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人間、消費、生産という喜びの3分類

喜びにはいくつかの種類があって、またカテゴリー分けもたやすい
でも、一番大きな視点は立場だと思う

最初に簡単に書いておくと

いち、人間
に、消費
さん、生産

今日、ボルダリングのジムで初仕事だったけれど、そういえばカフェを辞めてからの多くの喜びは、まずひとりの”人間”としてあったと気づいた

「人間としての喜び」

これは単純だけれども尊い
人間、つまり、人との間に生きることによって生じる喜びのこと

ああこのひとに出会えて、言葉をかわせて、ハグをすることができてなんて嬉しいんだろう、という喜び

ちなみにプライスレス

「消費」

これもボルダリングのジムで久しぶりにカウンターの内側に入って思ったのだけれど、ここ最近のわたしの瞬間的な喜びの多くは金銭を介したやりとりによって生じていた

コンビニのアイスカフェラテをはじめとして、loopのハヤシライス、安座間コーヒーで食べたパプアニューギニアのカカオ、りうぼうで食べたTESIOのホットドッグ、、、

さまざまなカラーの喜び、そのほとんどが食べ物なのはわたしのタイプ?、それが消費活動によって生じていた

食べ物は、その場にいるひとや分かち合うことでその消費の効果を持続させ、思い出にする効果がある

着るものは、そのあと身につけるたびに喜びが蘇るので、半永久的な効果をもっている

逆にそう思えないような買い物は、衣服についてはもう一切していないので、高い服ばかり着てるねとからかわれると、吟味して支出しているのだ!と言い返したい自分もちょびっといる

でもまあそこでムキになるのって、いまの収入に対して服にかけすぎだよねというじぶんへの戒めがあったりするから出る感情で、縮めていえばただ図星なんだよね苦笑

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だってかわいいんだもん

 

「生産」

そう、最後は生産
これまたやっぱりボルダリングジムでの初仕事中、それもでっかい掃除機で店内を綺麗にしてたときに浮かんだものだった

掃除って、いっけん超単純な肉体労働なんだけど、でも、それをするのってこれからくるお客さんが気持ちよく過ごせるようにというはからいだったりする

それに気づいたのはアメナルミチでときどき雑巾掛けをするようになってからだった
あれ、終わったあと空間がちょーきもちいいんだよね

そういうスッキリさで、心からお客さんがボルダリングをたのしめる、ああこのジムに来てよかったって思えるといいなっていうので掃除してるんだよね

でも、その掃除ってお金をいただきながらしてる、つまりお給料もらいながらやってる行動

何が言いたいって、この掃除のときわたしとても嬉しいきもちだった、どんなお客さんがくるかな、ここ綺麗だったら嬉しいかな、という具合

だけど生産の喜びって、その仕事への熱量が下がると自然と減る、そして喜びだったはずの掃除はいつのまにかやらなくてはならない単純な肉体労働へと変化してしまう

掃除自体が好きなひとだったらまた違うかもね!

わたしはそういうタイプ、仕事への熱量がある限り、つまり飽きていないとき、あれをしたら?これをしたら?で頭がいっぱいの間は、すべてが喜びなのだ

だから一つのところで長く働くよりもいろんな仕事を掛け持ちしたり、転々とする方が向いてるんだよね

どの喜びにも優劣はなく、そして、永続的なものは何もない

さて、3つの種類と別に絶え間なく感じている喜びがある

、、、わたし、この考えてジャンル分けして言語化するというのがたまらなく好き

これができてるとかなり喜びを感じられる

だから、じぶんとのパートナーシップ、わたしとはどんな存在か?に視線が向いている間は、ずーっと喜びを内製できる仕組みになってる

人の数だけきっと喜びのタイプがあるんだろうね
今はまだ消費が多くを占めてるから、だんだんと生産を増やしていけたらバランスいいな

あ、これってもしかして収入とも関係してたりして、、、、

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