「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

0→500

とうとう500記事になった。

500回もブログを書いて、500回も誰かが必ず読んでくれたのかと思うととてもうれしい気持ちでいる。0記事だった頃0アクセスだったブログは、500記事の今は0が6つも増えたくらいの桁になった。

きっかけは単純なものだった。「1000記事ブログを書いてみ、奇跡が起こるよ」沖縄のある洞窟のなか、びっくりするくらいきれいな満月を下から見上げながら、その言葉を聞いた。その言葉を発したひとがとてもフラットにそれを口にしていたのもあって、すぐにブログをつくった。

ブログをつくったはいいものの、書いたものが誰かに読まれるというのが怖かった。「誤解されないように」「きちんとしないと」という思いがいつもいつもつきまとい、それと同時に「こんな自分が書くものを読む人なんかいないにきまっている」といういじけ虫な自分もでてきた。とんだうじうじ野郎である。ちーん。

あの頃は、まだ21歳で、ラートのことで頭はいっぱいで、でも心は置いてけぼりで、身体のなかはなぜか頑張れば頑張るほどスカスカになっていった。信頼したひとから受けたいろいろな出来事のおかげでエネルギー切れを起こし、ラートから一端離れることを決め、生活の中心は自分と向き合うことになった。

どうしてそう感じたんだろう、なんでこう思ったんだろう、そう思いながら、指が勝手に打つ文章を、書き終えたあとにじっくり読むのが好きだった。書き終えてすぐに、友人や、後輩、先輩から「読んだよ!」といって長文の反応が届くことも嬉しかった。わたしはこういうふうに感じたよ、と、さっき生み出した文章が呼び水となってそのひとの考え事が言語化されていくとき、なんだかとても嬉しかった。

500記事を書く中で本当にたくさんの出来事が起きた。嬉しいことも、悲しすぎることも、たくさん起きた。でも変わらず生きていて、少しだけ強くなって、少しだけ柔らかくなって、少しだけ優しくなって今の自分がいる。「あの頃」と明確に過去の自分と比較ができるのも、500記事書けたおかげだね。

そして、その比較ができるおかげで、なんであの頃うまくいかなかったのか、どうして今の自分があるのかが、少しだけよくわかる。同じ壁にあたらなくなる。そしてもっとふわふわと身軽に未来を想像できる。このブログはアウトプットでもあり、デトックスでもあるみたいだ。

記事を書き終えたあと、影響力のあるひとにシェアをしていただいて、一日に何万とアクセスがあったときもあった。今はそういうことはなく日々のアクセスも落ち着いてる。(だってとても個人的なことばかり書いているから、面白さという点ではそうでもないと思う。)

だけど、自分が紹介した本を買ってくれる人がいたり、こう考えたよと反応してくれるひとがいたり、直接あったことがないのに「救われたよ」とメッセージをくれるひとがいる。ありがたいなと思う。不思議なコミュニケーションだなと感じる。

誰にとってほしいわけでもなく、でも誰かに届いたらいいなと思って高く高く放ったボールが、時間も超えて場所も超えて誰かに届く。それこそ「君の名は。」みたいな世界がブログにはあるような気さえする。

なんにせよ、1000記事という数字に達するまでこうやって日常を晒し続けていこうと思っているし、そういうコミュニケーションを楽しもうと決めているけれど、そう思えるのも、今どこかの画面越しにいるあなたのおかげなので、照れくさいけれどもありがとうと言ってみる。

1000記事書き終える頃にはどんな自分になってるんだろう。とってもたのしみ。たのしみだ!

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