NOW 500→1000

外界の刺激にコントロールされて生きるのか、自分で意図した世界で生きるのか。

ひとの話を聞いているとき、耳から入る情報を3つの種類に分けていることに、バスに乗っているときに気づいた。

ひとつめは「音」として聞く場合、ぼーっとしてるときや、身体的に耳に入ってくる音。ふたつめは「相手の情報」、今どのようなことを感じて、抱えて、考えて生きているのだなということを推察する。みっつめは「ヒント」これが耳に入ってきたときは、身体が前のめりになる。文字通り、前のめり。「お?」と、「きたきたきた」とそういうテンションの上がり方になる。

音として話を聞いているとき、文章にすると矛盾しているけれど、だいたい聞いていない。心ここにあらず。相手の話の内容にかかわらず、というか自分の意志さえ関係なく、ひとの話を聞いているときもどこかに焦点がいってしまうときがある。たいていの大人には怒られるか、呆れられるのでいつも必死に保っている、必死。それに引き換え子どもは叩いたりつねったりで戻してくれるので楽。じゃあ大人にもそうしてもらうかというと、それはまた違う話で。おほほほほ。

話の内容がと~っても面白くても、そのひとの話し方のテンポがゆったりとしていたり、落ち着いていたりすると、それがトリガーになって焦点がどっかにいっちゃうときもある。ので、やっぱりこれはコントロール外だなと思う、それこそ仕事の場面で(前のめりになれない話で)意識が飛ばないように、ちょっと自分の手の甲をつねったりする。

それでそれで、ふたつめの「相手の情報」、これはカラーセラピーのお客さんが70名に達して、そのあと燃え尽きてカラーのお仕事減ってからわかったこと。相手が話す内容のどこにポイントがあって、何を伝えたい(何をわかってもらいたい)と思っているのか、本当に伝えたい思いはどこで誰に言いたいことなのか、そういうことが聞こえてくるのが「相手の情報」。これはヒントとの差で説明するのがわかりやすいと思う。

「ヒント」というのは、身体的にも反応がでる。聞いた瞬間に心が湧く言葉や、少し浮き上がるような感覚、心臓がドキドキしたり、目がちょっと大きくなったり、要するに「きゅん!」とする情報。ヒントはいたるところに散りばめられていて、CMから流れてくる言葉であることもあれば、何の気無しに見ていたお笑い動画のこともあれば、誰かのツイート、誰かの投稿、そういうこともあれば、世間話のなかにもあるし、その言葉を伝えられるためだけに出会うひとというのもいるような気がする。

面白いのは、たとえお説教されていたとしても「相手の情報」になったり「ヒント」であったり、相手と自分の関係性や相手のハートの開き具合、自分のその瞬間のハートの開き具合で同じ言葉でも受け取り方が変わるということ。そしてもっと面白いのは2016年、2017年のはじめは「ヒント」と「相手の情報」を分けることができずに、内省の必要ない場面でまで内省を徹底的にやっていたこと。おそらくポイントは、相手の雰囲気が穏やかかそうではないか。なにか不足を感じ、何かをコントロールしたいと感じ、イライラしていたり、せかせかしているときに発される言葉のほとんどは「相手の情報」であるということ。

傷つく必要のない場面で傷つかなくていい、目の前で怒鳴られていようと、なじられていようと、バカにされていようと、その瞬間相手の奥に焦点をあわせる、そうするとよくわかる。本当は何を伝えたくて、何を感じていて、どうしたいのか、相手のことがよくわかる。自分との間に線を引ける。とても楽になる。

「ヒント」をちゃんとヒントとして受け止めるためには、心が波立っていないことが必要だと感じてる。心が波立っていると相手の言葉がすーっと入ってこない。「そうはいってもこの人さー」とか、「なんでこんな偉そうなんだ」とかよくわからない悪口が邪魔して素直に聞けない。心を波立てないことが重要なのではなく、心が波立っているときに「ああ波立っているんだな」と受け止めることが重要。そうすると波立っている自分といったん距離ができて、すきまがあくので、そのすきまに誰かの言葉が入ってくる。そして、たいがいその言葉によってその波は収まっていく。

自分の身体の外と内、どのように影響しあっていて自分は何から情報を摂取していて、何によって情報をアウトプットしているのかということに意識すると、なんとなく物事の加速するスピードが早くなるように思う。引き寄せもシンクロも当たり前の2018年、意図的に生きるか意図せずに外界からの刺激に流されて過ごすかは、自分で決められることだなと思うパタパタの年末を過ごしてる。

ほんとに、大事なことは全部身体が知っている、のかも!ね!

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もっと大切なひとたちとのコミュニケーションを、もっともっと上手に、もっともっと大切にしていきたい。だからこうやって自分のことを見つめ、観察し、どっちの方向にいきたいのかを見定める。その繰り返しの先に、勝手に良くなって勝手に成長した自分が見える。