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今日思った

ハグをするとき は 愛している! が溢れるような気がする
伝わるといいなと思って するけど
伝わらなくてもいいのだと思ってもいる

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どんなに助けてもらって
どんなに支えてもらって

胸がぎゅっとなる

当たり前に息をしているけど
その当たり前のなかぜんぶに、いるのだ

どうしようもないくらいに 愛されていて
それはもう どうしようもないことだと思う

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ハグをするときは 嘘がつけない
たとえば 一瞬の間のなかに 全てバレるような

でも 社会的にハグができないときもあるので
そういうときは 一緒懸命に 目で 伝える

それもまた 伝わればいいとも 伝わらなくていいとも
一種の ブレスユー に近いので ほがらかに分かれる

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バスを降りたら まんまるの月が あったので
ひとりでいるのが嫌になって
誰かと過ごそうかなと思ったりもしたけど

やっぱり 今日はいいやと 仕事の続きをすることにした

仕事もまた 嘘がつけない

「致し方ない」と何度も聞いて
じぶんで言葉を唇から出してなぞってみて

うむ 致し方ない と思った

言葉が馴染んだのを感じて

もう一回 致し方ない と言った

こんなことしかできない
を積み重ねて

その先で でもたのしかったなと 笑うといいなー

わたしもっと 上手になりたい

そのためには もっと失敗しないといけない

失敗したくないなー

でも、失敗しないと うまくならないもんなぁ

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ワインはぬるく ぬるさが美味しく
隣のひとが肉を食べないのを忘れて
肉を頼んだじぶんに 軽く引く

愛しているんだけど と うつむく
なかなかに 愛しているんだけど
なかなかに上手にあらわしきれない

不恰好なじぶんのこと 笑ったら

急に遠くで満員電車で帰る人のことを思った

ほんとうは
誰も満員の電車なんて 乗りたくないのに

ほんとうは
赤ちゃんが生まれるのは よろこびなのに

と、思考が飛ぶ

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したくないことはしなくてよくて

したいことをみんながしている のがいいな

それも みんなのためではなく

じぶんが気持ちよくいるためなのだろう

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ひととひとの重なりなど
それが生まれるかどうかって

このくらげみたいな ぼやぼやの
あるんだかないんだかわからない膜に
手を突っ込んでやぶき

なかにはいること それだけのこと

気持ちが悪い、こわい 未知である

でも、なかにはいることなんだろう

 

https://open.spotify.com/track/2DSabs8EEJVIv0C0dAPyQX?si=-ScU6bOQThO44mRleHK1aw

読ませてしまわないように / ほんとうの交換だけが / 実態を紡いでいく/ 輪廻転生

しばらく前、まだ寒い格好をしていて3人で暮らしていて韓国から大切な友人が滞在していた頃。あるイベントに出ることになり、そのイベントのなかで「あなたという分厚い本を読まされているような気分になるときがある」と言葉をもらった。

もう思い出しても身体的な変化が起きない、でもその言葉をいただいてわたしは変わったなぁと思う。

「読ませてしまわないようにしよう」と決めた。それは相手にとって幸福ではないかもしれない、望まれていない誠実さかもしれないと教えてもらったような気がする。

そう思ったときから、わたしは全部を説明しないように、全部を言葉にして渡さないように、相手に委ねる部分を多分に持つようになった。

それは良い変化だったと思う。

わたしが体を動かす度にあわせて、なかの海がたぷんたぷんと波を打つ。言葉が踊り谷と谷との間に風が吹き抜けていく。

体のなかにひろがっている大きな空間、グロテスクな五臓六腑すべての微細な運動、走る思考、芯から揺らされる衝動。

そんなもの全部が混ざり合って口から、目から、額から、皮膚から、思いごとや考えごとが外側へと働きかけ、選んだものだけが膜から浸透してくるようにして内側に同じように入り働きかけてくる。

その動きがわたしには面白くて何もかもをシェアしてしまいたくなるのだけれど、確かにそれはわたしにとっての真実であり重要なことで、大勢の人にとっては真実でもなく重要でもないという至極当たり前なことだったのだけれど。

とにもかくにもそんなことを決めたあとだったから、もうそういう配慮が配慮ですらないレベルで身についたあとだったから、まっすぐに問いをもらったあのとき、その質問にどのように答えるかコンマ1秒、もしくは永遠、わたしは迷ったのだった。

それは「ほんとうのことを伝えたら相手を失うかもしれない」という恐れでもあった。相手が読まされていると感じる人なのか、それとも本当に読みたいと願ってくれているのかはわたしにはわからないからだ。

答えてしまえば実態を持ってしまう、はぐらかし続ければ実態は空っぽのままでも相手からの情報だけは得続けられるのだから、つまりわたしが進化していくのには今のままでも不足はない、答えてしまえば終わってしまうかもしれないのだから。

そんな葛藤など初めからなかったかのように、身体が先に動いて嘘なくまっすぐに答えた。形を整えることすらせずに。

トントントンと気持ちが良いくらいに会話がおさまっていく。くるくると言葉が縒り合わされ関係が紡がれていく。

ひとと関わることがこんなに安らかだったことは今までなかった、嘘が嘘だとすぐわかるような透明さも今まではなかった。

読まされている気持ちにはさせたくないと強く思いながら、相手の身体や表情や声色、においやムード、感じられるすべてを視ながら、求められた段階の詳細さを包装もせずに手渡していく。それはほとんど自己を、じぶんを形作る外側の壁面を外すような感覚だった。

ほんとうとほんとうの交換だけが実態を紡ぎあげていく。嘘ならいらない、嘘ならいらないのだと1ミリたりとも疑惑の入り込む余地を許したくないじぶんがいる。

まっすぐに、ただまっすぐにじぶんとして生きて命を終える。もしもほんとうに輪廻転生があるのなら、何度も生まれ落ち形を変えて生きてきたのなら、わたしのなかにある欲求の芯は、ただそれだけを望んでいるのではないかと感じている。

そして、そこに他者はほんとうの意味では存在しないのだ。だから読ませてしまわないことは大切なことで、だから尋ねてもらえたことがこんなにも嬉しく、嘘なく答えられたことがこんなにも誇らしいのだろう。

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今日も昨日も明後日も愛をしている。

ただそれだけのこと!もちろん明日も一昨日も。

実家に帰りたい / 乾いたハグ

今日お洗濯すればよかった と思った。

夏っぽい日差しのなか、ウォーターサーバーの水が切れたのでコンビニに水を買いに行く道、そう思った。

水曜日はなんの仕事もない日で、ほかの業務委託でうけているタスクもないときはTHE休みという感じ。

2週間に一回こういう日があり、こういう日は決まって実家に帰りたくなる。

広くて冷たい、入るとファミマと同じ音がする玄関、わたしの背よりも大きなお仏壇、ぱたぱたと廊下を進んだらリビング、扉をがらがらと引けば最初に椅子に腰掛けているおばあちゃんの背中か、台所で料理をしている叔父が「おかえり!」と言う。

続けておじいちゃんが現れて「おうおう、よくきたな おかえり」と言う。

高校2年から一年、高校3年は学校のそばにアパートを借りてくれたので週に一度、大学になってからは年に一度か二度帰る程度。

時間でいえば生まれ育った家よりも短く、一人暮らしやももちゃんと暮らした時間よりも短いのに、わたしはときどき「帰りたい」と思うのだ。

今もすごく「帰りたい」と思っている。目を閉じて、手を組んで腹に置き、足を伸ばして、実家のソファに寝転ぶ気持ちを思い出す。あっちに叔父がいて、あっちにはおばあちゃんがいて、わたしの周りをクイックルワイパーで掃除してるおじいちゃんがいる。

ときどき、従兄弟や、お姉ちゃん、近くに住んでいるふたりの叔父や叔母がくる。他愛もないことを話したり、お小言をもらう。

帰りたい。おばあちゃんのご飯が食べたい。叔父さんとお酒が飲みたい。

あっという間に8月がきて、帰れることなんてわかっているのに、そして帰ったらまた沖縄に帰りたいと思う天邪鬼さも理解しているのに、今はすごく帰りたい。

女でも男でもなんでもない、なんの仕事をしてるかも関係ない、どんなことが好きかも関係ない、実家にいる間はただの孫で姪で。

このお休みの日がわたしに与えるものと実家がくれるものはイコールで結ばれているので、きっとそのせいでわたしはこんなに帰りたくなるんだろう。

おかえり、ただいまと思いっきり乾いたハグができるお家が懐かしく、なかなかそれを拡大しきれないじぶんの欲の波に飽きているんだろう。

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短い時間なのにこんなに思うのは、密度が濃かったせいなのかもしれないなぁ。

言葉にできない / 波の中 / 間違いも答えなら

急に気持ちがぽきっと折れてしまった。

何もかもに興味が湧かず、昔買った谷川俊太郎の絶版になった宝物の詩集を開いては言葉をなぞっている。

ときどき訪れるこの波をどうにかして壊そうと、ここ数年は何度も何度も水の壁に手をぶつけたり身体ごとつっこんでみたり。でも、もうやめてしまった。

諦めて波に身体ごと委ねたら、耳の奥まで水が入ってくる音がする。ゴボゴボと脳のなか泡立ち、ぐぅっと身体が沈んでいく。

そしてようやく力が抜けて、ぷかぷかと浮かび出すのだ。浮かんでる間はなにも考えられなくて、ただ肌と肌感じながらじぶんがここにいるのだということを知らされる。

膝を抱いてはじぶんの形が人間なのだと認識し直し、心がどこか旅に出ている様を肉体から呆け眺める。

人間の肉体がときどき重たくて仕方なくなる。ずるずると引きずりながら歩いてみるけれど、大して気持ちがすっとすることもなく、アスファルトにときどきガリッガリッと引っかかって痛い。

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数日前にフェイスブックに「ひとを好きになるのも好かれるのもこわい」と書いた。仕事も同じだと続けた。

じぶんの枠をこえるこわさ、じぶんを外界にさらすこわさ、ひとの評価をあびるこわさ、ひとの視線を感じるこわさ。

関係を持つことへの恐怖、上回る好奇心、そしてそのあとどっとわたしを疲れさせる考え事の山。

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助けてくれるのは、創作された、表現されたほんとうのことの欠片たち。

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そう、そういう気持ちなの!と、本の前でほろほろ泣くの。冒頭にあげた詩集もそう。言葉をなぞるたびに楽になる。呼吸がふっと楽になるんだよ。

今回の波ではじめて、わたしはわたしにこの波に浮かぶことをゆるし、なにも考えずに漂うことをゆるし、そのなかでひとと出会うことをゆるした。

それがどうなるのか、やっぱりしつけし直してぴしゃんと頬を打ち頑張らないとだめになってしまうのか、自然とまた浮上するのか、そういう実験です。

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これもまたひとつの答えなはずだから。今は試してみたいから。もう考えるの疲れてしまったから。季節が変わる頃にはきっと。きっと。きっと。

海獣の子供 全5巻完結セット (IKKI COMIX)

海獣の子供 全5巻完結セット (IKKI COMIX)

 

さいこう。

きっと明日は / フラッシュバック / 深呼吸

左手の甲がちくっと痛み、そのちりちりとした痛みがいろんなことを瞬間的に思い出させ、瞬間的に思い出させられたそれによってさらにいろいろなことを思い出させられ、怒りがワッとじぶんのなかにこみあげグワッと首のあたりで面を構えるのを感じる。

大きい生き物のようだとそういう類の怒りを身体のなかに見つけるたび、見つけ直すたびに思う。

ずんずんずんずんと大股で歩いて紛らわせる。

怒りも、寂しさも、ぜんぶ。どうしようもないとそれらの感情を眺めながらじぶんが思う。怒っているのも、寂しいのも、ぜんぶ。どうしようもない。

遠くにあるお月様が、下弦の月というのだろうか、猫の爪のよう薄く綺麗。建物がブルーに沈んでいくその青の色のなかで白く浮いて目立つ。

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腹いせにビールでも買おうかと思ったのにいつもの癖でアイスカフェラテを買って、なかなかやさぐれの格好がつかないので、せめてもとコンビニから”直帰”せずに家出を試みる。とりあえずそこまでとじぶんのなかで決めながらずんずんスピードを緩めずに歩く。

怒りで口を真一文字にぎゅっと結んで、結んでも結びきれずにその端ふるふると震えているのを感じて。「それでも」とめげずにじぶんに話しかける。それでも、そうだったとしても、ずいぶん変わってこられたもんじゃない?とじぶんに話しかける。

怒りも、寂しさも、じぶんのなかに湧き上がる気持ちは「子ども」としてのそれで、それはとても未熟で、わたしから排除できたらいいのに排除することはできないわたしの一部分であるということを未だに受け入れきれずにいる。

ぜんぶをひとのせいにしてぜんぶに背を向けて、ぜんぶから逃げてしまいたくなったり、ぜんぶの関係を一度に放り投げてしまいたくなったり、癇癪としか呼びようのないそれらの衝動。

やり過ごす術を大人になったわたしは散歩と入浴と読書と美味しいものと遠くへのドライブと旅、その6つだけ持っている。

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これらの処方箋だけで「まとも」に見える暮らしを送れているのだから十分かもしれない。まとも、まとも、どこからどこまでがまともでそうじゃないのか、画面の向こう完璧に見えるひとびとだってきっと皮一枚向こう「まとも」ではないのかもしれないけれど。

歩いているうちに怒りも冷め、残る寂しさを自己憐憫に変えるエネルギーもないまま電線がつくる影の上をなぞるようにぼとぼと歩く。 生きていくしかないのだと幼いじぶんの手を引きながら思う。それは湿っていない気持ち。ただ乾いている。

どうしようもないじぶんのまま生きていくしかない。もう一回やってみよう、もう一回休んでみよう、もう一回やってみよう。 悲しかった、苦しかった、嫌だった、我慢ならなかった、我慢したかった、言いたかった、言えなかった、言ってしまった。

あれらは、これらはもう終わっていて、これからは変えられる。今を変えられる力が今のじぶんにはある。

歩くというよりも感情のなかを泳ぎきるような日暮れの時間、一日のなかで一番苦手な時間。生きている間に見た夢がひとつずつフラッシュバックしては去っていき、その夢のかけらのなかに記憶のにじみを見る時間。いいことも、わるいことも。あの旅も、この旅も。

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泳ぎきったあとは気持ちの波を乗り越えられたじぶんへの労いと、これはあと何年ぐらいでなくなるものなのか知りたいという欲求と、誰か大きなひとの手のひらが頭を繰り返し撫でるのを感じる。 いろんなところから向けられている愛情を感じ、受け取る。

そしてそれを握りしめることなく仕事や暮らしのなかで放りだしていく。ひとつ、またひとつ。もらってはあげる。あげてはもらう。

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書き終える頃には癇癪の一部始終はもう過去のことになっていて、怒っていたのも寂しかったのも思い出した諸々の不快さもすっかり忘れている。もう一度仕事に戻る。

中学生の頃は週のうち6日は調子が悪かった。高校生の頃は週のうち4日は調子が悪かった。大学生の前半は週のうち2日は調子が悪かった。後半では二週間に一回、卒業してからは月に一回。最近の暮らしでは1シーズンに一度あるかないかの錯乱(もしくは錯乱ごっこ)なので、そう思えばこの10年でずいぶん良くなったのだ。

そう思い終わったらうーんと大きく伸びを一回していい気持ちになっているじぶんを勝手だなぁと笑って、6月にいくつかたのしい予定を仕込もうかなとカレンダーをぱらぱらめくる。久しぶりに遠出がしたい。飛行機に乗ろうか。どこへ行こうか。誰と行こうか。何をしようか。ああ自由だと心の底から思え、ほうっと息をはく。その感触、緩んだ身体の内側を確かめるように深く、深く息を深く吸う。