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じぶんの人生を生きたい

やめてたタバコ、みたいな感じで、やめてたというかいつ頃からか欲しくなくなっていた甘いものが欲しくてたまらないここ最近の日常。ただ口さみしいから食べている。ただ目をそらしたくて、味を感じることで、自分のなかの感情と向き合うことを避けている。

パートナーのひとが運転する横で泣いてしまうのは何回目だろ。毎回毎回、この日常のかけがえのなさが、あと数週間で終わってしまうことが、そこまで思考を至らすことなくわたしを寂しくさせる。ぽっかりと穴があいてしまったあと、元通りの暮らしができるのか。彼から具体的な日程を聞いたあとから極端に眠りも浅く、夢見も悪い。

感情が、息だとか声にならないような声だとかになって口から出ていく。声にならない声は鳴き声に似ていると思う。言葉にしてしまうと濁ってしまうそれは、音として捉えるとただ感情に音の形をあげたにすぎないものになる。重たいのに声にしてしまえば軽いから不思議だ。

その声を不思議がることもなくただ聞き流してくれるひとの腕の中で毎朝目を覚まし、毎晩眠りにつく。この当たり前がもうすぐなくなってしまう。目をそらしていたけれども、それはわたしにとってあまりにも大きな転機で、仕事をしてなかったら頭がおかしくなってしまうだろうとさえ思う。

だって5年だ。まだ骨ばった身体で、「女のひと」になる前で、家族のことやそれまでの経験のほうにとらわれがちで、自由に生きることをたのしめるようになる前から彼はずっと隣にいた。大喧嘩もしたし、それこそ思い切り怒鳴りつけられたこともあるし、夜中に喧嘩した腹いせにプリンターをかついで走って自分の家に帰ったこともあった。(あれは面白かった。)

くだらない別れは多かったけれど、多くのひとが批判するようなわたしのいろいろなことを、彼はただ笑って抱きしめてくれた。5年間、「彼氏」ではなく「パートナー」と感じるには十分すぎる時間を積み重ねた。

彼がいなくなることで気をおかしくすることなんてお茶の子さいさい。精神的な病気になる瞬間というのは、狂気に身をわたしてしまうのと似ている。こないだ超きもちわるい小説を読みながら、わたしだってこの狂気を内包しているのだと思っておぞましくなった。切り捨てられたらいい、でも、そうもいかない、きれいなところも醜いところも、どちらもあるからこの自分として生きられる。(臣女 (徳間文庫)

彼と離れることはもう決まってしまったことだし、もっとちゃんとした言葉を選べば、ずっと前から決まっていたこと。「ついていかない」と決めたのは他ならぬわたしだ、そこにわたしの人生はないと知っていたから。誰かを理由に場所を移してしまえるほど、わたしは誰かを信頼していない。し、その信頼というのは、ときに凶器になりかねないということを、わたしは嫌というほど知っている。

その人生を繰り返してしまっては、生まれてきた意味がないように思うから、あのときのわたしは「ついていかない」と決めたのだ。そんなことはとうの昔に彼も知っていたことで、さらにいえば、彼はわたしがついてくることなんて望みすらしていなかった、良い意味で。

誰かに「ついていく」人生に何の意味があるだろう。その無意味さに比べたら、ひとりぼっちになることのこわさなんてなんでもない。そう小さい体で思ってから、何年時間を重ねただろう。今の自分はまだその小さな自分にかける言葉も見つからないし、彼女が感じていたことには概ね同意している。

だからこそ、やっぱりまだ「ついていく」選択肢はとれないと思い、そう決めたのだ。なんだかネガティブだけれども本当はとってもポジティブな決断。だから、別に気がおかしくなることもないし、彼が遠く離れた場所へ行ったあとも、わたしはわたしの思う未来に向かって今よりもスピードアップして進んでいく。

ただ、その寂しさが薄れていく気配がしたのが今日だった。その気配を連れてきてくれたのは子どもたちだった。今日わたしに会うために階段を駆け上がってきた4歳の女の子を見て思った、半年ぶりに出会ったけれどこちらを覚えていて手を伸ばしてくれた1歳の女の子を見て思った。その出来事を皮切りに、いろいろなひとから連絡が届いた。寂しいだなんて漏らしてないのに。ひとりぼっちになんてなかなかなれない。

みんながいなかったら、パートナーという錨をなくしたあと、あてもなくふらふらとさまよっていたに違いない。特に子どもたちからもらうものは大きい。彼らはその命を彼らの家族に委ねているのに、彼らがわたしに対してくれる愛情はなんだかとても自立したもので、わたしはその愛情に自立した愛情でこたえたい、と思うのだ。

まだ、自立した愛情、というのがなんなのかはわからないんだけど、たぶんパートナーと離れることで何かヒントが得られるんだろうと想像してる。もし、遠く離れたあともパートナーシップが続いていったらそれはそれで喜ぶつもりでいる。わたしの働き方はだいぶ自由だから、暮らしが離れても続くこともあるんだと頭ではわかってる。でも、一緒に暮らせないと意味がないと、きもちの底でわかってる。

だから、お互いを縛り付けるようなこともしないと決めている。ひとがひとを好きになるのは今ある制度や概念では止められないし、それを理由に裁くことでもない。

このままおばあちゃんになるまで、彼よりわたしをよくわかるひとに出会えないまま死んでしまったらと思ったらとってもさみしいし、くっついていきたいキブンになるけど、でも、ああそれじゃ意味がない!もう、前にすすもう、自分への信頼のなさからくるうじうじはなにも生まない。

わたしがわたしをとことん愛する、まずはそこから。とってもとってもさみしいけど、まずはそこからやりなおそう。いいチャンスだ。誰かと寄り添えない時間が、誰かと寄り添える時間の喜びをまた教えてくれるはずだ。

ああでもいやだ、やだな~~~~~!!あほー!!!

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なんで人間に生まれてきたかなぁ〜ほんと!もーやんなっちゃう!