「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

のんふぃくしょん

心臓が裏返ってしまって、なかなか元に戻らない。ただただ困る。だだもれな自分の気持ちに少しくたびれてよく泣いて働いている間着ていた洋服も脱がずに布団にくるまる。今までのことを振り返りながら活用できそうな事例はないかと思って探すけれど、そこにも何もヒントが見つからず、ボーゼン。

一通り泣き気持ちを抜いたらスッキリして安眠、12時間近く寝た。伝説のポケモンに助けられるおじさん馬を見たり、亡き母(架空)ののこしたジュースを飲むじゃんけんに勝ったり(意味不明)とても楽しく美しい景色や獣がよくでてくる夢を見た。

なんとなく夢と関連する記憶を思い出しつつ、思い出したこともないずっと昔の記憶に苦笑いしつつ、大きく伸びをしながら起きれば、横にはぐーすかぐーすか眠るひと。紺色のカーテンから透けて届く陽の光気持ちよく、なんとも良い朝。

日常に戻ってきたのを感じて少しホッとする。数日間の非日常は色鮮やかで、はじめての感覚に溢れすぎて、心臓が先に歩いているみたいだった。あとからついていく身体はどこか不安で、でも感じているものがあまりにも強い喜びすぎて、全然止められなかった。昨日の涙は、その非日常へのお別れが寂しすぎてだったんだねとようやく追いつく。

そんなこと頭のなかで思い起こしながらベッドの上ごろごろと。寝ぼけ眼な横にいるひとと会話をする。何言ってんだかわからない朝の会話はこのあと夜まで元気をくれる種になる。でも、あと少しでこれも日常ではなくなる。そんな日のこと想像したら涙がこれまたよく出るんだけれども、でも、これだってお互いの次の人生の扉をあけるためには必要なこと。日常と非日常を繰り返しながら、また違う色合いの日常へと進む。

たくさんの色を集めてから死ぬんだろうと、死ぬときに見える光はその集めたものがぎゅっとまとまって、そのすぐあとにすごい速さで広がったものそういうふうに見えるんだろうと、臨死体験についての体験談を集めた本を読んだときに思ったことを思い出した。

彼が大学へ出発するのを見送ったあと、間髪いれずに名護にいる友人から着信。タイミングの良さに笑いながら聞いていた音楽のボリュームを下げ少し会話。「もうすぐ選挙で、もっとみんなでそういうの考えるイベントをしたい」と。透き通った想いを聞きながらわたしの考えを返す。

大勢のひとが変わろうとしてる。大勢のひとの暮らしが変わろうとしている。その速度はとても自然なもので、波がある。その波を起こすための動きを起こすのにはエネルギーが必要で、そのエネルギーはこの友人のようなひとなんだろうと、電話をしながら少しの間目を閉じた。

2日後に会えるのを喜び合いながら、電話を切って、自分の時間に戻る。この日常が嬉しくて、こんなふうに文章に起こしてみる。起こした後に眺めると、これがわたしの日常だと再認識する。誰の日常にも等しい価値があるとやっと腑に落ちた出会いにありがとうと思いつつ。

今年はやっぱり「頑張る」禁止だなと思う。力を抜いた日常がこんなに心地よい。抜ききって身を委ねて、その流れの先にあるものを感じたい。裸足になって、服を脱いで、走り回って、笑っていたい。くるくる回りながら生きている、生きていく。日常と非日常とを行き来しながら、感情の走り抜ける速度に遊ばれながら。

すべての感情を今知っている言葉に置き換えず、自分の感じたままを言葉にしよう。今知っている言葉も、概念も、そうやって誰かがつくってきたものなんだから。今知っている言葉や概念と自分の体感がずれているとアウトプットすればするほど形にすればするほど具合が悪くなる。

自分の感じたことにもっともっと忠実に。もっともっと外側の何かを剥がして、もっともっとそのままに。まっすぐ上に、まっすぐ横に、そうやって広がる力を感じて生きよう。そんなこと思う朝だったよ。書き終えて流れてきた音楽は平井堅のノンフィクション。そうだね、ノンフィクションな毎日だ。でも、ファンタジーな毎日だ。

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