「ブログを1000記事書いたら奇跡が起きるよ」
その言葉が本当かを確かめるための過程の記録

SNSは思考が偏る・尖る・止まる。

人との間に生きる。

 

ゼミの飲み会があった。

そのなかで、先生がこんなことを話してくれた。

 

SNSっていうのは思考がとがる」

 

その話は、かいつまんで説明すると、SNSっていうのは、いろいろなひとがいるような錯覚に陥っているひとが多い、ということだった。

 

いろいろなひとがいるというのはつまり「多様性」がその場にあるとされているってこと。

 

でも本当はそうじゃない、それは勘違いでしかない。

 

だって、まず「フォロー」や「友達」っていう概念がある。

 

それは、「見る」「見ない」の選択だ。

 

そう、その取捨選択がなされたうえで出会う情報なのに、SNSのフィードに流れて行く投稿があまりにもたくさんあるものだから、「多様」な情報を「キャッチ」していると思い込んでいる。

 

取捨選択をしたあとの場だというのを忘れてる。

 

ゼミの先生の言葉を聞きながらそうだなぁと思って話を聞いていた。

 

本当に、そうだなーと思う。

 

だからその界隈でしか当たり前でないことを当たり前だと思ってリアルの場でもコミュニケーションをとってしまったり、本当に確かな情報かもわからないのに「いいね」と拡散してしまう事態が起きる。

 

それに遭遇したとき、いつも、心のなかで、ときどき口に黙して、いやいやまてよ、とツッコミをいれる。

 

高校生のときに、たしかあれは叔父に言われたと思うけれども、「お前の当たり前は、世間の当たり前じゃない」というような趣旨のことを誰かに言われた。

 

それと似てる。

 

一度、自分で匂いをかぐ作業が、その工程がいつからか抜け落ちてしまったんじゃないかと思う。

 

たとえばfacebooktwitterで定期的にシェアされる政治的な動画や写真や投稿。

 

あれらを見るときに一番感情が揺れる。

 

「なぜ簡単にシェアできるのか」

 

いつもびっくりしてしまう。

その場にいたわけではない、一部始終を見ていたわけでもない。

 

なのに一部分を切り取ってつくられた動画を見て、物事を知った気になる。

(言うまでもないが、右でも左でも同じだ。)

 

シェアをして、「ひどいね」「暴力的だ」「偏ってる」と簡単に言葉を添える。

 

その考え事は、本当に「自分」の考え事なのか、立ち止まっているんだろうか、どういう思考回路なんだろうか、自分に照らし合わせて考えてみる。

 

でもやっぱり、情報を一度咀嚼するという工程を省くことは自分はしたくないと思っている自分に出会う。

 

「いいね」

というコミュニケーションのその先に、本当の人間関係なんてない。当たり前のことだ。

 

一部分しかない人間なんていない。

一部分しかない景色もない。

 

自分の生きている世界を考える。感じる。

 

どういう世界で生きたいかを選ぶことはもちろん重要だけれども、だけれども。

 

だけれども、やっぱり、それはバーチャルな場所にはないと思う。

 

なのに、接している時間が長いからなのか、距離感の問題なのか、その「情報」といってもいいかもわからないような情報を「知識」だと思って摂取しているひとが多いなぁと体感レベルでそう思う。

 

そして、やっぱり、それはなんだか、なんていうか、良いことと思わない。思えない。

 

自分の人生を生きること。

自分の価値観をつくりあげていくこと。

 

柔軟な姿勢でひとと関わること。

 

なんていうか、毎回、そういうシェアを見るたびに、考え込んでしまう。

考え込んでしまうほどの重要性はないのかもしれない。

でも、やっぱり、考え込んでしまう。

 

そのシェアはリテラシー的にどうなのか。

 

そのシェアができてしまう思想は何かを反映していないだろうか。

 

そういうことを考えてしまう。

 

でも別に、わたしが完璧人間なわけではないから、それを批判したいわけでも、指摘して責め立てたいわけでもない。

 

ただ、そういうシェアを友達や近いひとがしているときに、どんな気持ちでシェアをしたのか、どうその問題に対して考えているのか、SNSとの距離感はどれくらいなのか。

そういうことを聞いてみたくなる自分がいる。

 

なぜ、そういう投稿を読んで終わりではなく「シェア」したのか「いいね」をつけたのか。

 

聞いてみたくなる。

 

別にチェーンメールのように「シェアしなければ~~~」というものもないのに。

 

なんで、それをシェアしたのか。

 

SNSとの付き合い方とか、別に大したことじゃないとか、いろんなことはついてまわるかもしれないけれど、そういった話を一枚一枚はがしていって剥き出したものを眺めたら、意外と今の政治に対するそのひとの考え方・感じ方を明らかにできたりするんじゃーないかと。

 

政治のことをみんなで考えたら、もっと良い形のコミュニティがあるんじゃーないかと。

 

つまつまつまり、そういう話が気軽にできたら、立ち止まって考えてみることを大勢のひとがしてみたら、いろんな問題ってころっと解決するんじゃーないかと。

 

そんなことを考えてしまう。

 

批判したいわけでも、責めたいわけでもない。

 

その気軽なシェアには、実は政治的なスタンスが多分に含まれているんじゃないかと、そう思ってる。

 

「いいね」なコミュニケーションのなかにも、いろいろなものがぎっしりと詰まっているんじゃないかと。

 

そんなことを思ってる。

 

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そんなこと、どうでもいいことかもしれないけどね。

でも、ちょっとしたところに本音がでるって、よくあるよね。

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