「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

いつまでも玉ねぎの皮んところにいないように

言い訳を減らしていくこと、というのは嘘を減らしていくのと似ているけれど、もうちょびっと勇気がいることだなと思いながら、久しぶりのお休みの日を過ごしてる。

お休みのようで、お仕事したり、アメナルミチに行ったりと、もう何が仕事で何がそうではないかごちゃごちゃとした暮らし方が今だ。

少し前に心配していた生理も無事に来て、ほっと一安心。

 

北海道への旅を含めた里帰りを終えて、自分のなかが一旦空っぽになった。

家族のことが人生において一段落したわけだ。

母とのこと、父とのこと、祖父母とのこと、姉とのこと、妹のこと、叔父とのこと、いろいろなことが全て一段落して、今まで体のなかを多く占めていた何かがすーっとなくなって、それによって「からっぽ」が生じた。

つまり、もう、家族について「問題だ」と思うことが何一つなく、悩むこともなく、ということ。

 

だから何というわけではないけれど、あんまりにも今までずっと「家族のこと」を考えすぎていたので、空いたスペースは大きく、それこそからっぽだと思うくらい大きく、戸惑いから目を背けたいのもあっていっぱい仕事をいれて、いっぱい予定をいれて、いっぱい食べて、いっぱい飲んで、逃避をした。

 

逃避をすればするほど、体のなかには汚れがたまり、消化しきれない食べ物で胃はもたれ、もたれてるから睡眠の質は悪く、という悪循環。

 

気持ちの流れのほうは、こないだ海に行った時に、子どもたちやいろいろなことのおかげで解消されてた。

 

今朝、体の方も、体温があがりにあがり、汗をたくさんかき、いろんな毒素が減って、生理がきてくれて、アメナルミチでお風呂にはいったおかげで、やっと一息つけた。

 

とはいうものの、というか。おととい、ああやりたいのはアメナルミチのことだとよくわかり、スイッチが入ったのを感じたものの、これどっからどうするよ一体というようなことの連続で、昨日は、は~~~となっていた。

 

コミュニティをつくりあげるってどういうこと?

お金を回すってどういうこと?

持続していくための仕組みづくりってどういうこと?

 

はてながいっぱい。

 

そのはてなも、同じように名護で、わたしよりもずっと前からコミュニティづくりをしているワカゲノイタリ村の村長によって、がっしゃーんと割ってもらった。

 

「やるしかないべ」

 

動いていくうちに見えることがある。

動いていくうちにわかることがある。

 

幸いというかなんというか、助けてくれる人や環境が周りにいっぱいあって。

それはとても不思議だけど、大学の先生たちとか、仕事先のひとたちとか、今!必要な知識は全部インプットできる場所にいる。

 

なんで動いてくれないんだろう、なんでやってくれないんだろう、なんでわかってもらえないんだろう。

に、迷い込む前に、今そうやってもらっているプレゼントのような他力によるインプットを、一つでも多くアウトプットしよう、形にしよう、現実にしようと決めたのが今日だった。誰かのせいにするのが一番簡単だ。

 

ひとつずつ決めて、一歩ずつ進む。

 

まだまだゴールも見えず、なんで生まれてきたのかもぜ~んぜんわかんないし、どちらかというと子供よりで、おかあさんたちが子どもがいてやりたいことできない系の話してると「ん?」ってなる。

「あなたがお母さんを選んで生まれて来たんだよ」系の話も、はいはいはいとなる。

 

子どもが超自然に授かるものなら、そうだよねぇ・・・ってなるけど、そうじゃないもんなぁと思う。

子どもを「つくる」選択をして産んでるんじゃないのかなと思う。(だいたいのひとは)

 

なんで、自分がいちいちそれに傷ついてるのかも、よくわかんないけど。

 

ほんと、言い訳は、なんかもう玉ねぎの皮みたいだ。

そこにいたいならいればいいけど、そこにいたら何もできない。

 

でも、それを伝えられるのって、言葉で人を動かせるのって、そこから抜け出して、ちゃんとやってるひとだけだ。

 

だからやっぱり、「ん?」ってなったりわじわじすることもいっぱいあるけど、ひとつずつアウトプットを増やしていくことが、今のすべきこと。だ!

 

玉ねぎの皮がまた一枚はがれて、つるりんと綺麗なとこがでてきて、気持ちもスッキリして、うれしい気持ちになったお休みの火曜日だった。

 

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やってみて、考えて、またやってみて、誰かと話して、の繰り返しだ。