NOW 500→1000

お金ってなんだ=働くってなんだ=生きるってなんだ(YADOKARI『月極本3』を読んだ)

YADOKARIが出している『月極本3』を読んだ。

ちなみに出会いは何か調べ事してるときに連鎖してヒットしたんだけれど、沖縄じゃ売ってるところないか・・・と落ち込んでいたら、まさかの3つの仕事先のうちの1つのカフェで販売しているという!すごい~~と思い、すぐ買った。


さてさて、まずは簡単に本の目次を紹介。

008 スペシャルリポート・森のコミュニティ

014 資本主義、終わりのはじまり
  インタビュー・渡邉賢太郎

044 世界の小さな住宅案内

104 ギフトエコロジーのはじめ方

  文・ソーヤー海

119 個性は書店が選ぶ
  「お金」を知るための50冊

138 お金の祖先
  文・赤瀬川原平

144 ポケットのなかの恋人

  写真&文・西山 勤

146 今回の特集で僕らが考え方こと

(字は本のまま。)


このなかでも特に気に入った中身は3つある。

  1. ソーヤー海さんの「お金って何?」という問いかけ
  2. 「起業家の余暇」としてのコミュニティづくり
  3. お金について考え詰めた証券会社OBの考える「お金」
ソーヤー海さんの「お金って何?」という問いかけ

まず1つめ。

目次だと「104 ギフトエコロジーのはじめ方」に当たる。

「結局、何がいちばん大事かっていうと、どういう人間でありたいか。僕が目指しているのは生態系の一員として自然の恵みをいただいて、その幸福感を原動力に、より多くのひとたちがしあわせになるために自分ができることを死ぬまでやっていく生き方。」

「恐れではなく愛に動かされて生きたくて、その愛に動かされて生きるためにはお金への依存を減らすことが必然的。お金への執着がなければみんな全然違う生き方を選んでいると思う。」
p.111

この文章が印象的だった。
結局「お金とは何か」ということを突き詰めて考えたときに行き当たるのは、そもそもお金を得るってなんだ?というところから、働くってなんだ?というところに行き当たり、そうすると人生が有限である事実とハッキリ出会い、そこに立ち尽くしたとき「生きるとは」を考える。

どのような状態であれば、わたしは生きているといえるのか。そして「働いている」時間に息を潜めて生きるのではなく、ご機嫌に、かつ幸福に、喜びのもといるいるためにはどんな内容・働き方・暮らし方が必要なのか。

そもそも「仕事」によって暮らしを持続させなくても、生きていく方法などたくさんある。となると「働く」ことはプラスαの動きになる。わたしは働くのが好きなタイプなので、お金→はたらく→生きると考え事が推移しただけのこと、だね。

さて、ソーヤー海さんが書いている「ギフトエコノミー」、これは以下のようなモノ。

「こうして活動できることも、たくさんの知恵や知識も、まわりにいる友人たちも、すべてをギフトとして受け取っているものだから、ものすごい愛に支えられている感覚がある。それが僕にとっての社会保障。」
p.113

実は去年の夏、大学5年生の夏にこの経済を体験してるので、首をぐわんぐわん回しながらうなずきまくった。あの夏、これ以上は留年できないぞ・・・!というプレッシャーの中、働く時間もなく、残高はじょじょにすり減りとうとうなくなり、お財布も空っぽ!という危機が訪れていた。でも口座の残高0、お財布空っぽで1ヶ月を生き延びた。(もちろん胸を張って言えることではないのだけれど、生き延びたという事実が今のわたしを支えているということを言うのには、ちょうどいいエピソードだ。)

これはそのまんま、海さんが書いている「ギフトエコノミー」のおかげ。まわりにいるひとにSOSすら出せなかったのだけれど、そういうのはおそらく顔とか身体とかに出るんだろう、みんなが食べ物をくれたり、外に連れ出してくれたり、そういうことをしてくれた。1日もひもじい思いはしなかったし、むしろいつもより美味しいものをたくさん食べた。

あのときにお世話になったひとがピンチだと、数に限りなく助けたいと思って今でもついついいろいろ手伝うし、そういう「持ちつ持たれつ」のコミュニティのなかにいると、何が起きても大丈だと本当に思える、しかもそこに血の繋がりや同じ職場みたいな「所属」も関係ない、つまり利害関係によるそれではないのがみそ。

「起業家の余暇」としてのコミュニティづくり

2つめ。月極本3、表紙から数ページめくると「テック界の成功者がDIYで広げる森のコミュニティー」と題されている特集がどーんとでてくる。その時点で「むむむ」となった。
なんだ~結局やっぱり「成功」したのちの余暇として、つまり資本主義の見えないゴールであるてっぺんに到達したものが、そこで得たものを使ってコミュニティづくりやらより良い教育をやるということかよ~~と思ったけど、いやいや待てよと思い、ここのインタビューは速読せずにじっくり読んだ。

そしたらひとつ本質が表れている!と思ったところがあった。 

「彼らはここで商売をしたい訳ではない。コミュニティーのマネタイズには賛否両論あるだろうが、適正な収入によって活動が永続的になり、より多くの人々にビーバー・ブルックでの体験を伝えることができる。それはむしろ歓迎すべき変革なのかもしれない。」
p.11

つまつまつまり、順序はどっちでもいいということ。重要なのは「コミュニティ」という概念をしっかりと見極めて、どのように繋がりをつくりだすか、その場を整え、持続可能な仕組みを持つかということ。

そのためには運営が本質からずれてはいけないし、本質からずれないためにはおそらく起業のようにシンプルに物事を突き詰める経験が不可欠なんだろうと思う。でもおそらく、その困難を、今関わっている沖縄のコミュニティであるアメナルミチのメンバーのひとたちや、ワカゲノイタリ村は超えられるんだろうと勝手に思い、すごい楽しくなった。

お金について考え詰めた証券会社OBの考える「お金」 

最後。「金」の一番そばにいたひとが疑問を持ち、旅に出るまでのストーリーがとっても興味深かったし、すごくうなずけた。新興宗教には首をかしげるのに、今の世の中にある多くの仕組みについて首をかしげないのはヘンテコだなと中学の頃に思ったのを思い出した。

「冷静に考えると、これって、なんかおかしいですよね。ようはすべて「又聞き」なわけです。別に嘘はついてないし、ついてるつもりもないけど、それをさも見てきたかのようにお客さんに話して、買っていただいてた。そして結果として、株価が下がったときに僕はなんの説明もできなかったという事実が残りました。」
p.17

特にこの文章にうなずいたのは、今のじぶんへの批判を込めてだ。「又聞き」に過ぎない情報に時間を割く自分への戒め。facebookを何の気無しに眺めたりtwitterを眺めたりするのも似たようなもの、SNSというフィルターを通して現れる相手なんて「相手」ではないのに。

やっぱり生で、この目で、この身体で体験した情報あってのこと、そういう実体験と、日々触れる情報や採りに行った情報とが重なり合って、はじめて意味のある「インプット」になる。

あわせて詳しく書かれていたブロックチェーン技術については、わたしは懐疑的。本当に世界を良くするかは、どれだけ「失敗」が許されるかが決め手になるかな。 

いらない価値観をハンマーでぶっ壊す

最近、立て続けに身近の同年代が精神的な病気になった。わたしはひとが精神を病むとき「今の自分の価値観と今の暮らしがあっていない場合、精神を病む」という原則があると思ってる。価値観と現実の不一致に耐えきれず、身体にその不調和が現象として起きる、みたいなイメージ。

それは今の日本でよく言われるように「弱い」から起きるのではないし、自己責任論にさらされていいものでもない。それは自己責任論への批判としてよく言われるように、1万人に1人とかの確率ではない比率で精神を病むひとがいるから、こりゃもう仕組みがおかしいんだろうとしか思えないから、そういう風に思う。

でも、ある意味、その仕組みを引き受けているのも個人なので、そこにはある種の「自己責任」はあるのかもしれない。でも、ここでいう「自己責任」と、さっき書いた自己責任論の文意は違う。今の資本主義の形の社会のなかでの「自己責任論」は頑張れなかったお前が悪いだけど、本当の自己責任って幸せに生きるための決断をすることだ。

誰かや何かから与えられる価値観をまとったまま年を重ね、あるはずのないレールのうえで有限の資源を食いつぶすのは「選択」しているようで選択していない。でも多くの場合は精神病になるか、病気になるか、家族に何か問題が生じるかでしか、じぶんが誰かや何かからノー判断でインプットした「価値観」にもとづいて生きていることには気づかない。気づけない。

意識的に選んだ価値観であれば、どんな価値観でもいいと思う。そのひとがそのひと自身の幸福について理解し、選びぬいたものであれば、わたしと真反対(ガンガン資源つかってガンガン地球に悪いことしてガンガン子どもに意地悪をする)であっても、まあそういうひともいるよね・・・で、説得したいとも思わない。(接触はしたくない。)

「価値観が異なる相手」を批判したいのではなく、誰かから価値観を無判断で受け入れることへの批判がしたいし、子どもたちに無意識にそういった価値観を刷り込んでいるそういう価値観が刷り込まれた大人を批判したい、その批判は相手を見下すためにしたいのではなく、相手のことが好きだから、もしくは相手の先にいる相手が大切だから、そう思う。でもまあ、一周するとどうでも良くなり、手の届く範囲のひとが幸福でいてくれるように日々の暮らしにアンテナは戻っていく。

なんで、YADOKARIの『月極本3』の感想の最後にこれをつけたかというと、こういう本が、「あれ?」と違和感を覚え始めたひとの殻を叩くハンマーになるんだろうと思ったからだ。

ちなみに、わたしのハンマーは「ナリワイ的生き方」を教えてくれたこの本だった。

ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方

ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方

 

 
もっと遡れば須藤元気さんの書いた『今日が残りの人生最初の日』だったし、もっともっと遡れば幼稚園の頃から読んでいた聖書だったのかもしれない。なんであれ、ときどきやっぱりちゃんと猛烈にインプットしたくなる期がくるから、もっとバイオリズムを信頼していこうと思う。

「本を読まねば!」と思うのはなんか違う。「ああ読みたい!!」という衝動に突き動かされて本を読むのが心地よい。食べたいと思ったら食べたいし、したいと思ったらしたいし、そういうのと似ているんだと思う。だから結論的には今回の本からもらったのは「よし!もっとバイオリズムを感じよう!」なのかも。

レッツ フィール バイオリズム!