続けるということは、苦手なことのひとつです。
飽き性で、かつ好奇心旺盛ときてるので、ついついつまみ食いのような真似ばかりしてしまいます。
・「続ける」ことへのトライ
・ブログとラートと、あとは……
・飽きてもいい、続けてもいい
「続ける」ことへのトライ
最近「続ける」をしていること。
このブログと朝活が割りと歴が浅い「続ける」かなと思います。
ブログはこの日からしっかりスタート。
朝活を始めたのはこの日の三日前。
なんだかずっと前みたい。
ブログは21日続いていて、朝活は今日で24日目。
朝活仲間も増えました。
朝起きて、迎えに来てくれるひとがいて、好きな音楽を聴きながらお店に向かって、友達も集まってきて、「おはよう」って言い合って、みんな別々に座り、それぞれ作業してるんだけど、目の端には居るのがわかる。ありがとうだらけ、超幸せ。 pic.twitter.com/3M9pw0heoT
— 日高春奈 (@pipapapipapa) 2016年8月8日
(みんな6時半~7時の間にそろう、すごいね!)
基本的に自分に自信がなかったので、どちらについても、まさかこんなに続けられるとは思いませんでした。
(こんなに、の次元が短いか。とは思います。すこしね笑)
ブログとラートと、あとは……
なんで続くんだろうって考えると、続いたものと続かなかったものを比べたらいいのかなと思って。
21年と5ヶ月のこの人生。
はっきりと覚えていて、続いているものはこんな感じ。
(年間は目安として、いまのところ、という意味で)
1. 読書…6歳~21歳 15年間
2. ピアノ…4歳~14歳 10年間
3. ラート…18歳~21歳 3年間
4. トポセシアのバイト…20歳~21歳 1年間
一ヵ月未満たち
5. ブログ…21歳
6. 朝活…21歳
あとは他に不定期にお菓子作りの波とお料理の波がきます。
手芸の波がくることもある、不器用だけど作るのが楽しくて。
大学生とか、生きる、とか、お風呂、とかは、なんか受動的に続いてるものだから割愛。
やめちゃったもの、を並べていこう!と意気込んだものの。
忘れちゃいました。あらら。
都合の悪いことはすぐ忘れちゃうので、周りのひとは困っているだろうなぁーと、時々反省します。
それも忘れちゃうから手の施しようないなとツッコミいれつつ。
(はじめてラートをした日。18歳だね、いまのほうが顔わかいきがするよ)
飽きてもいい、続けてもいい
上に書いたものたちを続けられている理由ってどこにあるんだろう。
ランキングにしてみるとこんなイメージ。
じゃかじゃかじゃん!
1. 好き
2. たのしい
3. 反応がもらえる
自分のなかにある理由ばっかり。
脳を分解して調べたら、報酬系が反応するのかな?もっと深いところも反応してほしいけど。
ここまで書いてきて、あ~いいなぁ~と思いました。
何がっていうと難しいんだけど。
「長い目」を持つというのもいいことだな、と思ったんですね。
一日一日を生きることに集中して、目の前の毎日を生きるわけです(そんなに力は入ってないんだけど)
あんまり明日のこと、その先のことを考えません。(考えられないとも言うのかもしれないね)
でも、たとえば、私は昨日とても悲しくてつらい気持ちのなかに少し立っていました。
ラートを目の前にしても気持ちが上がらない、楽しくない。
身体に少し意識を向けたら、身体がラートに乗りたくない、という。
でも、そんな風になると、すごく自分に自信がなくなります。
あんまり好きじゃない、そんな自分。まるをつけてあげられない自分。
大会前だよ、とか、後輩はどんどんうまくなるよ、他大学の同期も。とか。
こんなんじゃパフォーマーは無理だね、やめとけば。とか。
気持ちにムラがあるようじゃ何もできないね。
どれも、いろんな場面で勝手に輸入して自分のなかで育ててしまった気持ち。
いじけむし。
大好きな大人たちがくれた言葉でもあります。
採用してきたのは私。
とにかく昨日は、深呼吸を何回しても無理なときはもう無理なんだな~とあきらめて練習を放り投げてさーっと帰宅。
あらら。
あらら~。
「長い目」で見たら、ラートを続けて4年目になる年。
飽き性だった自分が、こんなに長く練習を続けて、大会に出ているというのは実はすごいこと。
そもそもインドアだった自分を思い出すと、なんでこんなものにはまってるんだろう、とすごく不思議です。
しかも、パフォーマーになって世界一周の船に乗りたい、とかね。
そんな夢まで。
短い目でみると、昨日の私なんか大っ嫌いです。
ばかやろう、と思います。
がんばれ、と。
なんでがんばれないんだ、に近いかな。
受験期の自分にも同じような言葉を毎日毎日ぶつけていました。
もっとひどいこともいっぱいしちゃった気がする。
とっても勉強ができなかったので、あの頃、一日平均6時間になるように勉強をしていて、勉強時間が14時間を超える日も時々あって。
楽しいし面白いし、先生たちが見てくれたからそれだけ勉強ができたんですよね。
でもやっぱり時々やんなるわけです。
その度に、自分を嫌いになる、責める、先生たちに八つ当たりの繰り返し。
う~ん書いてて思い出しても、みんなにも自分にもごめんねーって思うな。
(だいたいあの頃は生活も自分とお姉ちゃんの二人で回して・・・だからもう少し肩の力を抜いてよかったのにね。)
だからパニックもたくさん出てたんだろうなぁ、と思い返すとわかります。
今はもうほっんとにすごくたまになっちゃうくらい。
それも、身体が嫌な事を思い出して、とか、そういうトリガーがあってなるもの。
そのトリガーもやっかいで、まだまだ折り合いをつける練習中です。
あとは、どうしようもなく気持ちが悲しくなってなるときもあるかなぁ。
でも、パニック障害って、たぶんだけど、もうどうしようもなくなっちゃった気持ちを身体が外に出してくれる作業だと思ってて。
パニックになったあとはくたびれるけど、なんだかスッキリしてるから。
ひとといるときになりそうだとお手洗いに駆け込んだり、って毎日もあって、今はそこまでじゃないからそう思えるのかもしれないけど。
そう思えるようになったのも、同じ自分だと思うと、なんだか嬉しい気持ち。
あの頃のお守りのピアス。
中学、高校、大学生の前半がしんどかったのって、俗にいう「思春期」とか「多感な時期」だったから、というのが理由ではないと思います。
身体的な発達と精神的な発達のバランス、だとか、自我の芽生えだとか、そういうんじゃなく。
単純に人生の経験年数が少なすぎるから、「ま、いっか」「そういうときもあるよね」という言葉が自然にでてこない。
ゼロか100の極端な目でしか世界を見れない。
だから自分にも周りにも完璧を求めてしまう。
でもその完璧を求めるのがなんか違うのも、感覚的にわかる。
どうしたらいいんだ!
という感じだったんじゃないか、と思うわけです。それが思春期なのかもしれないけど。
自分が「思春期」だった頃、苦しくて苦しくてたまらなかった頃、大人のひとたちから「思春期だもんね。」の一言で片づけられて、くそうってなったのよく覚えてるなぁ。
(でもよく考えると、それはそのひとたちなりに「思春期」に何かを凝縮させてたのかも、どうかな。)
話がだいぶずれちゃった。
そう、それで、最近やっと「飽きてもいい」と思えるようになりました。
そして「続けたっていい」も育ってきた今日この頃、です。
なにかっていうと、極論どっちでもいいわけです。
毎日が楽しくて、自分が最高!な気分で過ごせて、自分のことを好きになれるんだったら、周りにその好きを分けられるなら。
続けたってやめたってどっちでもいい、と思います。
「短い目」でみてしんどくなったら「長い目」に頼ってもいいし
(毎日がんばらずに休んだっていいわけだし)
「長い目」でみてしんどくなっなら「短い目」に戻ればいい。
(大きな目標は大きすぎる山だから、とりあえず一歩一歩登ることを楽しめたらそれでいいよね)
わかりやすい夢もなくていい。
大きな目標もなくていい。
就職しなくてもきっとなんとか生きられるくらいには稼げるでしょうし、生きてく道はたくさんある。
(先生が卒業のときにくれた日めくりカレンダー)
こうじゃなきゃだめ、なんてルールなんて、幻でしかなかったんだなぁ、と嬉しい気持ちでこれを書いています。
読んでくださってありがとうございます。
後半のところは特に、育ててくれた叔父がよく口にしてくれたいたような気がします。
そして、私も自分より人生経験年数の少ないひとにそれを言います。大丈夫だよ~~~と。
別に受験に落ちたって、就職活動ぜんぶだめだって、そのほかにいい道があるよ!というメッセージでしかない。
のかな?と思う。
自分の生き方で証明できたらいいなぁ。
「がんばることが当たり前」な世代。
「がんばらなくてもいいことを感じ始めた」世代。
「がんばるの意味が変わった」世代。
私の世代は、「がんばらなくていい」世代。と思います。
思いっきり自分のやりたいことを一生懸命やる世代、といったほうがいいのかな。
その世代をつくってくれているのは上にいるひとたち。今、うえにいるひとたち。
トポセシアで働いていると、そんなことを時々ふわっと考えることがあります。
いつもありがとうございます。
みんな幸せになれ~~~、と思います。
ブログ、意味あるの?とか。
読んでもあんまりおもしろくない、とか読む気しない、とか。
そんなことをいちいち言ってくる自分もいるけど、1000記事続ける頃には、こりゃすごく自分のこと好きになっちゃってるかもな、と思う朝でした。
そんな今日のマヤ歴エネルギーはこんな感じですって!
2016年8月9日 Kin233 背筋を伸ばして「変化を受け入れる」。簡単そうで簡単じゃないことだけど、小さな変化からも、新しい価値観を手に入れることができるのだと思うのです。
— マヤ暦|神聖暦ツォルキン (@mayarekibiz) 2016年8月8日
いいね~~~!
みんなフォローしたらいいよ、書いてるの私じゃないけど。
今日も読んでくださってありがとうございます。
素敵な一日になりますよ!いえ~~~い!はっぴー!!
あの頃、というのは14歳~17歳。
あの三年間を支えてくれたひとたちには感謝してもしきれません、ありがとう。
先生たちにも、血のつながりはないけど家族だと思っているひとたちにも、もちろん本当の家族にも。もちろんろん友達にも!
バスの運ちゃんたちにも、コンビニの店員さんたちにも、駅員さんにも、よくしてくれたひとみんなに!あの町に!
このありがとうパワーがあるから、私は今日も生きられます。
ありがとう~~~~!!!!大好き~~~~!!!
これが一番伝わる動画な気がしてて。笑