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誰かとの間に線を引くのは

誰かとじぶんの間に線を引く

その線からは何も生まれないと知りながら

でも、あまりにも違いすぎるから

今のじぶんを守らなくてはと、線を引く

 

わたしとあなたの間に線を引く

あなたの時代とわたしの時代は違うから

その差は埋められるはずないと

そう感じてしまうから、線を引く

 

あの子とわたしの間に線を引く

話してくれた理想が今と繋がっていないから

このひとは仲間じゃないなと

心のなかで判断をして、線を引く

 

あのひととわたしの間にも線を引く

背の高いあなたの横に、背の低いわたしは

なんだか不釣り合いで歩けないからと

ひとり諦めて、線を引く

 

勝手に引いた最初の線はひどくかぼそいものだったのに、今ではこんなに深い溝になる。

理解するつもりがないのに、理解してもらえないから言葉にするのを諦める。

その先にあるのは、他人との関係の縮小ではなく、本当はじぶんの関係との縮小なのではないかと思う。

縮小は意図的に行うのなら悪いことではない、範囲を縮めて、より深く誰かを大切にし、より広くじぶんを大切にできるのかもしれない。

大切なのはきっと、最初は溝は線だったこと、そしてその線を引くと決めたのはじぶんで、それはたいていじぶんを守るために必要だったことを覚えておくことかもしれない。

小さな犬がよく吠えるように、トラウマのある犬がよく吠えるように。

でももし人間関係が退屈でどこか薄っぺらいと感じるのなら、ぬるぬるとした分厚いベールをさらりと脱いで、ただそのまま目の前の人を抱きしめる勇気を、持ちたいし持っていたいとわたしは思う。

どんな差別もどんな暴力も、起点はじぶんにあると思うから、でもその方法を選ばなくてもわたしはじぶんを守れるのだから。

 

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心にトゲが刺さったら

心にトゲがちくっと刺さる

刺さったままのそれは、身体を動かすとズキズキと痛む

見ないふりも、感じないふりもできるのだけれど、ズキズキはなくならない

 

そのトゲはたいてい、誰かの一言によって心に刺される

 

でも、本当は、そうじゃなくて

 

本当は、誰かの一言で思い出した、じぶんのじぶんへの評価だったり、気持ちだったり、言葉だったりするのだ

 

ただ、それを思い出してしまって、この世でたったひとり、最初から最後まで一緒に生きて、年を重ねて、ともに朽ち果てる「じぶん」を愛せないわたしを思い出してしまって

 

それが本当の、本当のトゲの正体なのだろう

 

「あの子がかわいい」

 

ただ、それだけの一言でわたしはこんなに苛立されて、そのあとこんなに悲しくなって、すべてに投げやりな気持ちになって、枕を壁に投げつけたり、地面が少し凹むくらいには地団駄を踏みたくなる

 

わたしは、わたしの平べったい顔も、あまりよく膨らみきらなかった胸も、ラートを頑張っていたらいつの間にか強くなってしまった腕も、やっぱりあんまり良いと思っていないんだろう

 

だから、誰かが「あの子がかわいい」と言った一言が、何色でもないその言葉が、まるで「あなたはかわいくない」という言葉に聞こえるのだろう

 

わたしはあの子にはなれないと、布団にそのままダイブして毛布のなかにくるまって鎖国を宣言したい気持ちになるんだろう

 

でも

わたしはよくよく知っているのだ

 

この世に「じぶん」しか、最後まで隣にいてくれるひとがいないことも、それがとても喜ばしいことも

 

そして、その「じぶん」が、わたしが「じぶん」の形や中身にケチをつけるたびに、ごめんごめんよと小さくなっていってしまっていることを

 

だからやっぱり

もう、やめようと思う

 

「あの子がかわいい」は「あなたはかわいくない」ではなくて、そもそも、わたしがかわいかろうと、かわいくなかろうと、生まれてきた目的は果たせるのだから

 

わたしが生まれてきた理由は、ただひとつ

じぶんとして生きるためなのだから

 

だから、もうやめよう

わたしと「じぶん」

 

もう一歩近づいて、もうちょっとだけ近くで一緒に年をとろう

 

しわくちゃになっても、シミだらけになっても、押したら倒れるくらい骨骨になっても、ぶよんぶよんに太っても

 

笑って「それもわたしだ」と言えるじぶんで生きていこう

 

こうやって落ち着いて気持ちを眺めて、誰かに話を聞いてもらったりしてさらに磨きをかけて、トゲのささっていたところがなめらかになる頃には、わたしはもう、元通り

 

いや、元よりまたちょっと、「じぶんを生きる」ができるわたしになって

そのトゲが刺さる前よりも、ちょびっと強くなっているような、そんな風に思うよ

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朝に思うこと

朝になる

ただそれだけでわたしの心あたたまる

 

朝になる

鳥が鳴き、家々が陽の光照らされてゆく

 

朝になる

隣と隣の隣で眠るひとの顔は安らかに

 

朝がくる

お金があっても、なくても

 

朝がくる

仕事がうまくいっていても、そうでなくても

 

わたしが今どんな状態であろうと

朝がくる、朝になる

 

ただそれだけのことでこんなに心がキュンとする

 

また生きなくてはならないと、朝が嫌なときもあったけれど

 

ひとつずつ丁寧に剥がされていった今

 

3歳の頃、朝日にくるまれながらカーテンと窓の間にいるのが好きだったあの頃

 

なんだか近い感覚で生きるようになったこの頃の日々が、とても愛おしいと感じている

 

朝がきて、嬉しくて

朝がいってしまうと少し寂しい

 

昼や、夜はわたしをこういう気持ちにはさせない、夜明けから朝が一番ワクワクしてしまう

 

できるならずっとこうしていたいけど、朝のなかまどろんでいたいけど

 

お昼になって誰かと出会い、お昼すぎになって何かを形にし、夕方になる頃には成果を確かめ、夜それを確かなものとして感じ眠る

 

そのリズムも、また好きだなと思います

 

なにもかも最初から与えられていて

豊かになる方法なんてどこにもなくて

 

ひとりひとり

ただそのまま朝に包まれながら

その喜びの気配を夜まで衣の下に隠しながら

 

ほんとうは、やっぱり人生はシンプルなのだろうなと

 

朝がくると、そういう風に思います

 

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生き方を決める

昨日、来年4月からの生き方を決めた。

 

生き方を決める局面は過去いくつかあった。

 

非電化工房に通いたいと思ったとき

あのカフェをやめたいと思ったとき

あのカフェで働きたいと思ったとき

誰かのせいにするのをやめたいと思ったとき

ラートを休んだとき

ラートの舞台をやりたいと思ったとき

ラートをやりたいと思ったとき

大学に入りたいと思ったとき

遠くの大学に行きたいと思ったとき

この家を出ようと決めたとき

 

遡るといつもそこには感情があり、意思があり、行動がある。

 

それらをまとめて、決める、と表現しているような気がする。

いくつかは自然発生的に起きた変化で、いくつかは自発的に起こした変化、またいくつかは一見ネガティブに見えるような状態で起きた変化だった。

 

わたしは4月からの生き方を決めた。

 

来年3月で今メインの収入源の仕事が終わるため、長い間不安に思っていた4月からの生き方。

 

いや、正確に書けば、この仕事がスタートした今年の7月からわたしは既に不安だった。来年の4月からはどうしよう、と。

 

けれども、わたしは昨日決めた。そして今一切の不安を感じていない。

 

次の仕事を探そうか、書き起こしの仕事の量を増やそうか、やってみたいアルバイトはないだろうか、ワーホリに行ってみようか。

 

たくさんの選択肢を浮かべては、心の動かないものばかりだと首をかしげた。心の動かないことは、その予定の日の朝に起きられなかったり、情緒不安定になったりと、もう身体的にできないというのをよく理解しているので、選べない。選ばない。

 

では、どうするのか?

 

仕事を探すのをやめることを決めたのだ。つまり「どこに、だれに、雇用してもらおうか?」という発想を捨てた。

 

決められた要因はいくつかあるが、一番大きいのは月々に必要な金額の低さだろう。シェアハウスのおかげだ。月に三万円あれば家賃、光熱費、水道代、食費がまかなえる。プラス平均2万円でもあれば税金なども滞りなく支払えるだろう。

 

であれば、まとまった大きな収入をきちんと毎月いただく必要がない。

 

だとしたら、雇用される必要もない。

 

ではそのなかで、どのような生き方をする?

(雇用されないという決定はあくまで生き方のなかのごく一部の話だ)

 

長くなってしまったので、それはまた明日書こう。

 

この選択の背景には2人の人の考えがある。

ひとりめは、心屋仁之助さん。

ふたりめは、非電化工房の藤村先生。

 

ぢんさんの本で、最も影響を受けたのはこの本。しっかり読んで毎日実践すると2つのことが分かる。

望んでいるものが手に入らない本当の理由

 

やりたいことをやって、やめたいことをやめると何が起きるのか、今の暮らしのうまくいかないことはなぜ起きているのか、なぜ起きる必要があったのかについて、ね。

 

藤村先生からは、具体的な生き方について、その実践方法を学んだ。これは、シェア会などのイベントで大勢の人にもお伝えしていること。すべて本にも書いてある。

 

月3万円ビジネス

 

ぜひ、何度も読んで、たくさん実践。

 

感情が生まれ、意識が変わり、行動を重ねる。

生き方を決める、その一文のなかにはその3つの動きが含まれていて、その動きこそ、人生を支える最も大きなツールなのではないかと、毎日の暮らしを支えるエネルギーの出発点なのではないかと、今強く考えている。

 

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決めたら、その日にこれからの暮らしを彩ってくれる衣装をいただいたよ。

どちらでもいい

非電化工房で学んできたことをシェアするイベントを全部合わせて5回、宜野湾市のカフェESSENCE963でやらせてもらった。

全部あわせると、地方で仕事を創る塾に参加した3分の1強くらいのお金をいただいた。

今日が最終のイベントだった、イキイキと話すじぶんを外側から見つめながら、どちらでもいいのだと思った。

今話している内容が、参加者のひとのなかにのこってものこらなくてもどっちでもいいと思った。

それは、くしゃくしゃと丸めてぽいっと捨てるタイプのどちらでもいいという思いではなく、ただ、静かに、どうなってもいいと委ねるような気持ち。

その気持ちと出会ったときに、シェア会は種まきだねと親しいひとに言われたことを思い出した。

たしかに種まきかもしれない。

目の前のひとが少しでも息がしやすくなるといいと思いながら話していた最初の頃、でも回数を重ねるうちに、先生となんども話すうちに、今目の前にいる相手はすでに完全であると考えて話す癖がだんだんと身についていった。

すでに完全である相手にむかって、息がしやすくなるといいとは思わない。

だから、ただ、目の前のひとがたのしんでくれるといいと、なんだかラートのパフォーマンスをするときの気持ちのような、ただ、裸のままそのひとの前に立つ時間を過ごした。

みんなたのしんでもらえたようで、会場の空気はあたたかく、ひとりひとりのひとのなかにいろんなやりたいことがキラキラときらめき、それはすごく美しい光景に見えた。

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わかっている、わかっていない

できている、できていない

知っている、知っていない

かっこいい、かっこわるい

 

その狭間に

 

美しい、醜い

格好がいい、格好がわるい

センスがいい、センスがわるい

 

その狭間に

 

その狭間に”本当”があるのではないかと

 

今、わたしはどちら側に

いつ、わたしはそちら側に

 

誰かに渡した言葉が

地球を一周して帰ってくる

 

より、力を増して

 

できている、できていない

やっている、やっていない

いけている、いけていない

もてている、もてていない

 

本当のことだけを言葉に

シンプルなものだけを姿に

 

このひとはなにをしているひとだろう

その言葉をはっしている裏には何があるだろう

 

裏も表もないのに

正しいも間違いもないのに

成長なんてしてもしなくてもどっちでもいいのに

 

無意識に重ねてきたじぶんの思考に嫌気がさす

無意識に用いる言葉たちの意味のなさにイライラする

 

なにをしていても

なにをしていなくても

 

なにかできていても

なにもできていなくても

 

なにかをめざしていても

なにもめざしていなくても

 

変わらずに、なにも変わらずに、一ミリも変わらずに

あなたはわたしを抱きしめてくれるだろう

 

わたしも同じようにあなたを抱きしめるだろう

 

見かけがよくても、わるくても

こころがよくても、わるくても

 

わたしも何ら変わらずにあなたを胸に迎え入れるだろう

 

思い出したい

もっとちゃんと思い出したい

 

本当のことを

 

なにをしていても

なにをしていなくても

 

なにかできていても

なにもできていなくても

 

なんら過不足なくすべて等しく価値があるのだと

 

ただ、思い出したい

 

成長なんてしてもしなくてもどちらでもいいのだと

拡大なんて意図せずに勝手にしているのだと

 

すべてのひとのすべての時間が

誰かによって評価されなくてもいいものだと

 

わたしのこの人生の時間について砂時計にしたとして

その砂粒ひとつぶとっても、平等に価値があると

 

なにをしていても

なにもしていなくても

 

なにかができていても

なにもできていなくても

 

なにかを目指していても

なにを目指していなくても

 

動いていても

止まっていても

 

あなたはわたしを変わらず抱きしめてくれるだろう

 

その信頼のなか

わたしは生きているということを

 

わたしはうっかりときどき忘れ

 

なにかしなければ

うごかなければ

美しくあらなければ

心清くあらねば

 

気づけばそのドロドロとして面倒なものに取り憑かれ

その日の言葉ひとつひとつを正しいか間違っているか判決を下し

じぶんの心に身体に思いに、じぶんでバツをつけてしまう

 

それでも

そんな日々のなかでも

進んでいることもあるのだと

 

何かをしようと一歩踏み出そうとしているわたしに

何かを始めようと今日こそ始めようとしているわたしに

 

何も出来なかったと悔しがっているわたしに

何もかも上手にいきやしないと泣いているわたしに

 

どんなときも

 

どんなときも、いつだって

いつだって、どんな時間も、いつだって

 

いつだって

 

いつだってそれだけで完璧で調和が取れた状態だと

 

そういう風に思っている

 

表面の揺れている波を見れば、そう見えないかもしれない

 

でも、そういう風にいつもいつも思っている

 

だから安心して毎日を過ごしていてほしい

 

こういう風に生きていこう

こういう社会がいいね

一歩一歩形にしよう

 

声を大きく言うたびに

 

同じだけ

 

しっかり休もう

隣のひとに好きだと言おう

毎回のご飯をよろこんで食べよう

 

そういうことも言っている

 

言葉にでないところの言葉をかたちに

 

すべてあますことなく伝えられるひとになりたい