「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

働く目的

2月が終わる、じきに日が昇り3月になる。
今日もたくさん働いた、時間としては8時間半、けれども内容としては十分ではない。
2時間のお仕事で十分に働けるときもあれば、8時間を超えて働いても十分ではないときがある。

十分か十分でないかを決めるそれは、目的を理解しているか否かということだけ。
大きな目的を理解できないとき、小さな作業は問題なくこなせるが、そこに効果は出ない。
中くらいの目的を理解できないとき、小さな作業の効率は落ち、効果もまったくない
小さな目的を理解できないとき、身体は動きたくないと訴えるし、心は開くことを拒む。

目的を理解したい、でも、そのためには踏み込まなくてはならない。
踏み込むことは、とても意味があること、無意味に踏み込むことはお互いのプラスにならない。
絶妙なバランス、線の上。

だけれども、それぞれの場所、それぞれでの役割を果たしたい。
バランスを崩す可能性もあるから、恐れが出るけれども、きっと踏み込むのだろうと思う。

仕事の場所の目的を包み込むように、わたしの生きる目的が在る。
それさえわかっていれば、それぞれの仕事のそれぞれのランクの目的を理解できなくとも、愛から働くことができる。
今、かろうじてすべてが持続されているのは、それ故。

仕事の場での目的が、ただしいか、そうではないかを決めるための知識が足りない。
手からうみだすものはまっとうなもので、かつ"美しい創造"であるものが良い。
でなければ人間として生まれてきた意味を失ってしまう。

知識が足りないというところまでわかる感性を身につけるために学部があると、学問の基礎を授けてくれたひとが言った。
その先の知識を深めるため、答えを導くための道具と出会うため、大学院があるのだと教えてくれた。

今はその時期ではない、でも、やがてその時期がくることを予感した。ぴったりの時期にきっと深い深い考え事に潜ることになる。それを潜り終えた後、今種として撒かれている様々な疑問に答えを出し終える。

ひろいひろい視点、せまいせまい視点。
どちらもなければ生きていけない。

4月からの暮らしにすっと焦点をあわせる。
大きな豊かな海の上、ぐるぐると飛び回る鳶のよう。

いかようにも生きられる。
決めるのは自分。

息を止め深く深く潜る。どこまでもどこまでも行け。
きっとわたしは見つけられる。