どうしたらよいかわからないほどゆっくりと靄のなかで息をしている。
そんな自分が、ひとつおおきな明かりを遠くに見つけたような日だった。
今は「言葉にできない期」にはいってる。
自分のきもちや、考えをうまく言葉にできない。
なんだかどれも本当ではない気がして、黙り込んでしまう。
ぴったりの言葉を探して、立ち止まってしまう。
だからきっといつもよりも音が響くのが嬉しい。
うまくいえないものを、音や、目に見えないものは大切に包んで誰かに届けてくれる。
こんなとき、嘘のないひとの言葉はすごく強く響く。
そして、清らかに笑うひとの声がやさしく染みる。
会いに来てくれた人の好きなところをそのひとに伝えることが好きだ。
写真を撮ることも、文章も、カラーセラピーもそのためにやっている。
それはなんていうか、つい、してしまうこと。
「好き」のなかにいるとき、とても集中する時間。
この時間のなかで息をしていたい、できるだけ長く、できるだけひとりで。
その息継ぎのあいだ、ひとの役に立てたら、それはとても嬉しいことだ。
今日はすんばらしい1日だった。
これはうまくひとに伝わらないと半ば諦めたくなるけれど、これらのような葛藤でさえ、そのような不安でさえ、とても愛おしいのだ、ということ。
やっと生まれようとしているくらいのレベルだ。
ながいながい時間を経て、小さかった頃の想いが実現していく。
わたしは今とても幸福だと、心から思う。
でも、やっぱりくたびれているのも本当だ。
そんなに「成功」しないでいい、そんなに「立派」にならなくていい。
今になって家族の言葉の意味を知る。
だから、今は、こんな風に毎日を積み重ねたい。
そう思う自分とやっとハグをできた時間を過ごした日だった。