「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

恋愛で悩まないために大事なこと3つ

きのうのよなか、恋愛相談を受けた。

ここのところ時々恋愛の相談を受けるようになったが、共通していることがいくつかある気がしてブログに書いておこうと思った。

 

昨夜、相談してくれたひとに伝えたのは3つのこと。

「先のことを心配する自分を笑う」

「今の感情を感じ切ること」

「世の中の価値観と自分の感じてることを結び付けないこと」

の3つだよ。

 

これ、とてもシンプルなんだけれども、とても効く3原則だと思っている。

恋愛だけにではなくいろいろなことに効果ばつぐん。

 

お腹がきゅーっとなるような、ついつい背中が丸まって眉間にシワを寄せるような、そんな心配事はたいてい「未来」からやってきている。過去の失敗や過去の出来事によって発生したものだとしても、それによって想定する「何か」が起きているのは「今」ではない。たいてい最悪の事態が起きそうな「少し先」の心配だ。

 

そして実はそれってとても滑稽で、起きるか起きないかわからないことについてずっとくよくよするのは、ちょっと面白い。もしそれを起こしたくないなら取れそうな選択肢を整理して、どれかに動きだせばいい。立ち止まっているよりも少し動いたほうが気が楽になる。

穴を掘って隠れたいんです系の失敗(わたしはこれをよくする)は、もう涙は出し尽くし、枕に向かって叫び、もがき、諦めるしかない。諦めたくないのであれば、たとえば失言なら言っちゃった相手に謝るだとかする。とりあえず取れる選択肢すべてをやり尽くせば、「ああもう諦めよう」と時間による解決に身を任せられるし、しばらくしたら忘れる。

 

これは二番目に書いている「今の感情を感じ切ること」にも似ているかもしれない。不安な気持ちに対して「なんで不安なんだ!ばかやろー!いくじなし!」と責め立てるのではなく「不安なんだねぇ」と保健室の先生のように寄り添う。そうかそうかと頭でも撫でてやれば(ひとりでやるべし)、そのうち面白くなっちゃって飽きる。批判もしないし判断もしない。

自分の感情について「良い」「悪い」の二軸などない。晴れたり雨がふったり曇ったり台風がきたりが当たり前な外の世界と同じように、自分のなかにだって不安もあれば喜びもあり寂しさもあれば楽しさもありと移り変わるのが当たり前だ。

ネガティブな部分がなくなった人間なんて、ものすごく鬱陶しいと思う。(もともと薄いひとはいるし素敵だなと思うけど、わたしはどちらかというと50:50で陰陽どちらも持っているし、それもまあ素敵だと思う。)

 

で、二番目について注意が必要なのが三番目に書いてる「世の中の価値観と自分の感じてることを結び付けないこと」だ。二番目の「感情を感じ切る」はここを間違えてるとすご~~~くしんどい時間になってしまう。ただただ苦しい。「こうあるべきなのにこう思ってしまう」と感情に対して裁いちゃうからだ。裁くのも自分だし裁かれるのも自分だし、このやりとりはただただしんどいし無意味な気がする。よくやってたけど。そして裁いている時間を「向き合ってる」とか「考えてる」とか「自分を客観視している」とか耳障りの良い言葉に置き換えがち。

 

んなこたぁない。

自分で自分を裁き自分によって裁かれたって、地球的にみればそこにエネルギーの動きは起きてないし、人からみたって何も起きてないようにしかみえない。反省しているなら行動で示せばいいし、自分は悪くないなと思ったらそれを貫き通せばいい。(話違うけど、なにかが起きてそれに対して「自分が悪い」と思うときはたいてい誰かも悪いし、「あいつが悪い」と思うときはだいたい自分が悪い。)

 

なんだっけ。

そう。裁くときの基準って、それまでの人生で培った価値観によることがほとんどだと思う。そしてそれは自分が無意識において決めたルールであったり理想像であったりする。そこから外れた自分を自分によって厳しく罰する。それが自分のなかで自分を裁くという現象のなかで起きている実態だと思う。

 

だけれども、大切なのってそうじゃない。世間によってつくられた価値観なんて、実は別に大事じゃない。大切なのは今自分が何を思い感じ考えているかだけ。そしてそこがちゃきっと定まってずっしり安定していれば特に外の世界にも問題が起きてこない。だって生きたいように生きられているから。

 

そう、だから最初の恋愛の話にもどると、恋愛において本当は悩みなんて存在しないんだと思う。悩みがあるんですよっていう場合はたいていそれをどこか楽しんでいるか、どこか体験したいワクワクが隠れていると思う。(好きになったひとが妻子持ちとかも)

不倫は悪いと思わないし、浮気も別にしたってしなくたってどっちでもいいと思う。ただひとりのひとを愛しぬくこともとても美しいし、いろんなひとに「好きだよ」と愛をふりまくのも楽しげで良い。

 

ただ、一番いけないのは「こういうものだから」とありもしないルールにそって自分を罰したり行動を規制して、身体にわいている「好き」とか「だいじ」というような感情を無視したり押し殺したりすることじゃないか。

 

好きになったら告白して付き合ってもらえるか付き合ってもらえないかを相手に迫り、その行先で結婚して家庭を持つ。みたいなのはもう30年くらい時代前の価値観な気がする。(ロマンティックラブイデオロギーというらしい)

 

別に好きになったからといって呼び出して好きだと言わなくてもいい。「おはようございます」に大好きだ!をこめて発音したっていいし、どさくさに紛れてハグとかすればいい。ちょっとずつ愛情を表現すれば相手も受け止められるし、そのちょっとしたかけらでさえ重たいと思われるなら、そりゃあもう無理だったのだから落ち込めばいい。

好きになっちゃいけない相手なんていないし、絶対好きになってくれる相手もいないけれど、たしかなのは頭の中で四六時中会話している「自分」という存在とは死ぬまで一緒ということだ。

 

だったら、その自分の具合が悪くならないように、わいた想いはしっかり外に出して、ちゃんと循環するようにしてあげたい。

どの感情もわくのが自然で、わいてはいけない感情なんてどこにもない。女の人の性欲もだよ。男の人でも罪悪感あるひといるけど、自分のコントロールできない部分で感情だって欲求だってわくんだから悩まなくていい種類のことだと思う。

 

そういうことに気づくのにわたしはすごく時間がかかってしまったけれども、時間がかかったからこそ言葉にして誰かにつたえられるのだから、時間がかかってよかったのかもしれない。

 

なんにせよ、働きにいく先々に好きな人がいて、よくいくコンビニにも好きな人がいて、バスの運転手にも好きな人がいて、地元に帰っても好きな人がいて、旅先にも好きな人がいる人生はたのしい。

そして、今とーっても大好きな人と毎日一緒に眠れるというのは、やっぱりとても幸福なことだと最後にのろけておしまい!

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読んでくれてありがとう😚💕

 

ロマンティックラブイデオロギーのことを知ったのはこの本がきっかけ。とても面白かった、漫画とかドラマの分析とかもあってよかった、図書館に4冊もあったからすごい人気なんだろうね。笑

恋愛の社会学―「遊び」とロマンティック・ラブの変容 (青弓社ライブラリー)

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