「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

一年前に思い描いていた自分に勝手になっていた

言いたいことと書きたいことと歌いこととが全部ちぐはぐとしている。

すごく攻撃的なことを言いたい気分になるときもある。

すごく優しいことを言いたい気分になるときもある。

 

でもそれってあくまで上の方で動いている感情たちの話で、たぶん、ほんとに言いたいことって、なんかすごいなってことだ。

 

なんかすごい。

生きていくってすごい。

 

なにがすごいって、今月のお給料をまとめてみた。

(誰に何をいくらはらったらいいのかわからなくなってパニックな状態を脱するため)

 

お仕事6種類ほどしていて、そのうちの4種類が今お金も対価としてもらえているものだ。

そう、6種類のうち4種類がお金の発生する仕事だ。

しかも、11月になったら6種類のうち6種類になり、くわえてもう一種類デザインのお仕事が増える。

 

それぞれのお仕事は5000円~15万弱と幅広い。

だけど、全部をあわせると、大学卒業のために働くことをストップした3ヶ月のうちにあれよあれよと増えた支払いもちゃんと払っていけるくらい。(まだ少し待ってもらうものあるけど)

 

これってすごいことだ。

 

2016年の8月に考えて書いた記事がこれ。

www.pidakaparuna.space

 

このなかでわたしはこう書いている。

 

「やってみたい」をひとつひとつ形にしていった先に、したいと思っている「ナリワイ的」な生き方が待っている予感がします。 

よかったら、あなたの「性」のこと一緒に考えませんか、の話。(私のために) - 0→1000

 

ナリワイ的生き方っていうのは、この本に書いてあったこと。

ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方

ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方

 

 

「自分の思うことを形にしてそれを仕事にして、月3万円のお仕事を10個つくれば30万円だよね。雇用されるだけが全てじゃないんだよ、ひとつのことを頑張るだけが全てのことじゃないんだよというのを、もっとたのしく生きていくことはできるんだよ」

というのを教えてくれたのがこの本だ。

 

ね。

すごい。

 

だいたい一年前に思い浮かんで「できたらいいな」となんとなく思っていた「ナリワイ的な生き方」ができるようになっている。

これってすごいことだ。

 

なぜなら、わたしは「ナリワイ的な生き方をするんだ!」と決め、えいえいおーとジャンヌダルクのように片腕をつきあげて叫んだわけでもなく、本田圭佑のように小学生の頃に文集に書いたわけでもなく、イチローのように毎日毎日の鍛錬を怠らなかったわけでもない。

 

ただ、なれたらいいなと思った。

 

今、全部の収入をあわせて暮らしていくことができる。

それがこんなに幸せに感じる。

 

だけど、それはなにかの「努力」の結果ではなく、誰かとの競争の結果でもない。

 

だけど、なれた。

 

力を抜いて、ただ流れるままに、自分の声を大切に生きた。

ただそれだけのことだった。

 

 

今思い浮かべていること、きっと1年後にはほとんど叶っているんだろう。

でも、いま何を思い浮かべたいのかも忘れちゃうくらい、とっても嬉しかったよ。

 

どのお仕事も、わたしにとってはプレゼントだ。

ありがとう、ありがとう。

 

まだ確固たる能力ではないのにお仕事を任せてくれて。

失敗をたくさんするのに任せてくれて。

わたしを選んで会いに来てくれてありがとう。

 

まだまだ人生はたのしくなる、おもしろくなる。

だって今日がいちばん若いのだ。

 

いつだって、毎朝毎朝、ひとは生まれ落ちる。

十月十日。

漢字を組み立てるとき、組み立てたひとはきっと誰かを励ましたかったんだと思う。

 

なにもできなくても、ひどく苦しんでいても。

うまくいかない毎日だったとしても、誰かの期待に応えられなくても。

 

それは昨日までのあなたの話だ。

今日のあなたはまったく違う、明日のあなたともまったく違う。

 

今日のあなたは今日しか生きられない。

 

さあ微笑んで、すべての柵から自由になって、生きることを楽しんで。

 

きっとそう思ったにちがいないと、そう思う朝を過ごしたよ。

 

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