「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

あほみたいな22歳の日の記録

こころが、からだが、ほどけてしまった。

久しぶりに飲んだビールの味はほろほろ苦く、昼間遊んだ小さい友人たちの笑い声がまだ耳の中にのこってる。わたしはいま22歳だ。そして3月には23歳になる。

ずっと前に、本当によく面倒をみてくれたひとが「生き急がなくていいんだよ」と言ってくれたことを、ここ最近何度も繰り返し思い出す。あなたはあなたのペースで、というニュアンスだったと思う。もう反復しすぎて色合いが変わってしまった気もするけれど。

耳の中にのこる笑い声鮮やかに、腕のなかにのこっている感触も、重たさも、全部が今のわたしに寄り添う。「遊んでくれてありがとう」という言葉はそっくりそのままわたしから彼らに返したい言葉。

遊びすぎて、笑いすぎて、大声をあげすぎて、何度大人の邪魔をしてしまったことだろう。目的を見失って、今いる役目を忘れて、何回叱らせさせてしまっただろう。心の中で小さい声で謝る、ごめんね、と。

ごめんねから連想して思い出す、ごめんなさい、ちゃんとできなくて、と謝る自分のことを。今日はずいぶんと昔のことが急に表に出てくる一日だった。満月の日にそういうことが起きるのはよくあることだけれど、今日は満月ではないからそれが起きるのは不思議なことだった。

いつになったらちゃんとできるようになるんだろう。23歳の誕生日を迎えたら?39歳になったら?47歳になったら?、ちゃんとできないことが悔しくて、みんなの役に自分は立てなかったことが悔しくて、悲しくなってしまって、ひざを抱えて泣いてしまった自分にみんなが大笑いしながら「比べるな」と言葉をくれた。

こんなめんどくさい自分を笑ってくれるみんなのおおらかさや、台所にあふれている音の心地よさ、みんながみんな忙しく手を動かしてるのに口では別のことをやりとりする面白さが、わたしの何かをゆっくりと揺らして、からだのなかを通り抜けて、のこったのは照れくささだった。

勝手にいじけて、勝手に泣いて、勝手にひとりぼっちを感じて。もうそんなの終わったと思ってた。でも、そんな一連の流れも面白くって、2017年までのご縁の流れの豊かさと、2018から始まる自分の人生をまた一層たのしみに感じた。

雨が降っているなかカーテンの裏に隠れながら窓ガラスにつく水滴を眺めていた日、テーブルの下椅子をお店に見たてて妹と遊んだ日、病院でゲームボーイを抱えて眠った日、いろんなあの日のなかで、かたくかたく結んだ結び目をひとうひとつほどいでいく。

みんなの人生がわたしを癒やしていくように、わたしの人生も誰かの糧になったらいい。年を重ねてもみんなと同じように遊べたらいい。「氏名ってやっぱり使命なんですよ」と指先からおなかに染み込んでいった言葉。まっすぐにそのままで、お日さま高く、うららかな春、美しくあれと。ただまっすぐに、ただまっすぐに。ただ、まっすぐに。

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わたしがわたしを生ききれるように、明日も働く。ありがとう。そのまま、そのまま。そのまま。