「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

しっくりくる恋愛観に出会いたい

車の中で、生まれて初めて告白をして振られたエピソードを話しながら、ああそんなこともあったなぁと心臓のあたりが懐かしくてきゅーんとなった。

 

いまだに「結婚」とか「付き合う」とかそういう言葉が苦手で、それはなんかもう水菜が苦手とか、イカの酢味噌和えが苦手とかそういう感じの苦手さで、アレルギーみたいなものだと思う。(叔父さんはよくシイタケが嫌いすぎて「アレルギーなんだよ」と言ってて、わたしはそれをしばらく信じていた。そういうたとえがあると知らんかった。)

 

告白という儀式を踏んで、身体を重ねる許可を得て、お互いの条件が合致して「家族」になるために結婚をする。「幸せになります」とか「今までありがとう」とか、そういう挨拶の結婚式の様子(また聞きやSNSからのぞき聞く感じ)も、なんだかちょっとこう、価値観がちがくて居心地わるい。

(その一方で手作りの結婚式の様子や、夫婦の暮らしをみると、もうすっごくきゅんきゅんがとまらない。お家でお産とか聞くともうテンションめっちゃ上がる。)

 

じゃあ一体もう今わたしのパートナーシップとか家族観とかってどんな価値観なんだろうって考える出来事が昨日あって。詳しくは書かないけど、かいつまむと、うっかり好きだと伝えるはずではなかった相手に好きだと伝えてしまったのだ。間違えて。間違えて。本当に間違いだったと、今日の午前中はそればかり考えていた。

 

別に、それがばれてしまったからといってその相手との関係性が変わるわけでも、一緒にいるパートナーとの関係性が変わるわけでもない。

 

なのになんだか、すごく悲しくて、すごく切なくて、すごくやりきれず、でも、なんだかそういうもんだという気持ちもあったり、胸のあたりが忙しい。

 

どういう価値観なんだろう。

「付き合う」っていう言葉が嫌いで、「結婚」っていう文化や制度が意味わからなくて、好きな人がいつも複数いる。ポリアモリーというものを知って、またそれとは別に複数のパートナーシップを築く「努力」をしているひともいるというのを知ったりして、少し生きやすくなった。(実際に子どもも育てている素敵なご家族のことも知っている。)

 

それが理想なのかなと落ち着くのかと思ったら、「この相手のおかげで人生が変わりました、唯一無二です」という夫婦に出会い、え~~~そんなのもすごくいいなぁって思う自分に出会ってびっくりしているのが少し前の自分。

 

今の自分は、もういそがしかったので、そういうの全部どこかに置き忘れて、仕事とか人生とか社会とかそういうことばっかり考えながら、毎日パートナーとのほほんと暮らしてた。

 

とこにだ、とこに、昨日のその出来事である。

 

も~~~~~。

好きって自分のなかにあるだけなら、別に何もないのに、むしろ日々をご機嫌に過ごせる良い薬のようなものなのに。なぜそれが伝わってしまうと、自分の枠を飛び出てしまうと、途端に困るんだろう。

伝えてしまったのを機に関係性をどうにかしたいと思うから?じゃあ、「付き合う」をしたら「彼氏彼女」という枠のなかに収まったら満足するかっていうとしないんだよなぁと思う。

 

本当の本当の本当のところはもっともっと欲深く、そのうえ、もっともっともっと冷たい本音があるんじゃないかなと思う。

 

好きなんだけど、どうでもいいのだ。

ただ「今」その瞬間に興味が最大ある。それなだけで、この先の人生をとか、これこれこういう景色をとか、こういう価値観をとか、そういうの全くない時期で、今は。

でもまあそれ、好きな人とかじゃなく、仕事にもそうだし、生き方や暮らし方もそうなんだけど。今はこうしたいって思いが強すぎて、その思いに溺れながら、もがきながら、今の暮らしを楽しんでいる。

 

それに、なんだかちょっとあきらめてる。好きっていう気持ちはすごく自己中心的で、それに自分でもコントロール外。好きになりたくて好きになるわけじゃないことばっかりある。好きになれて嬉しいと思うけど、その思いは相手とは別に存在している気がする。(好きだ!と思う相手に嫌われてたら悲しいから、そう思うようにしてるのかな?)

 

なんていうか、まだ、誰かと人生を共に生きられる自分じゃない。

ただ、今そばにいてほしくて、ただちょびっと触ってみたい。

そういう好きがいっぱい日常にあって、その日常を支えてくれる大好きなパートナーがいて、どっちかだけだったらやだし、どっちもになったとしてもそれは本当の望んでいるところとはずれている。

 

パートナーにはいつも本当に満たしてもらっている、大好きでかけがえのないひとだと思ってる。でもそれは同じ住処を共有してる故の愛情だろうとも思う。毎日一緒にいたい、ごはんを食べて、今日あったことを話して、今考えてることを言葉にしながら眠りたい。(だから、4月に離れ離れになったあとのことは、二人ともよくわからない。)

 

んー。。。なんか違うんだよなぁ。

パートナーと、それ以外のひとへの愛情っていう枠組みで今書いてきたのもちょっと嘘だ。

 

本当はもっとひとりひとりの好きな人のことをピュアっピュアに大好きで、本当にそこに性別もないし、なんか、もう、そういうんじゃないのに、今知っている言葉でこの感情を説明できなくて、いつもなんか本当に悲しくなる。

 

そういうんじゃないのになぁ。そういうんじゃないのになぁ。

恋だとか愛だとか、ひとりじめしたいとか、隣にいたいとか、そういうんじゃなくて、なんかこう、しっくりくる言葉に出会えたら、しっくりくる関係性に出会えたらいいなぁ。

 

この考え事から唯一開放されるのは、ちっこい好きな人に出会ったとき。

ちっこい好きな人は、もう本当に、なにも考えずにゼロの自分でずっと楽しく時間を忘れて一緒にいられる。

 

は~~、一体何歳になったらしっくりくるんだろう。

たのしみだ。

 

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