「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

手に取った本が「あたり」だと嬉しくて、つい。

ここ最近、手に取る本すべてが「あたり」。

嬉しくてついついカフェ(ゆにぞん)のなかなのにガッツポーズをしそうになった。

 

あたるとなんかこうガッツポーズしたくなるのは小学生のときに初めて地元の図書館に連れていってもらったときから変わらない。

こんなにたくさんの本があるなんて、しかも読み放題だなんてと、図書館中走り回りたくなったことよく覚えてる。
 
絵本の棚は端から全部読んだ、日本のものも外国のものも、よくわからない英語のものも、とても印象にのこるものものこらないものも全部読んだ。
児童書のところにあるのは外国のファンタジーから読んだ、家の壁一面にあった岩波少年文庫の内容と重なってとても入りやすい世界だったから。
そのあとにはまったのは、日本のファンタジーだった、上橋菜穂子の本を繰り返し繰り返し読んだ。
狼や龍がでてくるものが大好きで、魔法や呪術や星や宇宙のことがいっぱいでてくるものが大好きだった。
 
一通りの児童書、建物の半分を読み終えたあたりで一度ノンフィクションにはまったこともあった、でも、ノンフィクションはライターによって不幸臭がすごいものもあって、なんだか苦手になって離れていった。
 
そのあと端っこの壁のところにあった実用書にはまる、ビーズのつくりかた占いの仕方、手遊びの方法、自然のこと、片っ端から読んで、10冊ぎりぎり借りて、すぐに返して、また借りてを繰り返した。
 
それを終え、大人よう、建物のなかの反対に移動して、大人向けの本をいろいろ眺めるようにもなったが、難しいばっかりで、何も面白く感じず(今でも古典はほとんど読めない、飽きてしまう)、学問の本をよく読むように。
 
なぜ宇宙があるのか、どうして人間は存在するのか、哲学や自然科学の本を好んで読んで、その後「こころ」に興味を持ち精神世界の本を読み漁り。
3、4年何も読まない、読めないブランクがあいて高校に。
 
高校にはいってからは、小論文や現代文の授業が読書のようなものだった。もちろん息抜き程度に小説は読んでたけれど、あの頃は恋愛ものをよく読んだ。
小論文で触れる社会的なことがらが好きで、企業や法人、社会のいろいろな法律や仕組みの話がとても面白かった。
 
読んできた全部の文章が栄養になっているとここ最近特に感じる。
いろんなところでいろんな文章が顔を出す。
そういえばそういうことだったと、いろんな知識が教えてくれる。
 
だから何というわけではないんだけど、「あたり」が続いて嬉しくなって、ついつい「あたり」の感覚に溺れてたあの頃、「あたり」「はずれ」をつけていくのが楽しかった地元の図書館の匂いを思い出して、バーっと書いた。
 
本を読んでいる景色はいつでも思い出せる。
 
家、図書館、電車、居場所なく感じていた教室のなか、授業中にこっそりと読んだ本、バスの中、眠る前まくらの横に。
 
話をするというコミュニケーションよりも、本を読んでいる時間の方が好きだった。
 

よっぽど内向的だったあの頃の自分、そして今の自分のなかにもある内向的なところをなんだか本や、身近にいるひとは無条件に肯定してくれている気がする。

 

ありがたい。

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ちなみに今読んでいる本はこれ。

あとで詳しく。

漫画です。

 

 

このひと大好きで、これも読んでいた。

繕い裁つ人 コミック 全6巻完結セット (KCデラックス)

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あとで、詳しく紹介しよ。

 

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