「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

明日はビックイベント。

胸がざわざわしていたけど、今日一日半分くらい眠ったら、すっと準備ができました。

 

大好きなひとが、もうすぐ亡くなるかもしれんと思えば、寂しくて泣いてみたりしたけど、でも、それもまた生きることの醍醐味だと、ちょっとだけ覚悟もできました。

 

こんな風にきっと、大嫌いなあのひとも、大好きなあのひとも、今日すれ違ったあのひとも、そんな風にきっと生きているんだと想像したりして。

 

しんどいことも、忘れたいことも、忘れられないことも。

面白かった出来事も、笑い転げちゃう思い出も、切ない帰り道の記憶も。

 

うちのおばあちゃんのあだ名は、購買部で大きい声で「あんぱん!あんぱん!」とあんぱんを要求することから「あんぱん」だったそう。

おなかがひーひーなるくらい笑いました。

 

あきれちゃうくらいいろんな色の混じる日常も、過ぎてみれば愛おしい織物のようで、その織物は触れられるようで触れられないもので、その織物のながさが伸びていきながら、また歳を重ねます。

 

気づけば22歳、あとすこしで23歳。

 

今日は好きなひとと好きなひとの誕生日でした。

明日もそうだし、昨日もそう。

 

好きなひとと好きなひとの誕生日が同じだと、なんだか笑ってしまう。

性格も容姿も年齢も違うけれど、「好き」と思う理由がぎゅっと詰まったかけら、タネみたいなものはもしかしたら同じなのかもしれない。

 

ひとを「好きだ」と思うとき、そこにはいくつもの種類の感情があるけれど、でも、どちらにせよ地面から数センチ浮いてしまうようなそれは、わたしの人生を幸福にしてくれるなぁと感じます。

 

きっとみんなそうやって、いろんな感情を重ねながら、そのひとにしか見えない世界を生きている。

 

隣にいたってまっくろとまっしろと全く違う色の世界を見て生きている。

 

わからないから傷ついて、わからないから傷つけて、そういうことの連続の中で、マザーテレサになりたくなったりなれなかったり。

 

ひとりひとりの人生がこんなに濃いものなのであれば、遠くから地球を見たら、それはそれはうっとりしてしまうのか、ドン引きするのか、どっちかだよなと、ひとりで夜中にいつも暮らしている沖縄と10度も温度の違う場所で思っています。

 

あのときあのひとを好きだった気持ち。

今、好きなひとを思う気持ち。

 

どれもわたしを勇気付けてくれる、それはなんだか嬉しいことで、何歳になっても忘れられないと思ったあの瞬間の自分は今も変わらず自分のなかに生きているなと思うわけです。

 

どこまでも自己中な思いばかりで、それは相手も自分も振り回すけれど、でも、それに翻弄されるのも楽しかったなと、思い出の箱のなかにあるいくつかのそれについて、そうやって振り返る時間がときどきあります。

 

今はそんな気分。

 

明日はビッグイベント。

4時間のドライブ付き、どうなることやら。

たのしもう。

 

いやなことも、うれしいことも、全部まとめて楽しむ。

そう笑いながら言えるようになった自分のことは、好きだなと、思いながら寝ます。

 

f:id:pidakaparuna:20170411124335j:plain

4月に引っ越したあとは、ハンモックまず最初に書こうかなぁ〜〜。