「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

家族と過ごすお正月について、再考

今年のお正月は、例年通りだったのに、なんだかとっても最高だった。いつもと同じように3番目の叔父さんが愛知に帰ってきて、一緒に犬のO太郎とB太郎も帰ってきた。

(母音が違うと呼ばやすいらしい、犬が。)みんなで30日から2日まで、たらふくご馳走を食べて、いっぱい眠り、よく喋り、お酒を飲む。

暖色のライトで明るくなるリビングでは、こないだまでちっこかったいとこがもう中学受験だとか、そういうよくある会話が、風景が流れていく。お客さんたちが来る表玄関のほうでは、ご挨拶が繰り返され、心なしかお仏壇まわりの写真のなかのご先祖様たちも笑っているような気さえしてくる。やっぱりめでたいお正月。

でもどうして、こんなに今年のお正月は楽しかったんだろう、と改めて考える。叔父さん方に厳しい言葉(愛のある)をいただいても、いいやこれは!とか、ちがうのに!と思ったことを言い返せるようになったから?3番目の叔父さんが「お前もだいぶ耐性ついてきたな」と笑っていたけれども、まあこれは理由のひとつでしかない気がする。

おねえちゃんと飽きるほど話せたから?いんやこれも毎度のこと。今年はじめての満月のした、お散歩できたから?たしかにこれはとっても気持ちよかった。中学受験をするいとこの弟(これもいとこか)と話すのが面白かったからだろか。いやいややっぱり、口にいれたものがぜんぶぜんぶ美味しすぎたからだろか。(おかげさまで今は舌が腫れている、食べ過ぎ、塩分のとりすぎによるところ。)

いつもと同じように、怒ったり悔しかったり悲しかったりいじけたりする場面はあったんだけど。なんせそれは仕方のないことで、だって10、20、30、40とばして50、60、70、80、、、だいたいの年代が揃ってる。そりゃ、これだけの年代がそろえば、あちらこちらにジェネレーションギャップの谷が生まれるのは当たり前。谷と言おうか落とし穴と言おうか、だいたいみんなちょっとずつ「おいおいおい、今の一言はないだろ」と思うもんだろう、と想像する。

でも、なんだかその感情の揺れが嫌じゃなかった。逐一言葉にして聞いてくれるお姉ちゃんが近くにいたというのも大きいだろうけれど、それだけでなく、なんだか自分の変化、愛知に来たての高校2年の頃(まだ16歳だった!7年前だ!)から、今日までの変化を感じて、なんだかとっても嬉しくなった。ネガティブ側に揺れることも、ポジティブ側に揺れることも、どちらも楽しかった。(その最中にいるときはもちろん全然楽しくない、でも感じて感じて感じて言葉にすると、時間が立てば勝手に笑けてくるのだ。)

愛すべき血の繋がり。2017年カラーセラピーのお客さんは全部であわせて70名だったんだけれども、そのお客さんたちのなかでもダントツで多かったのが家族についての悩み事だった。大いに悩んだらいいと今ならそう思う。辛いこともしんどいことも悲しいこともわかってもらえないという思いも、ひっくり返せば、それだけその縁を握りしめているということでしかない。握った手をゆっくりと開いて、それでも自分はひとりじゃないと、人間として生きていく孤独のようなものを抱き直せるところからスタートするのではないかと思う、何がスタートするのかはわからないけれど。

さみしくってかなしくって、いとおしい。血の繋がりはそういうものだと思うし、ああ生まれてきてこれを体験できてよかったと、お正月のなかのわたしは思っていた。今のわたしは、2018年がなんだかその響きだけで嬉しくてニコニコが止まらず、一方でこれから待ち構えている4月からのパートナーのひとのいない生活におびえ、いろいろなお仕事ができるぞとワクワクしながら、数年後の未来も見えない自分のキャリアの積み方に不安を感じてる。

大きな喜びと、大きな不安と、その中心にたしかにある点のようなもののなかには、生きる喜び、いや、生きる醍醐味みたいなものが詰まっている。「生きる醍醐味」だなんて言葉、22歳のぺーぺーが使っていいんだろかと思いつつ、でも、まあだいたいのことは経験し終えたねと、自分にハグ。

大人のひとたちは「まだまだいろいろあるだろうけど、でも、あなたなら大丈夫だはずね」と励ましなんだか呪いなんだかわからん言葉をくださるけれど、ただただ淡々と目の前にあることと向き合うだけのことだと、さらりと考える。

なんだか少し足元が地面から離れているような、そんなお正月だった。ふわふわと、でも体のなかいっぱいに溢れている美味しそうな光のたまのようなものを確かに感じて、やっぱりたとえ不安がいっぱいあろうとも2018もすごくすごく楽しくなるだろうと予感する。

何があっても大丈夫、何が起きても大丈夫、今まで乗り越えてきたように気づいたら乗り越え終わっている。何があっても大丈夫、何が起きても大丈夫。たとえその縁が自分の手のひらからこぼれてどこかへ流れていっても、まわりまわってまた会えるのがわかるから。(中島みゆきか!とツッコミをいれつつ)、ひとつひとつ、縒れてこじれて絡まってしまったところをほどいて筋通していこうと、そう決める。

以上、沖縄への帰る道中(の高速バス)から2018年1月3日時点の胸中実況(垂れ流し)でした。読んでくれてありがとう、あけましておめでとう。今年もどうぞどうぞゆたしくお願いいたします。

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