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メインは俺だ!

バラバラになってしまった考え事をまとめるため、パラパラと情報を身体にいれる。目的、目標、それぞれを整理するために、言葉にしようと試みる。

でもまだ、瞬間瞬間のインプットの量が多すぎて、耳に入る音が雑多すぎて、今あたまのなかにある形をもたないやわらかすぎる考え事はどれも言葉になりきらない。

考え事に意味はないとも思う。でもその一方で考え続けなければ生きていけないとも思う。意味のない日常に意味をつけ、その色合いのなか日常を感じるからこそ生きることが楽しく面白いものになる。

「メインは俺だ」

昨日の夜、知らないロック歌手のうたをバックに、大人の先輩がそう言い放った。メインは俺だ。その言葉をじぶんのなかで繰り返し味わう。メインは俺だ。

ぱっと思考が飛ぶ。

あたまのなかには、数十時間前に見た舞台が流れる。よくよく知っているひとが、まったく知らない姿で、豪華絢爛なお着物を着て物語を描く。単調なテンポで恋い焦がれるところまでが描写され、その後一気にクライマックスへ。

派手な演出があるわけではないのに、客席の空気まで一変させる。ライトや音楽や映像をたっぷりとつかう演出とはまた違う空気の変え方が伝統芸能のなかにはあって、そこになにかの本質のかけらを感じる。

丁寧な日常的なお稽古のすえ、そして、それは今回東京入りしてすぐに向かった母方の家のお墓に刻まれていた、数百年も前のご先祖様の逝去の日付からハッキリと感じた命の連なりのすえ、ともいえる連なりのもと成立している。

空白のない連なり、その先端、末端にいるじぶんを、伝統芸能の舞台への感動を終えたあとから、より一層つよく感じる。そこにハッキリとした意志はなくとも、連なりを拒むことも、連なりを無視することもできない。

母方のおじいちゃん、ひいおじいさま、そしてひいひいおじいさまと、その上のおじいさままでたどって満足する。正しさや間違いについては今のわたしが判断できることも判断していいこともなにもないけれど、”よく生きること”を放棄しなかったひとの暮らしがそこに綴られていた。

そのうえでやっぱり突きつけられるのは、わたしがどう生きていくか、である。

ぱっ ぱっ ぱっ と思考がうつる。キブンが変わる。

開いた本からこぼれた言葉。

「不安と心配は力に変わる」
「伝達ではなく対話を」
「地位価値と、地位的ではない価値」

相対的なものではなく、絶対的なものをひとつ持つ。そしてそれは持とうとして持つものではなく、今のこの体験と実践と思考の繰り返しのなかで勝手に育つのだと思う。

そして、その繰り返しの中で育った絶対的ななにかが本当の意味での成功であり、かつ、「メインは俺だ!」に通じるなにかなんだと思う。(それは昨日もうひとりの大人の先輩が言った「思想を持て!

たらたらと書いたけれど、ぎゅっとまとめると、今回の東京滞在もとってもたのしく幸福です、となる。たくさんの誕生日プレゼントを両手に抱えながらあと24時間後には石垣島にいる。

生まれて初めて行く場所というのはワクワクする。純粋にその予定をたのしみに思えるときはシンプルに幸福だなぁと、わちゃわちゃいろいろ考え事をしたあとは特につくづくそう思う。

昨日もそういうワクワクだった、たのしかった。

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メインは俺だ!

いっぱいのブルーハーツ、ああ本当にたのしかった〜〜〜〜〜〜!!!