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そのいち

ながいながい眠っている時間のなか、ながいながい夢を見た、その夢の始まりは、眠る前のうとうとのなかでしたグロテスクな妄想で、なぜなぜどうしてその夢を見たかは、未だにわからない

最初はたぶん「どのように死にたいか」ということを考えていたのだと思う、そこから、地面に帰るか、海に帰るか、という想像をしていたのだ

地面に帰る想像は、たぶん地面と遮断されているこの部屋では想像できなかったみたいで、気づくと海のなかに落ちていた

音もなくゆっくりと沈みながら、大きな大きな魚に髪を引っ張られ、静かな海の底へ底へと引っ張られていく

ちいさな魚や、中くらいの魚に皮膚をついばまれ肉をついばまれ、海の底の砂地に着地する頃には骨だけになった、骨と骨との間のつながりもほどけ、時間が過ぎゆくのとともに骨も砂のようにくずれていった

痛みはなく、たいへん静かな、そしてなんだかへんてこだけど美しい様子だった、そんな感じの夢だった

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少し前に、少し年上のお兄さん方とじぶんの人生についての「グッドクエスチョン会」という怪しい会を行った、これはなかなか面白かった

お互いに質問しあって、今のお互いの状態をわかりやすくしようという内容で、「考え事はなにから始まることが多いか?」「カテゴリー分けはできるか?」「順位は?」などなど、じぶんではあまりしないような方法で今のじぶんとの対話をした

 

わたしの考え事はたいてい「不快感」から始まる、この不快感は感情ではなく体感として存在する、「体感」と「感情」は全然違うもので、前者は身体的に感じ取るもの、後者はその体感のあと少し遅れてやってくる精神的な波のようなものだと思っている

感情は捉えやすく分析が特に必要のない、また訪れては去っていくものなのでただ感じきる、その感情があるのだと認めさえばよいのだけれども、体感は違う、快感にしろ不快感にしろそれは「ストレス」になる、言い換えれば刺激だ、無視できない存在なのである

 

そう、快にしろ不快にしろ「この体感の原因は一体何だ?」と考え事は始まるのである、もちろんまどろみやリラックスのなかから生まれる突然の思考もあるけれど、あちらは暇つぶしのようなもので眠りに落ちる数秒間の間で行われる旅というか、そういう類のもの、意図的に行う考え事のほとんどはやっぱりこの体感からスタートしている

 

快感については特に深める必要がないのだけれど、その快感をあとから分析することはじぶんを知るのに非常に役に立つ、またその原理を知っていると似たような快感や、また次の快感に出会いやすいという特徴もあるだろう

不快感についてはもうこれはすぐに解決したいのである、わじわじーするのだ(いらいら)、ウチナーグチのこの「わじわじ」は身体的な不快感をよくよく表した響きだと感動して以来ずっと使っている、わじわじーする、わじわじーした、身体が嫌がっている感じがよく伝わる音だと思う

 

なにが言いたいんだか忘れちゃった

とにかくこの「グッドクエスチョン会」のなかで行われた対話によって、今の不快感はほぼほぼ除去された

 

なんか稼がなきゃ稼がなきゃと焦っていたのだけど、「今は波待ち」とわかったのでよかった

あと「プライスレス」というキーワードも非常によかった

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考え事と、感じること、夢のなかと、現実の世界、強烈な明るさと、少し引くくらいの暗さ

いつだって両極はじぶんのなかにあり、その融合というか、両方の素質を消さずに、でもその両方が攻撃し合うのではなくお互いに自立して存在する世界をつくることが好きなんだと思うし、それをしたくて日々生きているのだと思う

どっちも本当のじぶんで、暗いのも明るいのもあって、それではじめて右半身と左半身が揃っているというか、でもそのどちらかを取り出して人付き合いをしたいとも思っていなくて、ただ人間として、右半身も左半身もくっつけて生きていくのが自然なことだと信じている

かりゆし58の曲のなかに「あなたが好きだ」という曲があって、そのなかに「あなたもそうなのか、いろいろあったのか」という歌詞があるのだけれど、これがまたとても好き

まだまだ上手に言葉にならないんだけど、この右半身と左半身をくっつけて人間として歩いていくのって「あなたもそうなのか、いろいろあったのか」と想像できる力をどんどんと養っていく工程でもある

この段階を通るから実現できる平和があるんだよなぁと、またおばあちゃんに笑われそうな壮大なことを考えてみている

 

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