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「子どもがほしい」という言葉が嫌い

「子どもがほしい」という言葉はすごく苦手ですごく嫌いだった。今も嫌いだ。子どもがほしい、その言葉のなかに詰まっている何かが嫌いだ。この「嫌い」を感じるとき、いつも胸のあたり、特に左胸のあたりに鈍い痛みを感じる。ぐぐぐっと重たくあるそれは、ときどき気まぐれに痛む。

「子どもがほしい」という言葉を嫌いと感じるのは、その「子ども」への無意識の期待を嗅ぐからではないかと推測している。その「子ども」はそのひとにとって、わたしにとってどのような存在なのか。誰かを傷つけたくてこれを書くわけではないのだけれど。

「子どもがほしい」という文のなかの「子ども」に含まれる期待、その期待は生まれてくる子どもには重たすぎると、そう思っている。もっと軽やかに生まれてきてほしい。もっと軽やかにこの世界に根付く期間を過ごしてほしい。それはそのまま「過ごしたかった」に言い換えられるから、こんなに胸が痛むのか。そんな幼稚な理由ではないと思いたいけれど、結局のところそういうことなのかもしれない。

「お母さんに会うために生まれてきた」というストーリーが苦手だ。でも、そのストーリーが苦手だという理由を説明するのは、なんだか酷なことに感じて、いつも言葉にするのはやめてしまう。「お母さんに会うために生まれてきた」は、あくまで片面の意味でしかない。それは一部であって全てではない。

自然のながれのなかで、ひとびとの暮らしの営みのなかで、当たり前に子どもを授かり、みなで喜び、みなで育て、みなで看取り、また命を繋いでいく。その時代のなかに生まれていたらこんなに考え込まなかったんだろうか。でも、どちらにせよ、わたしが生きているのは今で、今あるのはこの社会で、生き方は選択できるのだから、その考え事はあまり前向きではないね。

でも、よくよくこの考えごとと向き合うということはそういうことで、はやく会いたいと意味もわからないんだけど、そういう思いが自分のなかにどんどん育っている。ただ、まだタイミングではないのだということをはっきり認識したのが今日だった。そして、そのタイミングを決めるのはわたしではない。まさに「神のみぞ知る」というやつだ。焦がれて焦がれても授からないひともいる。すべて意味があってそうなってる。

昨日、遠くへ引っ越した大好きなひとが、ときどきあなたのために祈ると、そう教えてくれた。とってもとっても嬉しかった。誰かに思われながら生きる幸福を身体いっぱいで感じた。そういう出会いの連鎖のなかで生きている。だけど、まだ溢れきっていない何かがある。まだ、生まれてきてよかったと心の底から思えていない。そう思えるようにならない限りは、命を繋ぎたくない。

今はそれでいい。待たせてごめんと、誰に向かって言うのかもわからないけれど、そういうきもちと、もう少し待ってほしいという思いとが混ざり合う。まだそのタイミングではない、もう少し環境を整えさせてほしい。

ベストなタイミングで出会えると思ってる、それが自分の子どもでなくともいい。命を繋ぐということ、バトンを渡すということ。もっとその範囲を拡大させたい、そのために今、じぶんを耕している途中。 

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 この考え事が「悩み」でなくなったのは、アナスタシアを読んだからだろうなぁ。「子どもが生まれるのはいつか」という問いが、トンネルの出口をふさいでいた壁を壊してくれた。そしてこの考え事が暗く重たいものにならないのは、まわりにいるちっこい友人たちのおかげだ。みんながいなかったら、わたしはとてもじゃないけど明るく生きられない。

あと3年くらいかな。3年後の自分が笑ってこの考え事について隣にいるひとにおしゃべりしてる様子だけが、映像でうかぶ。

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