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永遠の一秒を観た

舞台をみた、インヘリット沖縄の「永遠の一秒」
舞台にいくときはいつも、一生懸命なひとに会いたくて行くのかもしれない
一生懸命に、その役を生きるその姿に何か力をもらうのだ

永遠の一秒は、第二次世界大戦の特攻隊が題材として取り上げられていて・・・

でも、そこに描かれていたのは、なんだろう

いいや、感じたことを正直に書いてしまえば、わたしは今わたしが生きているこの瞬間までの命の連なりを体いっぱいに感じていた
数えきれないほどの瞬間の重なりの体感はまさにスパーク、爆発的な衝動は、生きていることへの純粋な喜び
でも、それがハイなものではなく、悲しみや寂しさ、切なさややりきれなさ、戦後のストーリーと現在の状態への思い、いろんなものが混ざり合った、まるで虹色なその体感は面白かった

MOVEMENT2015で一緒にステージにたった、ちょびっと年下の男の子も出ていた今回の舞台
彼はその体から大きな声をだして、びっくりするような長いセリフを感情まっぱだかで一度もつっかえずに
一生懸命だ、そう思った、中途半端じゃないものへの感動が起きた

明日の講演会の前に観に行けて本当によかった

とても好きな、そのひとは物語のなかの中心人物だった
メガネが少し前に壊れてしまって表情などは見えなかったのだけれど、今振り返ってみると、そのぶん声の表情の豊かさが印象的だった一言一言にのせる感情がとても純粋で、ああお芝居が好きなんだろうなと、なんだか眩しく感じる

何を思って何を感じて、何に涙していたんだろう

舞台を観終わったあとはいつもぼーっとしてしまって、舞台後に俳優さんが立っていても気の利いた言葉がでてこない

言葉になるのはいつも感動の波の揺れが収まったその頃なのだ

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明日の講演会のテーマは生き方なのだけれど、その前座にはそのエッセンスを詰め込められるだけ詰め込んで、わたしの体をつかってそれを表現しきりたいのだけれど(そしてなぜかそれができるだろうとも思っているんだけど。)

好きなことをするのに理由なんていらなくて、でもその好きなことを好きだといえる状態にまだ多くのひとはいなくて、それが社会をへんてこにしていて

わたしにとってはそれはとても切ないことだったりして、そんなものを取っ払ってしまいたい、生きているのが答えなのだと、この姿でその姿で生きていること、それがもう答えなのだと、なんていうかそういうことを詰め込んで爆発させてしまいたい

講演会の準備中に大げんかしたりして、わたしのなかにそんなに爆発的な怒りがあるだなんて思ってなかったから、感情に自分にびっくりして、でも、それが出て行ったことであいたスペースは、もっとたくさんの出会いや豊かさを呼び込んでくれた

明日は大きな大きな大きな転機になる

MOVEMENTを超えたい、あの日を超える感動がほしい、ずっと心のどこかでそう思っていた
でも見つけられなくて、あの日あのステージであたったスポットライトよりも嬉しいものは少なくて

明日で一個のシーズンが終わるんだなと嬉しく思ってる
これが終わった後、7月からの暮らしはどうなっていくんだろう

どこまで運ばれるんだろう、想像もできないけれど、うんとゆったり身を委ねて遊びきりたい、この体で、この顔で、この心で