「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

「あなたにとっての生きる意味」を絵本を通して訊かれたよ

 

こんな絵本をプレゼントしていただきました。

 

生きる意味 (はじめての哲学)

生きる意味 (はじめての哲学)

  • 作者: オスカー・ブルニフィエ,ジャック・デプレ,藤田尊潮
  • 出版社/メーカー: 世界文化社
  • 発売日: 2011/12/10
  • メディア: 単行本
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さまざまな対極の生き方が紹介されていきます。

 

今の自分が気にいったものはこれ。

左のページにあった言葉。

「とても忙しくて、仕事がたくさんあるときこそ生きる意味は大きくなると考えひとがいます。」

右のページにあった言葉。

「ほかのひとは、なにもすることがないとき、過ぎゆく人生を静かに見つめるとき、そういうときにこそ生きる意味はあると思っています。」

 

どういう気持ちでプレゼントしてくださったのか、いろいろと推し量ってみたけれどわからなかった。ただ、絵本をいただくこと、何か気持ちを込めてプレゼントをいただくことって嬉しいなと思って今これを書いています。

 

生きる意味。

それに対して疑問を最初に持ったのは、喘息になりたての4歳の頃だったんじゃないかと思います。長期的に入院することもあり、入院中や、夜中の発作のときなんか、「ああなんで生まれてきたんだろうなぁ」と考えることがよくあって、それは自分が苦しいからというのもあったし、母が大変そうだというのもあったし、姉や妹が寂しそうだというのもあったし、いろいろ含めての「死にたいなぁ」でした。

 

昨日の夜、発熱して。パートナーが久しぶりに癇癪を起していたので、「ただののろけ書いたあとなのにな・・・」とびっくりしつつ、苦しいのとしんどいのとで「死にたいなぁ」と思いながら眠りました。

 

大学に入ってから、ある大人の方に「今苦しいことなんて全然苦しくない、これからもっとしんどいこと増えるよ」みたいなこと、つまり今いっぱいしんどい思いしとけよ~みたいな話をされて、なんかすごい「ふーん」って思ったのを思い出します。

 

4歳の頃に感じていた「死にたい」と、今の自分がときどきぼんやりと思う「死にたい」は全然違っていて、4歳のそれはひどく真剣でそういった思いというのは17,8歳まで持続していました。自分で死のう!と試みたことも何度かあったし、そのときは死ぬほど周りに迷惑をかけて救急救命センターに入って、ひげもじゃの緑の服のお医者さんに「あほなことするなよ~も~」と「これからいっぱいいいことあるからね、ちゃーんと生きてくんだよ~」と言われて、つつつーと泣いた記憶が一番鮮明です。

 

それに比べて昨日の夜思った「死にたい」って、ただのめんどくさいなぁっていう、真剣に生きるのって疲れるよなぁって、そういうなんかかる~いもの。だって、わたしは今大人で、もしこの環境がしんどいと思ったら自分で出ていく力があって、取れる選択肢もいっぱい持ってるし、助けてくれるひともいっぱいいる。

 

なんとなく、わたしはもう人生で必要な苦労の経験は小さい頃から20歳前後まででし終えたような気がしています。それよりもあとも世間知らずというか甘かったせいで男性から嫌な目にあわされたときもあったけど、それもなんかそれまでのしんどかったことに比べたら全然。まあ、悲しかったしやだったけど。

 

だからなんていうか、なんていうんだろうか。

絵本のなかにもいっぱい紹介されていたように、人の数だけ生きる意味があって、生きていく様子があって、大切にしている価値観があって。だから世界はいろいろあって、面白いこともつまらんこともいろいろあるから、その差異から幸福を感じられて。だから今日も退屈せずに生きられてる。

 

少し前の自分はわかっていなかったけれど、人の人生の舞台にずかずか入っていって「いや、こっちの価値観がええんじゃないかと思うわけです」と伝えるのは、ただのお邪魔虫でしかないんだなぁと、最近よくよく思います。

 

お金をもらってお互いの時間を交換するカラーセラピーと、お金をもらわないで伝えてしまった言葉は、同じ意味合いなのに伝わるものが全然違う。まっすぐに相手にまごころを込めて伝えるためには、やっぱりお金を介するほうがやりやすいみたいです、今は。それかこうやって多方向とのコミュニケーションとしてブログを書くみたいな。

 

なんかちょっと話ずれちゃったけど、絵本のなかで紹介されていた対極のようにみえる価値観も結局は同じ話。自分にとって大切なものを大切にして、やりたいことをやって、やりたくないことはやめればいい。大切なあなたの人生の時間を大切に使ったらいい。

 

でも、ただただ思うのは、身体がきゅーっとなるようなしんどさがあるのなら、その頑張り方はきっとちょっとだけずれてるのかもしれんと、身体がゆるんだ状態で頑張ると力はどんどん出てくるけれど、身体がきゅーっとなった状態で頑張り続けると、なんだかどんどんすり減ってしまう。

 

具合が悪くなった自分にはじめて「もういいよ」と久しぶりに声かけができて、今はホッとしているところです。自分じゃ気づかない、気づけない「無理」は、人からみたら案外わかりやすいのかもしれないね。

 

やりたいことをやって、やりたくないことをやめる。

生きたいように生ききる。

 

生きる意味は、生きてることを感じられることにあるんじゃないかと、そう今は思っています。まだまだぺーぺーだけど!