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時々どうしようもなく誰かを好きになる

テントのなかで結婚の話で盛り上がった。きっかけは、付き合ってるひとや夫婦になったひとが別の誰かを好きになって性行為をすることは嫌だ!という友人の一言から。

そこから堀りさげていって今の自分から出てきたのは「今ある制度を理由に相手を裁かない」ということだった。結婚してるから、付き合ってるから、そんな理由で相手の感情や行動をコントロールすることはできない。相手の選択はいつだって自分のコントロール外、範疇外にある。

わたしが今誰とでもそういうことをしないのは、一緒にいるパートナーのひとのためではない。二人の間にそんなルールもない。ただ、そういう気分にならないからでしかない。でも、その理由のひとつには彼の存在があるだろうと思う。誰よりも長く一緒にいてくれたひとの腕の中がやっぱりいちばん居心地いい。彼のまつげや、鼻や、いつもいい匂いのする首すじや、さらさらした鎖骨、狼みたいな足まで全部大好きだ。

今の二人の関係って、捨てるのがもったいなくて2回、3回といれた紅茶のティーパックみたいだと思う。今の味は最初の頃に比べてずっと薄いんだけれども、でもやっぱりまだその味のなかにいたい。もうあんまり味しないんだけど、もう一回もう一回とお湯を注いでしまう。

とはいえ、高校生の頃から変わらず、時々どうしようもなく誰かを好きになる。男のひとであることもあれば、女のひとであることもある。身体が先にそう思うのだから仕方がない。そうなってしまうともうだめで、それは一緒にいてくれている彼もよく知っているわたしの一面で、その不思議さは冷静に面白い。

そんな自分だからこそ、一人のひとと添い遂げることは奇跡に近いと感じる。奇跡であり軌跡って中学生のときに流行ったJ-popの歌詞みたいな言葉だけれども、本当にそういうものを単一のパートナーシップには感じる。「飽きるほど一緒にいられるって喜びですよね。」と、昨日出会った気持ちのよい男の子がそう言った。本当にそうかもしれない。それは、外から仕入れた知識によるような究極の誰かを求めるよりも、とても自然なことかもしれない。

これらの話のなかで、キャンプに連れ出してくれたひとが「相手を自分のなかにいれることが喜び?」という質問をくれた。そう、それはとても自分の気持ちに近い言葉だった。もっともっと自分を深く知りたい、もっともっと自分を表現したい、それがやがてひとつの大きな何かになって、より面白くたのしく喜びとともに生きられることにつながっていると感じているから。

だから5年っていう長い時間(人生の4分の1)同じひととたくさん寝食をともにして(面倒見てもらって)、ときどきとんでもなく対極に感じる相手に惹かれるのだろうと思う、もっと自分を知りたくて、反対側の自分ともハグがしたくて。

握りしめた手をゆるゆるとほどく。少し先を歩く背中を眺めながら、伸ばしかけた腕を引っ込める。もう、やめようってやっとそう思えた夜を超えて、海の外を眺める。光が反射して、反射して、反射して。ぐるっと囲む森の山はまるで大きな生き物が寝そべるように見える。

今回のこのコントロール外の気持ちはどう着地するだろか。今までの想いのように、2年、3年の時間をかけて消化されて相手への感謝に終わるんだろか。5年のときを超えて暮らしの舞台が変わる二人はいつまで一緒にいられるんだろか。

わからないことはわからないまま、また数時間後、日常に戻っていく。いつもの景色と違う自然がわたしのいつもと違う心を軽くする。風に吹かれて波に揺られて、声を出して出して出し終えたら、この淀みもスッキリするだろか。やっぱりわからないことはわからないまま、また、まだ。

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