「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

旅立ち

「大人には年齢とかそういったものはもうないよ。」

「ただ、余裕があるひとが、余裕がないひとを助ける。それが大人の世界だよ。」

 

という言葉を、高校生から今の今まで、何回失敗しても何回裏切っても、叱りつつ呆れつつチャンスをくれて、最後の最後も背中を押してくれた人生の先輩から、最後にもらいました。

 

愛知に越したばかりの高校生の頃は本当にろくでなしで、いやまあ今も対して変わっていないとは思いますが(携帯解約したし)。

でも、少しずつ階段をあがったりさがったりしながら、たくさんのひとに助けてもらいながら、やっと「大人」の仲間入りができたのだなと。

 

まだまだできないことばかり。

 

大切な人をどうやって大切にしたらいいかわからないし、好きな人にどうやって好きと言えばいいかもわからない。

(これはおばあちゃんになってもわからんかもしれん。)

やりたいこととやりたくないことのバランスの取り方や、本当に生きたい生き方の実践も。

基礎的な貯金とか、そういうのもこれからおいおいできるようになっていく、という感じ。

言わなくていいこと言わないでいる練習とか。

 

だけれども、それらは全部、やりながら知ること。

体験するから、体感するから、はじめてわかること。

 

で!いいんだ!と思えるくらい、自分に対するハードルは低めです。

焦らずゆっくりと、変容していけたらいいなって、未来の自分が微笑んでくれて待っている気がして、そういうことを思っています。

 

 

今日で、わたしは大人になった。

そう思う出来事を経て、なんだか背筋がのびます。

 

いっぱいいっぱい失敗するだろうけど、うまくいかないことだってあるだろうし、今やってることだって全部失敗するかもしれない。

だからといって、やめるという選択肢もない。

 

「どんな生き方をしてもいいよ、この世のルールなんて簡単だよ。」

「食べていける分稼いで、住める場所に住んで、暮らして行く。」

「無理だってなったら手をあげれば助けてもらえるんだから。」

 

そうだそうだと頷くところもあれば、もちろん、そんな風な価値観で生きることもできるんだなと脳内メモしつつ聞いたり。

でも、一貫して、わたしは本当にたくさんのことを習わしてもらった!という尊敬のまなざしで、後ろの席から運転席を眺めていました。

 

手の届く範囲のひとを笑わせながら、手の届く範囲のことをより豊かにしたい。

バランスを上手にとることはできなくても、夢中になって短い時間で濃いものをつくることはできる。

なにが最後にのこるかなんて今考えても見えないけれど、今はこういう生き方がしたい。

 

そんな風に、改めて沖縄での自分の暮らしに思いを馳せました。

 

車を降りたら、大きな富士山。

海をみると、自分の悩みなんてちっぽけだと思うひとがよくいる(ような気がする)けど、富士山みたら「一歩一歩」と「だいじょうぶ」と「強くまっすぐ生きるんだぞ~~」というのをもらった気がして、いい気持ち。

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すごくきれいだった!

 

誰よりも自分が自分の味方であること。

誰よりも自分が自分のそばに寄り添い続けること。

 

誰かに否定されても、誰にもわかってもらえなくても、それができてれば、絶対に「ただいま」「おかえり」の言える関係性のひとが周りにできる。

そして、そのひとたちに癒されながら、他の人たちとの関係性も大きく深く広がっていける。

 

たぶんそうやって、これからも生きていける。

のだ!と、22歳、11月11日に思いました。

 

生きてこう、これからも。

しんどいことも、嬉しいことも、たのしいことも、いやなことも、全部どん!と受け止めて、たのしもう。

 

いっぱいのありがとうをこめて!

血の繋がりと、そうではない繋がりと、どちらにも、かんぱーい!

 

何かをいっぱい周りのひとにあげられるひとになりたいな。

30歳にはそういうひとになれてたらいいな。