「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「だいすき」の前にひれ伏す

2017年の12月に一人バスに飛び乗って遠い場所へ舞台を観に行った。その舞台が特別観たかったというよりも、その舞台に出る人が東京へ行くというのを偶然SNSで目にして、なぜか居ても立ってもいられず観に行くことを決めた。

あのときの衝動は今ならわかる、「応援してる」を伝えたかったのだ。バスを降りてから道に迷い、もう仕方ないとタクシーを探して大通りを走り、初めて通る道に心躍らしながらホールへ向かったのを今でもよく覚えてる。あの夜の温度、風、一生懸命に準備してきた人たちの醸し出す何かが空間から漏れていたこと。

その匂いにドキドキしながら、ひとりホールの前の方に座り、幕が上がるのを待った。映像と、生身の人間が演じるのとが掛け合わされた作品で、それはとてもリアルだった。もちろん内容はフィクションで、それぞれの特徴がクローズアップされ表現になっていたけれども、それでもなんだかとてもリアルだった。

本当は、帰る前にちゃんと言葉で「応援してる」と伝えたかったけれど、舞台にでたあとのひとというのはキラキラした何かを纏っていて、そのキラキラを眺めていたらなんだか想いがこみ上げてしまって。目を一度合わせただけで、気づいたときにはホールの外にいた。

なんでだろう、その舞台のことを最近とても思い出す。人生と人生が交差するのは一瞬で、その一瞬の出会いと共有した時間は忘れらないものになる。大勢のひととすれ違い、たくさんの気づきを与えられ、良い経験もしんどい経験も抱えてまた違う道を歩く。

わたしの普段の暮らしもある意味であの舞台にとても似た何かなのだということを感じているのだと思う、その場ではわからない伏線となる出来事や、言葉、他者の存在、演出のされ方。さまざまな要素がそれを感じさせる。

そう、日々の暮らしはわたしの意図を超えている。こんな暮らしにしたいこんな仕事がしたい、細かい事柄は意図した通りにデザインできる、でもそれ以上に飛び込んでくる出会いがわたしの人生の範囲をひろげていく。

今日大好きなひとたちの集う場所で「だいじなのは全面幸福」というだじゃれを習った。ぜんめんこうふく。よい言葉。ほんとにそうだ、と思って笑った。無数の出会いの前に、流れるように存在する無数の世界線の前に。

大切なのは正しく言葉をつかうこと、今ある言葉に自分の感じたことを合わせないこと。行きたい未来の方向だけに注意しながら、ただしい言葉選びで遊びながら、与えられるものに全面降伏。

それは力を抜くことにも似てる、全部の力みがぬけたら、もっと遠くまでいける。

瞬間そのものへの全面降伏が全面幸福をつくる。ぜんめんこうふく、しばらく生活のなかで味わっていたい言葉、ぜんめんこうふく。口の中で転がしていると喜びがもれだす気さえして。全面降伏、全面幸福。

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