「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

まずは、じぶん。

まだ樹木希林の声がするような気がする。
今日はカフェがお休みで、パッと飛び起きてタクシーに飛び乗って、沖縄市へ。

シアタードーナツで「人生フルーツ」を観た。
津端修一さん、英子さんの暮らしを映したノンフィクション。
なのに、なんだかジブリの映画を一本観終わったようなキブンなので不思議だ。

どういう風に感想をかきとめようかと迷っているうちに、机の上に届けてもらったハーブティは少し冷めてしまった。

沖縄市って来るたびにお店が増えていてとても楽しい。
ITのひと、絵を描くひと、音楽のひと、食べ物のひと、ホテルのひと。
いろんなひとたちが混ざり合い、何か始めるんだという気概に満ちた場所。

映画のことは、映画の感想をしっかり書いてみるということがしたいから、一旦横に置いて。映画を観たおかげで刺激され、ちょうどよくまとまり始めた考えごとパラパラと。

一番ヒントになったセリフ。

「なんでも自分でやること、コツコツとそれをやれば何かが見えてくるから」

フランク・ロイド・ライトの名言も登場したりして。
学園の建物を思い出したり、木々の姿を感じ直したりして。
わたし、贅沢な環境のなか、大人になったんだなぁと改めてしみじみと。

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3歳から15歳まで暮らした場所。

でも、もう「感受性」やら「感性」やら「愛されてる」やらを前提にして、どんどん創造してどんどん前進したい!と思っているのだ、最近、常日頃。

一目で恋に落ちてしまった不思議なお姉さんが「17で人生を人のせいにしないと決めた」と話していた、こないだ。
17。
わたしの人生が大きく大きく変わったのもあの年だった。
真夜中、車に荷物を全部詰め込んで。
涙を流す暇もなかったなぁ。
だなんて、まだ23年ぽっちの人生だけれども。

今何がやりたいかってはっきりいない。
どんな暮らしがしたいかもはっきりしない。
どんな風に生きていきたいかもわからない。

だけれども、ずっとずっと前よりも生きているのが楽しい。

そして、何かをつくってみたくて仕方がない。
スプーンでしょ、お箸でしょ。
お皿も作ってみたい。
洋服ももう一度縫ってみたい。
家も建ててみたい。

かーこさんが勧めてくれたように絵本も描きたい。
そのために隙間の時間が欲しい。

そんなじぶんの声を静かに受け止めて。
”しゅうさん”の言葉に背中を押されて。

夏以降の生き方を変えることをしっかり決めた今日。

稼ぎは少し減るけれど、いいでしょう。
それが何につながるかもわからないけれど、いいでしょう。

「なんでも自分でやること、コツコツとそれをやれば何かが見えてくるから」 

きのう、きょう、あした。

きのう、きょう、あした。

 

 

ーーー

「元気なうちに、ありがとうと言えばよかった。」
一度も見たことがない朝ドラのセリフを3回も人づてに聞く。

人生フルーツのなかで、修一さんを見送る。
わたしもやがて死ぬ。
だけれども、その前に、きっとおじいちゃんおばあちゃんがいってしまう。

(わたしが生きてるよりもよっぽど彼らが生きるほうが人のため世のためになるだろうと思う。)
(でも、そんなこと言ってたって仕方がないし、遠回りな自己憐憫でしかないから、ため息つきながらよりよく生きよう。)

元気なうちに、言えばよかった。
そう思う言葉を伝えに、今月末は愛知に里帰り。
お正月ぶり。

車に乗るたびに、運転しているひとを眺めながら「この車で死ぬとしたら」と考える。だけれども、今日初めて「そんなこと言わないで欲しい」と思う誰かの言葉が胸に沸く。ひとりで生きているように錯覚するけれど、この人生、わたしだけのものではない、と改めて実感した瞬間だった。

でも、よりよく生きるため、世のためになるような生き方ができるためには、まずじぶんがとことん幸せにならんといかん。

そこを、ほほえみ浮かべてこめかみ引きつらせて生きていっても、散らかった「我慢」のかけらが邪魔をする。

まずは、じぶん。
それから身近なひとたち。
同時進行で、消費の仕方を考えて、遠くの人たち。
この星のこと。

じぶんを耕すのと、何も実らない土地に手を入れ草木が茂る豊かな土地にするのとは、似てる。

まずは、じぶん。