NOW 500→1000

パートナーシップについて思うこと

結論から述べてしまうと、誰でもよくて、かつ、あなたでないとだめなのだ

最近、特に心がけてどんな相手とも心を開き会話をすることを試みていた、今は飽きたのでたまにしかやっていない

向き合うというのは、どんなレベルであれ向き合うであり、相手のことをよく知っているか否かとも関係ない

その瞬間に対峙する相手のことを、心の底からその存在を肯定し、静かにじぶんの感情を捉え、湧き上がるそれについて相手のものとじぶんのもの、そしてその場のものとに分類していく

この作業をする間、気をつけるのは高揚しないこと、つまり、深く深く、下の方、おなかのあたりまで心を下ろして、それを相手に向け、軽く開いてコミュニケーションをとるということ

この状態にあるとき、会話はさほど重要ではなく、むしろ口を開く前にだいたい相手が何を言うかわかるぐらい相手のエネルギー、状態を把握、理解ではなく、把握することが大切だ

そうしてはじめて、逆説的ではあるが、今のじぶんの状態を知ることになる、そして意味のない傷つけ合いは回避できるし、相手も連動して自然とじぶんを知っていく

また、誰かに攻撃された際にも、それがじぶん由来のものか相手由来のものか、はたまた、その場がそうさせるのか、冷静に見極められる

これを癖づけすると、じぶんのペースを乱されにくくなる

そう、じぶんを知る、その営みこそ生きる喜びであり、醍醐味のようなもの

どのように生きたいのか

どのように在りたいのか

人の数だけそれは異なり、その差異こそが、わたしの、あなたの生きている意味なのだろうと、今は考えている

これを、コミュニケーション、パートナーシップというテーマに寄せていってみる

たとえば、誰かに好かれたいということを理由に、大勢の誰か、空想のマジョリティーが、架空の世間が好みそうな誰かの皮を被ることは、本当の喜びから掛け離れてしまうきっかけになる

なぜなら、誰でもよくなってしまうからだ

特別な座標を与えられているにも関わらず、他の誰かになることを願い、じぶんを偽って演じること、その先にある空っぽさ、これは心の病気のもとになる

じぶんの座標を思いっきり生きる

そのようにして過ごしていると、同じように心をひらいたコミュニケーションをとるひとと、まるで運命のように出会い、縁を深められることがある

その偶然はコントロール外のところで起きる幸運であり、その相手と文字通り心を通わすうちに、ひとはよりじぶんを深く知り、また肯定することを覚える

そう、ここにパートナーシップが生じていく

しかし、パートナーシップという言葉は曲者である

これは元来、異性であったり、対一対一であったり、特別なもの、かつ性的なコミュニケーション付き、みたいな、いわゆる彼氏彼女、妻夫というようにされてきた感じがある

だけど、そんなの嘘っぱちで、そうしていたほうが便利だからそうなっていただけのこと

性的なコミュニケーションが付随するのは、その行為によってよりお互いがお互いを理解しやすくなる、裸になることや、恥ずかしいとされる経験を共有することで心の箍を外しやすくなる、そういう意味なのだろうと思ってる

パートナーシップは、誰と結ぼうと自由で、これもまたじぶんや相手のリズムが変われば簡単に、これは切ないのだけれども、あるとき突然ほどけるものなのだ

だから、だから、だから

恋い焦がれたとしても、だれか特定の人の隣を歩きたいと渇望しても、じぶんを押し殺すように努力を重ね架空の理想を目指すのではなく、本来のじぶんにかえっていく、ひとつひとつ特別な感性を思い出していくことが大事だ

その過程こそに意味があり、もしその思い叶わなかったとしても、その過程を経て、より純粋化されたあなた自身のことを、きっとあなたは以前のあなた以上に大切に思えるようになる

だれを好きになるかはどうでもよく、それが単一であるかもどうでもよく、性的なものが付随されるのかもどうでもよい

大切なのはその関係を経て、何を感じられるのか、そこに尽きるのではないかと今は思う

だから、その意味で、パートナーというのは誰であってもよく、また、その特定の誰かではなければ意味がないのだ

ひとはそれぞれ生きる意味や喜びが異なって当たり前なのだから、わたしがこう思うというだけのこと

でも、世間にある言葉や概念に、じぶんの思いや関係性を当てはめようとしてうまく入らないそれに苛立ち、なぜ入らないの!とシンデレラの姉たちばりに血を流しながら削るのではなく

もしかしたら、先にあったその言葉たちが、概念が、今のじぶんとは異なるものなのかもしれないと、丁寧にじぶんの声に耳を傾けることは、誰にとっても意味のあることかもしれない

大好きで大切なあなたのことを、わたしなりに大切にするために

また、この世にひとりしかいなく、それゆえ究極の意味では常にひとりぼっちで立っているわたしという存在をまるっと抱きしめるために

もっと丁寧にじぶんの思いをさらっていきたい

f:id:pidakaparuna:20180612225034j:image