日でした、気分的には。)
ぽーっとするわけです。
沈むというのは悪いことではない、というの今はわかっています。
たくさんの感情のなかに埋もれていく瞬間は気持ちがいいです。
同じように、思考、経験、エネルギー、自然、なんでも。
夢中になったり埋もれたりもぐったり。
「深めていく」のが好きなのかもしれません。
ラートの練習も同じようなこと。
どの角度でどう力をいれるか、をたくさんの練習のなかでつかんでいくわけです。
それはとても楽しくて幸福な作業だと思います。
「深めていく」ことは私を豊かにします。
どのイベントも何かを深めることにつながっていて。
これもね。
【DIY】「夏」を持ち帰ろう!を開催しました。 | Topothesia | 沖縄のカフェ&コミュニティスペース「トポセシア」
その何かは、ひとつひとつ色は違うけれど「私らしさ」を構築する材料になります。
このブログも、もうすぐやっと50記事です。
自分の気持ちをたくさん書いてきました。
ひとへの気持ちもたくさん書いてきました。
これもひとつの表現で、そして「深めていく」ことです。
これから先、どんなふうになにを書いていくのか、方向性も決めていなくて。
「おもしろい」観もまだないけれど。
ゆっくりしっかりだらだらと、ワクワクしながら書き続けられたらいいなぁって思っています。
今日は、5時半に起きてから今までずっとパタパタしていたのでこんなブログになりました。
そして、またお仕事モードに戻るので、またパタパタします。
パタパタするとご褒美がもらえるのも好きだけど。
パタパタするのは本当に好きです。
だれかに必要とされている、役に立てるまでの過程に思えるから。
だれかの役に立つ、そのために生まれてきたのかもしれないね、とよく自分と話します。
そうなのかもしれないね。
でも、生きているだけでだれかの役に立っているみんなのことを知っているので。
たぶん私もそうだねとも思います。
そして、同時に、その「生きてるだけでいいんだよ」に何かを積み上げていきたくなります。
その積み上げていったものは、だれかの役に立てた経験たち。
それが積み重なっていた先に、また違う誰かの「生きてるだけでいいんだよ」感覚になる気がします。
どんな自分にもまるをあげるのは難しいけど、
こんなゆる~っとしたテンションの自分にも、いいね、をあげよう、と思う夜でした。
月がとてもきれいで、大丈夫だよと言われているような気がしてとっても嬉しかった夜でした。
読んでくださってありがとうございます。
今日も今日とて回って笑って泣いたり怒ったりしました。
感情を味わっているとき、「生きてるなぁ」と思います。
明日もそんな風に生きたいと思います。
ありがとう。
■「グレイト・スピリッツは誰もに美しさを見る。烏が鷲になる必要はない。」【スクァミッシュ族】
— ネイティブアメリカンの名言 (@Indianteachings) 2016年8月22日