自分の内側、と、外側にある世界、というのは同じもの。
ということを、最近、多く経験しています。
思うこと、悩むこと、考えていること。
これらが外側にそのまま反映されているのは面白いです。
なんにせよ「世の中」とされている外側も、「自分」(内側)からしか解釈できないので、これはいたって当たり前のことでもありますが。
( その境目にある身体と洋服についての考え事も非常に楽しんだけれど今回は割愛。)
そんなときに、喜多恒介さんのツイートが流れてきて。
150人か~となりました。
人間にとって、平均約150人(100-230人)が「それぞれと安定した関係を維持できる個体数の認知的上限」である https://t.co/ljMK3EpVLd
— 喜多恒介bot (@kosukekitabot) 2016年8月16日
今、身の回りにいてくれているひとをその人数で割ると自分になる、という言葉も知っています。
誰が言ったことかは覚えていません。
この言葉も「内側=外側」を表しているだけだ、と思います。
結論から先に書いてしまえば。
「世の中」に存在するひとびとを感情で捉えると、その感情はまるまる自分への感情と同じこと。
能力という面から捉えると、たいていの場合、足りないと思う能力は全部外に揃っています。
逆にいえば、周りにない能力がそのまま自分の能力だということ。
そして、出会う出来事たちは、いま現在あたまのなかにある思考がそのまま現実化したもの。
そうすると改めてこの言葉が染みます。
人間関係とは、お互いが100パーセント本来の自分になることをサポートしあうために存在しています。 by バシャール https://t.co/78sidBRIAK #バシャール
— Bashar Spirit (@bashar_spirit) 2016年8月14日
その通りだ、と思っています。
だからチームなんだよなぁというのも最近やっと理解しました、おせーよ!
今回は、昨日の夜から頭のなかにある「内側=外側」の考えをいったん整理してみたいと思います。
(海に気持ちを置いてくる、ということをよくします。ブログを書くというのはそういう意味で海へ行くのと似てる。ブログは「発信」ではあるので少々違うものの、インターネットという見えない本棚、ファイルのなかに、頭の中を占めている考え・感情を預けていく作業だから。)
・自分メガネ
・今までと今
・「今」が一番幸せだ、の意味
自分メガネ
自分を内側として、世の中を外側とおいて。
日々生きている私は、この「世の中」(社会)に生きているわけです。
そこで出会う出来事によって内側が反応し、よく考え、よく話すことで身の回りの社会に影響を及ぼし、消費行動によって大きな社会にも影響を与えています。
出会う出来事たちはすべて五感を通して身体のなかに入ってきます。
身体は、世の中と自分を区切ってくれる枠、と言えるかもしれません。
(本当は身体は形だけで、もっと大きな枠がその外側にある気がする、範囲としてはパーソナルスペースというか、それに似た違うもの。)
(最近これが恐ろしく広く大きなひとに出会ってびっくりした。オーラなのか?)
まわりで起こること、すべてがあなたのコントロール下にあります。 by バシャール https://t.co/iv9zELGmrI #バシャール
— Bashar Spirit (@bashar_spirit) 2016年8月14日
だから、まず大前提として「世の中」は自分メガネを通してみているものであって、ただそこに実在する「世の中」を捉えることはとても難しい。
論文にしたって、選んでいる参考文献やデータに偏りをなくすことは本当に難しい…。
同じように人の気持ちのそのままを理解することもほぼほぼ困難。99.9%むり!
だから、あんまり「あのひとは今どう思っていて、どう考えていて、怒っているに違いない…」という考え事しても意味ない。
これは自分に言い聞かせている最中の言葉ですが。
あとはう~~~ん。
まだまだうまく言語化できていないけれど、こんなイメージ。
要するに多くの「自分」に関するヒントは、必ず今目の前にしている外の世界にある、ということです。
(この絵みればみるほど伝わらない気しかしない。ごめんなさい。)
情報を取捨選択しているのは自分メガネだから!
アンテナを張っているのは自分だから!
瞬時に要る要らないを見分け、そして目に映すか記憶するのかとかまでコントロールしているのだから!
だから。
外側の世の中に対する考察にエネルギーを使わない。
すべてを自分の投影だ、と思うと、自分の本音や「本当にやりたいこと」に出会いやすいのでは、と思うわけです。
(思えよ!とか「やりたいこと」探せよ!というニュアンスでは書いてないです。)
(あと暗い出来事とかイライラする出来事にこれを必要以上に当てはめるとしんどいので、そういうときは存分に「人のせい」にすべきです。)
私の話で言えば、羨ましいと感じるひとは自分ブランドで食べていて素敵な暮らし方をしてるひと。
そして、魂のこもった作品でいろんなひとを楽しませているひと。家族を大切にして、家族に大切にされているひと。
そういうのを実現したいんだよね、体験してみたいんだよね、と自分とよく話をします。
好き、嫌いは、思いのほか複雑で、自分のなかにある同じようなものに反応して好きだと思うこと、嫌いだと思うこともあれば。
単純に「ない」から拗ねて嫌いの場合も。
(この場合は嫌いを手放して「いいね~~~」と言えると同じスペースの好きとか「ある」がはいってくるんだけれども!)
ここは文字だとちょっとうまく伝えられないなぁ。
すべての状況というのは中立的で、空白で、空っぽで、ゼロです。どんな状況でもすでにその中に含まれている意味というのはありません。すべての意味はあなたが与えています。 by バシャール https://t.co/7UrlPMSX8p #バシャール
— Bashar Spirit (@bashar_spirit) 2016年8月10日
たいていの場合単純な嫉妬は「能力」へのもの。
そして、同じ程度の別の能力が自分にあるか、もしくは「ない」とあきらめて、褒めまくり、助けてもらえ!ということ。
幸せに生きるためには、
— おもいはかなう (@omoiwa_kanau) 2016年8月12日
自分自身を敬意をもって
「世界一大切な人」として扱うことです。
最高にすばらしい人として向き合い、
その人の幸せを心から願うのです。
本田健
うまく書けてない感あるけれど、とりあえずこれは今の自分が「楽しく生きる」ためのツールとしての世の中の見方です。
自分が心地良く生きるための一番のポイントは「スルーしない」ことだと思っています。
ワクワクも、嫌い、も素通りしてしまううちに、だんだん感度が鈍ってしまう。
みんなと同じ、でいいのであればそれでもいいのかもしれないけれど。
別個体に生まれてきた意味は絶対にあるんだから、徹底的に自分を生きよう、と決めています。
あと、何かを理解しきる、ということは無理だ、とわりと放り投げてしまった!
ひとの気持ちもわからない、状況もわからない。
わからないことは、想像したけどわからなかったと伝えて、教えてもらう、より細かく想像の材料をもらう。
だから、いま周りにいてくれるひとはそんな自分を許してくれているひとたちなので、おそらく相当心が広いんだろうなと思ってる。
そこにあぐらをかくつもりはさらさらないけどね。
(もうね、自分メガネというよりも、自分サングラスと言った方がいいレベル!)
(思い悩む必要なし!)
今までと今
だいぶわかりにくいかな、と読み返していて自分でも思います。
ということで、この話を今までの人生に当てはめて考えてみると。
振り返ると長いなぁ。
最近の人間関係模様と出来事たちでみるとめっちゃわかりやすいんですよね。
前までって、自分のこと応援してくれるひとよりも批判してくるひとのほうが多かった。
あとは間が悪く叱られることが多かったし、お金もぜーんぜんなかった。
どうしようもないことで傷つけられることもあったし、誰を信頼したらいいのかわからなくなるような出来事もあった。
今は、周りには応援してくれるひとしかいないし、叱られる内容もポジティブなもの。
お金も流れてくる。(たまたま今月と来月は合わせて5万円くらい足りてないので、ここをどうにかできると幸せ倍増、だれかどうにかしてほしい)
やりたいこともたくさんあって、毎朝起きると嬉しい気持ち。
この変化は、まず自分への気持ちの切り替わりがやっと済んで、セカンドバースデーを迎えたから、だと思います。
それに気づいたときが、あなたのセカンド・バースデー。
— Yuttie (@zoktotuya) 2016年8月15日
この「自分への気持ちの切り替わり」っていろいろな言葉で置き換え可能。
アファメーションがやっと定着してきたとも言うだろうし、自分のことを好きになったとも言える。
一番わかりやすい表現でいうと。
「自分は生きてるだけで素晴らしい存在だ。」
ですね。
これを割りと心の底から思っているのがその理由。
どういうことかというと、大前提が変わった、自分メガネの色が変わったんです。
自分への気持ちが憎しみではなく愛を起点としているから、同じように世の中も憎むべき存在から愛すべき存在に変わったというか。
本当に内側と外側は「=関係」にあるんだと思います。
この気持ちになるまで長かった~~~。
なれたきっかけは本当にたくさんのいろいろなんですけれど、多くは言葉と愛情。
みんなのおかげで、ということです。
でも、そのみんなに出会ったのは私が選んできた人生のおかげ。
だから本当はずっと前から私を私をずぶずぶに愛してあげたかったんだよなぁと思います。
本当に本当にずーーっと前から。
自分のことなんかだいっきらいで、もういるだけで迷惑かけてる存在だと思い込み続けて20年あまり過ごしてしまったので。
その濃度は高校生が終わる頃からだんだん薄くなってきてはいたものの、大学1~2年のときはまだまだ濃かったかなぁ。
最近2年間くらい、まあ要するに親権がとれてから、ほいほいほーいっといろんなことから自由になり。
しがらみを抜け。
そんなときに「自分の人生に期待できるのは自分だけだよ」という言葉や「出会えてよかった」という言葉。
要するにこの記事で書いたいろいろのおかげで私は変われたわけです。
変わると決めたのは高校2年生のときだったね。
17の頃ですから、4年前。
(高校卒業したばっかりのときの写真、なぜか今のほうが若いと思う写真ばかり、そういうことだよ!)
「今」が一番幸せだ、の意味
っながいかなぁ~~~。
今日の朝の心屋おみくじの言葉がね、これだったんですよ。
言うたら、この言葉がこの記事のすべてなんですよ。
今目の前にある状況、世の中、外側にあるものたちって自分がそうであってほしいからそうなっているだけ。
望んでいるからそこにあるだけ。
だから、こんなの望んでないって思うなら、自分ともう一度よく話せばいいだけ。
苦しくてしんどくて、ええこんなんも自分なんですかほんまに、というところまでまるっと受け入れてしまうだけ。
自分の幸せはこんなんじゃない、と思うなら、変わればいいだけ。
ただそれだけのこと。
(しあわせ~~~~)
昨日、自分のことを嫌いなひと、好きなひと、のことをそれぞれ思い浮かべたときに。
前は嫌いなひとのほうが多くあげられたし、そういう出来事も多く見つけられたのに、今は全然違うなぁと思ったんですよね。
で、その違うのってまるまる自分への気持ちと一緒だ!ってなったときに他のこともぶわぁーーっとわかって。
この記事で、顕在意識3:潜在意識97というのを書いたんですけれども。
この97人の船員たちがそのまま、おそらくそのまま世の中に「周りのひと」として存在してくれてる。
その感覚が今の私を本当に本当に勇気づけてくれたので、背中をバシッとたたいてくれたので。
ああ、やりきろう、と改めて決められました。
まだまだ全然、全部の経験に「いいね」ができるわけじゃありませんが、でも「いいね」と思えるようになる日は近い。
それに、おそらく、もっともっと素晴らしい経験が自分のこと待っててくれる予感がキラキラしてます。
もっともっと自分の「幸せ」を追求していこう、と決めた日でした。
読んでくださってありがとうございます。
いろいろわけわからん記事だったと思います。
何か特に気になるところあったらご連絡ください:)
facebookもtwitterもコメントもありますます。
2016/8/17 Kin241 落ち着いてる人も、せっかちな人も、お休みの人も、みんなそれぞれの自分の「直感」を大切にしてみる。リラックスして「直感」がでやす状況をつくる。右脳(直感)は、場数を踏んで経験値をあげることで鍛えられるようですよ。
— マヤ暦|神聖暦ツォルキン (@mayarekibiz) 2016年8月16日
今日はこんな日だって!
シンクロ率たかいよね、きゅん!
やったるで~~~な午後のスタートです!いぇいっ!
たいせつなのは、自分のしたいことを、自分で知っていることだよ by スナフキン
— Copy writing (@Copy__writing) 2016年8月16日
バシャールいいよ~~たのしい!