「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

人間は「虹の戦士」or「兵士」の二種類に分けられる(らしい)

ずっと頭から離れない言葉がある。

「虹の戦士」だ。

 

いつ流行したのかは知らないんだけれど、今働いているカフェの本棚に置いてあった。

世界中の原住民に伝わるひとつの物語だそうだ。

 

虹の戦士

虹の戦士

 

 

人間には二種類ある、とよくある言葉がそこには書いてあった。

でもその次の一文は自分の予想していたものと少し違った。

 

「虹の戦士と、兵士の二種類だ」とあった。

 

兵士は、人からの指示によって動くひと。

そして、虹の戦士は「自分で考え、自ら動き、世の中を良くしていくひと」とあった。

 

こないだあったらんぼうさんという方から、さらに虹の戦士の話を伺った。

(らんぼうさんは地球で最も過酷といわれる250キロを7日間で走りきるマラソンに参加して、ドキュメンタリー映画をつくったりしている素敵なひと)

 

「虹の戦士はね、愛と、ユーモアと、勇気に溢れてる。」

 

たしかそう言ってた。勇気だったか純粋さだったか知性だったかは忘れちゃった。

とにかくいいものがいろいろ。

 

虹の戦士のことを知る2日前、わたしは尊敬しているひとつ年上の男の子から「はるなちゃんは顔がアメリカインディアンに似てるから、彼らのルーツを辿ってみるといい」というすごいアドバイスをもらった。

鼻はたしかに高めだけれども、目はちっちゃいので、そんなにインディアンぽいとは自分で思ったことなかったけど、この言葉も妙にのこった。

 

そうやってわたしの目の前にちょっとずつ現れた「虹の戦士」という価値観。

 

なんでこんなに心臓にまっすぐ刺さったんだろうと、少し不思議だった。

 

だけれども、今ははっきりとわかる。

 

そのひとが出す答えがどんなものであれ、それは肯定されてしかるべきだ。

わたしの考えと、あなたの考えが違うことは面白いことだ。

 

でも、それはそこに「思考」が挟まっていることが前提になっていると思う。

ただ目の前にある情報を咀嚼せずに鵜呑みにし、それをまた口から出し誰かに伝えても、それには実態が伴わない。

誰かが餌をくれるのを待つように「やりたいこと」が実際に完成するのを待っていては、きづいたらその餌をくれる相手はいなくなってしまうだろう。

 

虹の戦士でありたいと思うわたしはまだ虹の戦士ではないのだろうと、そう思う。

だけど、誰の中にも虹の戦士の要素はあると、らんぼうさんも言っていた。

わたしにもあるし、あなたにもある。

あのひとにもあるし、あの子どものなかにもある。

 

お互いの答えを尊重するために、当たり前に世の中を良くしていくために。

自ら考え、自ら動く。

 

そして、たぶん、その「考える」ことや「感じる」ことを諦めずにやり続けていくと、なんだかわいてくるものがある。

 

わいてくるもの、体の底の方から確かに感じるもの。

それが本当のワクワクなんだろうと思うし、今世の中に溢れている「ワクワク」という言葉はなんだかちょっとずれていると思ってる。

 

満ち満ちとわいてくるもの、その豊かさの前に、生きることが面白いと感じてる。

いやなことも、楽しくないことも、全部ひっくるめて、やっぱり面白い。

過去も、未来も、今も、全部いっしょくたに面白い。

 

考えるのをやめない、感じるのをやめない、誰かの言葉や価値観をむやみやたらにインストールしない。

 

虹の戦士という単語は、わたしにそういうことを教えてくれた。

ぜひ。

 

虹の戦士

虹の戦士