「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

やりたいことをやるということに意味なんてない

 

意味なんてさ、ないかもしれないな、と思う。

 

たとえば今日話したあれとか、昨日見たあれとか、明日つくるあれとか。

 

意味なんてないかもしれないなぁって思う。

 

だけど、ついやりたくなること、なぜだかやってしまうことがある。

 

そういうのって、意味があったらいいなぁってちょっと心のどこかで思う。

 

たとえばたぶん、それは、海に手紙入れたボトルを、誰宛でもないんだけど流す、みたいな。

そういうもんなんじゃーないかと思ってる。

 

今日、イベントにきてくれたひとに「どんな社会になったらいいかなー」っていうの聞いてみたら。

 

うんうん、そうだよねってものがいっぱいあって。

 

なんだかすっごく嬉しかった。

 

みんなの理想は、言葉だと違うかもしれない。

でも、奥にある感情の流れ、その揺れ方というのはおんなじもんなんだなと思って。

 

まあそりゃ、同じことに関心のあるひとたちが集まったイベントだからってのはもちろん大きけどさ。

 

でも、そういうのはいいな~と思って今ビール飲んでる。

 

だいたいのことに意味なんてないんじゃーないかと思う。

誰だっけ、ほらえらい画家のひとだって、有名な作曲家だって、死んでからその作品に光が当たるってことは歴史上も多々あるわけで。

 

だけど、それでも、伝えずにはいられない何かとか、やらずにはいられない何かとか、そういうのある。

 

だから、失敗するのわかっててもトライせずにはいられないんだろうなぁ。

 

もしかしたら、今やりかけてるそれだって、あれだって、これだって、全部失敗するかもしれない。

半年後にはのたれ死んでるかもしれない。

 

でも、そうだとしても、やっぱりやらずにはいられないし、エネルギーかけちゃうんだよね。

 

仕方ないんだーそういうもんだ。

 

いっぱい人に親切にされたら、別に今目の前にいるひとがそれを返してくれるかどうかとか関係なく親切にしたくなっちゃう。

そういうのとも似てるかもしれない。

 

今日はほんとにいっぱいいっぱいいっぱいのひとに親切にされた日だったから、わたしすごく嬉しかった。

 

明日から、もっともっとひとにって、思ったけど、その前に人に借りてるもので返し忘れてるもの返したり、そういうの、しないとね。

 

ごめんねとありがとうと、大好きと。

 

カラフルな色にあふれた毎日が嬉しいです。

 

それは、思想も哲学も生き方も言葉も違うたくさんのひとがいてくれるおかげで。

その小さな差異の連続が、わたしをわたしたらしめていて。

わたしの人生というものを描いてくれるので、やっぱりそういうの、いいな~と。

 

だいたい「いいな~」だらけのブログのときは、酔っ払ってるわけです。

というわけで、おしまい!

 

ちょっと、休みます。

読んでくれてありがとう。

 

って思ったけど、あと二日くらいは休めない。

がんばっぺ〜。

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