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色とりどりの音のなか

まだ音のつぶが、まぶたの裏、みみの横、足のそば、ところかしこにきらきらと残っている。ギターの音に心揺さぶられ涙が出たのは生まれてはじめての経験だった。

わたしの毎日は大きな大きな感動と、少しばかりの苛立ちと、誰かや何かへの恋心で形成されているように思う。そんな毎日が愛おしいと思う。

LIVEへの道のりも素晴らしかった、偶然と偶然が紐付いて、数時間前までわたしは久しぶりに会う大好きな友だちの運転するバイクの後ろまたがっていたはずなのに、いつの間にかそこにたどり着いていた。

神さまがふふふと笑う、美しく光のびる空の下、戦争の前から戦争、戦後と表情をどんどん変えた悲しみも喜びもある大通り、その道ををただ歩いていたはずなのに、いつの間にか、そこにいたのだ。

吹き抜けていく風の心地よいこと、今日も昨日もたぶん明日もやり残したことがあるような気がするのに、そんなことどうでもよくなってしまうくらいの心地よさ、身を委ねて風を受けて空までゆけたらどれほどいいだろうと、大人になったのにそんなことをついつい考える。

おとといの晩に見た夢がひどくこわい、とてもかなしい夢だったせいで、昨日と今日はなんだか少しキブンにムラが激しいような気がする、悲しくなったり嬉しくなったり、とても激しい波が心の底のほう揺れている。

だけれども、それをまるっと塗り替えてくれるくらいに色とりどりの音を浴びたのだ。悲しみも喜びもすべてあますことなくギターの音のなかに落ちていて、おおらかに伸びる声がそれを包み込んでしまう、不思議な音のなか漂っていた。まだ心のかけらは少しあの場にのこっているような気もする。

瞬間を忘れたくなくて、部屋の匂いを思い出したくて、これを書いている。帰り道、車で送っていただいているとき、ミラーにうつったじぶんの顔が少し痩せてて驚いた。いや気のせいかもしれないけれど、なんだかぐっと女性らしくなっていた。

あれれと首をひねる。なぜだろう。少ししてから腑に落ちる。ああまた恋に落ちたのかと、じぶんを俯瞰して苦笑い。好きなひとがたくさんいる毎日はとても楽しい、かなわなかった片思いも、遠くにいる大好きなパートナーのひとも、わたしの毎日を豊かなものへとする。

誰かのことを祈れる間、ひとは本当の意味で不幸にはならないのだろうと、そういうセンチメンタルなことも考えた。

LIVEのなかで耳にのこった歌詞があった、「置き去りにした」であった。LIVEが始まる少し前、わたしはそわそわとしていた、そわそわと。身体が落ち着かなくて心がどこに居座ればいいのかわからなくて、なんだかそわそわとする。手は汗ばんでいて、表情がうまくつくれない。

そんなときパッと思い出したのだ。数年前までは、パニックなんて日常茶飯事だったと。きゅっと閉じられた空間のなかに、知らないひとや苦手なひとがいる空間のなかにいることはとても苦痛で、そういうとき、上手に呼吸ができなくなる。

ぐーぱーぐーぱー、手をゆっくりと動かして、外に出て植物を眺めながら風にあたれば少しずついつものじぶんに戻っていく。これが日常茶飯事だったのかと、あの頃のじぶんと久しぶりに出会う。

この世界にはたくさんのひとがいて、いろんなテンポで生きている。アグレッシブなそれもあれば、とても繊細なそれもある。もちろん一定のリズムを刻み続けるひともいれば。そうではないひともいる。それでいいしそれが豊かさだと思うのだ。

だから、あの頃のしんどさはじぶんにとって想像力を養うための良い経験だったと思うし、今でもその残り香があることを認識できたのは、なんだかとても良いことだったように思う。

わたしはとっても強くて、でもやっぱりとっても弱いのだ。それでいいと素直に思う。苦手なものを知るたびに、好きなものをはっきりと知る。信じられないほどの悪意を身に宿すこともあれば、透明なまま誰かの幸せを願うこともある。不思議な生き物だ。かっこわるくて、不細工で、でもとても珍しい、良い生き物だ。

明日も新しいものと出会う、きっと今日より素晴らしい日がそこで待っている、インドの女のひとのお祭りのときにする飾りみたいな位置のとこにニキビできててかっこわるいんだけれども、明日もお気に入りのワンピースを着てしっかりお仕事いたします。いえい!

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バイクのうしろにわたしを乗せた友だちの前、こんな無防備で良い顔をしているとは!
と、驚いた一枚。