NOW 500→1000

片思い

カタオモイという言葉があるけれど、あれは本当に自分自身を見せつけられる時間だと思う。

そのひとに好かれるためだけに存在するわけじゃない。のに、そのひとに好かれるかどうかが気になってしまう。

でも本当に意味がない。

わたしの人生はわたしのもので、他の誰のものでもないわたしのものだ。そのひとに割いている時間はじぶんのものではないから、とても勿体ない。

しかし、それはその一方でまったく逆の意味も内包している。

なぜならば、わたしのこの命はまったくもってわたしのものではなく、すべてから成っているからだ。

そのひととの出会いもまたとても貴重なもので、わたしにとっても世の中にとっても大きな意味があるのだ。

その狭間ど真ん中で生きられていると、なんとなく調子がいい。でも、この片思いについてはまだそう思えない、苛立ちを感じてしまう。つまり、相手がじぶんのなかで重たすぎるのだ。

誰か、を主語にしたくない。

なのに、とてもとても好きで、あたまのなかにいつもいて、本当に嫌だ。

過去の美しかった景色を何度も何度も繰り返し頭の中で再生してしまう。あのときの匂い、あのときの音、すべてが完璧で、美しくて、なかなか身体から出て行ってくれない。

まるでわたしの思うようにならないこんな思いはしたくない。

でもその一方で、これもまた同時に真逆なんだけれど、そのひとの存在との出会いのおかげで、わたしはよりシンプルになって生きることができる。

なぜなら、わたしの好きになる人はみな、本当にシンプルにひとつのものに打ち込み、形を成している人だからだ。

たぶん、この好きはかなわないだろうし、かなうことが目的でもないんだろう。

時折訪れるこれは、片思いではなく、ただひたすらに違う視点からじぶんと向き合い、まったく違うところを耕すために必要な出会いなんだろう。

一生懸命に意味を考えて、出会いと別れに希望を見出して、でもときどきやっぱりやるせなすぎて、必ず良い人間になろうと誓うことになる。

必ず、必ず。

それは良い感情ではない。

いうならばなにくそ精神だ。

今のじぶんに興味を持ってもらえなかったということは、今のじぶんはそれだけの純度だったということ。

必ず、必ず良い人間になって、絶対びっくりさせてやるんだ、と誓うたびに、ひとつの片思いが終わっていく。

何度も考えて納得させて、涙を流して、また日常を歩もうとする、じぶんの感じてるものを相手は感じていない。ならば仕方がないのだ。

ひとりよがりでは、届かない。

腹が立つ、こんなに好きになれて嬉しいだなんて思えない、腹が立って仕方がない。わたしのなかから出て行って欲しい。

でも、そのために告白だの何だの手法をとるのは非常にナンセンスで、そんな真似をするくらいなら、この苛立ちを抱えたまま、より良い人間になるために日々を生きる方がずっといい。

出会えてよかったけど、本当に嫌いだ。

はやく、恋愛の刷り込みをといて、これは恋だと認識しない状態をつくりたい。もう、味わいたくない。

よりよく生きるためのきっかけにすぎないと、そう涼やかにやり過ごしたい。

もう、好きな人なんかほしくない、心も揺らされたくない、わたしはわたしで満たされていたい。

思う存分それを味わってからようやく誰かと生きられる自分になれると思うのだ。今はまだ足りないと誰よりも自分がよくわかっているから、好きな人ができるたび、こんなに悲しく、ひどい気持ちになる。

今だって、前だって、時が癒してくれるのを待つしかないのだ。ばかやろうと呟きながら歩き続けるしかないのだ。

ばかやろう。

f:id:pidakaparuna:20181015000440j:image

割れちゃったー〜

隙をなくす

懐かしのユーミンを聴きながら、風に髪を撫でられる。

助手席って大好きだな、隣の人の踏むアクセルによって景色がどんどん変わっていく。

話はとりとめもなく移り変わり、言葉によって形をもたらされた感情たちはいつの間にかはるか遠く後方へ。

今、好きだと思うひとに、今好きだと言える幸福を噛みしめる。

しばらく前は、好きと性的なことが絡みついているように思えてうまくいかないことが多かったのだけれども、最近はそれもすっかり解れてずいぶん生きやすくなった。

好きだったら触りたい、好きだったらセックスがしたい、好きだったら、、、と、そんなの後付けの刷り込みでしかないなと思う。

入れて出してはいおしまいよりも、もっともっと楽しい関係がこの世界にはたくさんある。

触れることについては特に意味もなく、まっさらな好きを表す手段としてよく用いていたような気がする。

だけれども、これもまた最近の変化だけれども、不必要なスキンシップは不必要だなと結論づけた。

湧き出て止まらない気持ちを表現するには目を合わせるので十分だ。伝わるひとには伝わるし、伝わらないひとには伝わらなくていい。

触れることは、触れられることへの許可ではない。

それはあくまでじぶんの思いでしかなく、触れられた相手からするとそうは思えないのだろうと思わされる経験は、あわせていくつかの人間関係をさらっていった。

今日も一度それに似た出来事があったので、もう腹をくくって隙をなくそうと決めた。

今まではどこか決めかねていたのだけれども、そう決めてから足取りが軽いので決められてよかったと思っている。

好きを伝えるには目を合わせるだけで十分だ。そのうえで、ご縁があったひとに、伝えることがゆるされるひとに沢山沢山言葉を渡したい。

触れたいと思うひとには触れたい。みんなに触れない分、その喜びは大きくなりそうな予感。

セクシュアリティが複雑なグラデーションであるように、好きという言葉の中身も非常にカラフル。

微細な違いや、感覚の移り変わりをきちんと感じて、どんどん進んでいきたい。

隣で一緒に感じてくれてありがとうと、素敵なひとに思う。今のわたしで隣にいられてとても嬉しい、美しいひと。

 

f:id:pidakaparuna:20181009200121j:image

ガタイがいいね

ガタイがいいね!

と、男のひとから言われると、なんだか少し嫌な気分になる。

なぜだろうと考えると、女の子らしくないね、と言われた気分になるからだなと理解した。

そういうことを言われたり、笑われたりすると、パートナーのひとに泣きごとを漏らしてしまう。

こんなことを言われたのだ!と被害者感満載で伝えてみる。

たんたんと言い返される。

戻りたいの?

と。

実はもっと華奢だったのだ。

大学まではインドアで、高校生のときと体重も15キロぐらい違う。

パートナーのひとは、あの頃は不健康だったよね、と言う。

最近、ひとから、健康的だよね!と言われてとってもとっても嬉しかった。

だから、なんていうか、答えは戻りたくない、だなと思う。

パートナーと同じ誕生日のすごくすごくお世話になった女のひとがいる。

そのひとも、今の体型の方がいいと言ってくれる。

あの頃はあざとかった、と笑うのを見て、たしかに、と思った。

ちなみに、ときどき好きだよとひとから言われることがあるけれど、その言ってくれる人の感じも変わったのは、体型とともにだった。

俺が面倒みなきゃ!と張り切ってもらえることが最初は多かったけど、身体が変わるにつれて、何かにとても打ち込んでいるひとに変わっていった。

その変化も嬉しかったから、わたしはなんだかんだ今の身体の方がいいなと思う。

身体に、その体型には概念が詰まっている。

お化粧をするのかしないのか。

なにを纏うのか。

とても面白いことだと思う。

魂を包む肉体自体が表現で、それをさらに包むものでもまた微細に表現を試みるのだから。

いや違うな、試みようとする前にすでに表現されてしまっているのだ。

だから、最初のところに戻ると、ガタイがいいねと男のひとに笑われても、もし笑い返したい気分だったら笑い返して、なんだか違うと思ったらスッと別の会話をしたらいいんだね。

面白い考えごとだった。

f:id:pidakaparuna:20181008011744p:image

 

誰かと暮らす

日がのぼり、また沈む。
朝がきて、夜になる。

新しいお家になって一週間が経とうとしている。

昨日の夜中、同じマンション(?)に住む歌うたいと夜ご飯を共にした。

そのあと、みんなで雑魚寝をしながら、気づくと久しぶりに生まれてから20歳になるまでの話をしていた。

聞かれたら隠すことでもないのでつらつらと。
でもああもうなんだか「過去」だなと思ったりもした。

もう終わったことで、それはわたしに干渉していない。
いろいろ、過ぎ去ったのだなと思う。

新しいお家での暮らし。
一週間が過ぎようとしている。

台風が2回通り過ぎた。

ただ、いろんなひとと暮らしたなと思った。
これからも、誰かと暮らすのかもしれないと思った。

今日はうまく話せなかったあのひとや、あのとき上手に言葉をかけられなかったあのひととも、また近く出会い直すのかもしれないと思った。

今は隣にいられないひとと、また当たり前におはようとおやすみを交わせるようになるのかもしれないとも思った。

前は顔も見たくないと思い飛び出したような相手とも、一瞬でもいいからまた会いたいと焦がれたひととも、もしかしたらね、と思った。

そんなことを台風の風が窓の横通り過ぎているの眺めながら、ぼーっと考えていたけど、もうわかってしまったのだ、と誇らしくなった。

わたしがわたしで在るかぎり、大丈夫だと。

それだけが死ぬまで持ち続けるものかもしれない。

台風が2回通り過ぎた。

一度目の台風で、わたしのいらないものを折ってくれた。二度目の台風は、それを遠くへと運んでいってくれた。

わたしはまたあなたに会えるかもしれないし、もう会えないかもしれない。

わたしはもうあなたに会うかもしれないし、二度と会わぬままなのかもしれない。

なんにせよ、また夜がきて、そのあと朝がくる。

その理のなか生きられるのは良いなと思う。

f:id:pidakaparuna:20181005233833j:plain

荷物整理していたら出てきた写真

わたしもちっこい頃があったんだと懐かしく

お姉ちゃんを信頼している様子がなんだか可愛い1枚

妹が赤ちゃんなのも不思議

みんなもう大人だもんね

23

たまらなく吐き出すのだけれど

f:id:pidakaparuna:20181005182059j:image

年齢の英語あってんのか

18歳のわたしからの手紙
22歳のわたしへの手紙

今開けました 23歳のわたし

なんか想像以上に未来のじぶんを好きで
けっこう緩みました

わたしの夢は、子どもたちが楽しいことだ
と書いてあって、そこは変わってないんだなと
なんだか可笑しくなったりもして

引っ越しの荷ほどきしていると

だいたいラートのことが書いてあるものが
大学卒業してから一年たっても
触らずそのままになっていたのがよくわかり

わたし本当に生きる目的がほしかったんだなと

ラートのことは大好きで
久しぶりに触れたら嬉しくて

数ヶ月前は、大会に出てみよう!とか
決意し直したけど

お仕事調整してまで練習に向かう熱意もなくて

でも、出るわ出るわ

パフォーマーの先輩方がしてくださったこと
嬉しくて泣きながら内容を書き留めたメモ
どうしたらラートの知名度があがるか作戦とか

そのときどきで好きだったひととの出来事とか
パートナーのひとと大喧嘩して飛び出した夜とか
事細かに言語化されたあとよあと

過去のじぶんを黙って抱きしめなおし
少し謝って、お礼を言って

ずっと捨てられなかったものをまた捨てて

生きていくっていうのは不思議だな
どんどん身軽になっていく

ーーー

今年の全日本は出ないはずね
前に背の高い先輩がくれた言葉

ほんとはシンプルだよ
回りたかったらまた回ろう

口に少し含んでいたら楽になった

生きる意味求めていた頃のまま
ラートをしていたら、わたしは死んでしまう

本当にたくさんのものをもらったから

今まだまっすぐ目を合わせられない

でも、今のこの道がわたしは楽しくて

f:id:pidakaparuna:20181005174237j:image

難しいことなどなにもない

あんなに良くしてもらったのに本当にごめんなさい、その気持ちはちょっとずつ減ってくのかな

ーーー

わたしはたぶんラートパフォーマーになりたかったのではなく、生きる意味がほしかった

喉から手が出て身体が破れてしまうくらい欲しかった

f:id:pidakaparuna:20181005182141j:image

でもラートがみんなをハッピーにしちゃうのをわたしはすっごい知ってるので、じぶんなりにこの魔法の杖を使いこなしていこう

もう仕方がない、本当にごめんなさい

そしてあの時期を生き延びれたのは、死なずにやってこられたのは先輩方のおかげで、本当にありがとう

ひとつのことだけをやっていくことなんかできない、だからたぶん何かのプロフェッショナルには一生なれないしならない

ひとつひとつ目の前のこと仕上げていこう、歩いたあとにできる道のあとを眺めていこう

それでいいのか、まだわからないけれど、今はまだ答え出さずに、曖昧に

f:id:pidakaparuna:20181005175958j:image

あのときから微塵も変わってない

目の前のきらきらに、この世界の美しさに

そういうものに触れたくて生まれてきたもんな