「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

何者にもなれないまんま!

気の合うひとと、美味しいコーヒーを飲みながら、思いつくままに話す。

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不安だったこと、嬉かったこと。

面白いと思ってること、悲しかったこと。

 

どの話も、別に議論をして何か答えを出すために話してるわけじゃなくて。

ただただ気持ちが溢れて言葉になっていく。

 

その時間のありがたさと言ったら、まだうまく言葉にできない。

 

ホリエモンが「昔のひとは悩まなかった、というか悩めなかった」と言ってた。

たしかに、と思った。

 

昔のひとは「生きていく」ために生きてた。

生きていくために食べていくために狩りをして畑をして糸を紡いだ。

 

今のひとは、とりわけ先進国といわれる国に住むわたしは「生きていく」ことに不自由しない。

 

仕事を選ばなければ、環境を選ばなければ、どうやったって生きていける。

特に心配ない。

(ちなみに、沖縄県は外で寝ても越冬できる日本唯一の場所であ~る。)

 

今日ね、会えた気をゆるせるひとたちに、自分の不安を話しながら、なんだか笑ってしまった。

 

生きていくのがとっても怖くなった。

素直な気持ちの話だった。

 

でも、笑っちまう内容だな~と俯瞰して、ちょっと荷物が軽くなった。

そもそも実態のない荷物なんだ。

 

8月が終わる頃には大学生が終わる。

 

そして私は就職しない。

大きな目標もない。

これといって実現したい夢も、今はない。

 

こうなったらいいな、はいっぱいある。

それらひとつひとつを試してる、今。

 

でも、それってうまく人に説明できない。

 

新卒を捨てるってどういうことなんだろうって、一生懸命考えるけど、足りない頭じゃわかんない。

もしかしたら恐ろしいことをしてるんだろうか、ときどきくらっとする。

 

だけど、仕方がない、身体が動かない。

 

肩書きがなくなる。

そんな怖さを抱えながら、でも、その生き方を選ぶ。

 

きっと大丈夫。

 

10年後の自分は、今の自分をどんな風に見るだろう。

 

昔流行った映画を見ながら涙を流して、そのあとにくだらない話で大笑い。

そのあと花火を見てドローンをUFOと言って大笑い。

「肩書きがなくなるのが怖い日本ってなんだ~~!」とみんなで言い合い。

 

そんな自分を、10年後の自分はなんて思って見るだろう。

 

きっと笑ってくれる。

10年前の自分をわたしは笑ってる。

 

だから、きっと、たぶん、大丈夫だ。

 

何者にもなれないかもしれない。そのまま死ぬかもしれない。

肩書きもなくて、自己紹介にまごつくかもしれない。

 

のこるのはフルネームだけかもしれない。

 

それでもいいって今は言えないし思えない、これでいいのか?と毎日思う。

でも、これしか選べない。

 

なら、もう、やっぱりそれは10年後の自分に判断を任せて、毎日たのしく生きることが一番かなと、今は思えてる。

 

明日の朝、また起きたら、もしかしたらまた不安に戻ってるかもしれないけど、今はそういうこと思ってる。

 

何かを成すには、人生はみじかい。

何も成さぬなら、人生はながい。

福山雅治 - とりビー!

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